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完全なる報復
良い役者さん達勢揃い。Jamie Foxxが出演していると映画がしまります。 ★★★☆☆☆
『のるかそるか』(1989) LET IT RIDE 好きな映画です。観て損はないと思います。 主役の Richard Dreyfuss が大好きです。 PR
中学校の時、学校と自宅をむすぶ路に『い○○屋』という店があった。
学校正門から真っ直ぐ林の方へ進み、山道を降りていくと直ぐにたどり着いた。林は不良のたまり場。みんなそこで喫煙したりしていた。三年生の時、ぼや騒ぎがあり、木が見通しの良いように切り倒された。 い○○屋も不良のたまり場だった。左側に御菓子やジュースなどをうるスペース、右隣がテーブルゲームをおいてある部屋だ。当時はギャラクシアンやゼビウス、プロレスのゲームもあった気がする。一回五十円。 お金がないときは、おばちゃんに頼んで掃除をさせてもらった。掃除すると百円か二百円もらえた。おばちゃんが暇なときには、二階に上がってお茶を飲ませてくれた。 当時は近くに沢山駄菓子屋があった。い○屋、み○○屋、隣の駅、、ミカドというパチンコ屋の近くにも駄菓子屋があってよく行った。もっとも隣の駅なので、隣の学校のシマ。幾たびに喧嘩になった。ゲームセンター = 不良の溜まり場 だったと思う。 ゲームをただで遊ぶ方法が常に考え出されていた。 カチンコ(ライターやガス台から外した火花が出る部分。地元ではカチンコと言っていた)を使ってクレジットを増やす方法や、ゲーセンのおっちゃんが、面倒なのでテーブルゲームの両端の鍵を閉めずに片方空いている台を探し出し、二人がかりでクレジットボタンを押しまくる方法など。 友人の話だが、小学6年生の時、友人と二人で、忠○○の○レ○○ン○で台を上げてクレジットボタンを押しまくっているところを、地元じゃない他元の中学生に観られ、追いかけられ金をせびられた。相手は四人。小学生と中学二年生は身体つきが全然違う。道具を使わなければ、勝ち目はほぼ無い。 「金をせびられたから、このままもとのゲーセンに逃げちゃおう!」 二人は隙をついて、またゲーセンにもどった。中学生はしつこく追ってくる。 先に着いた友人は、「脅されてやってしまった。そしたら今度はクレジットボタンを押したことをチクらないかわりに、金をよこせと恐喝されそうになった」とゲーセンのおっちゃんに訴え出た。怒られたのは、中学生達だったようだ。 良くない行為であるし、犯罪だ。美化しようとは思わない。けれども、なんとなく現代の不良達とは違う。いきなり刺さないし、再起不能までぶちのめさない。暗黙のルールがあった。大人達も子供達の嘘を分かっていながら、”知らないふり”をしてくれていた。 その友人は今、立派に働いている。もしかしたらその時に何かを学んだのかも知れない。 『信じてくれる人を裏切ってはならない』と。
『恋人までの距離(ディスタンス)』(原題: Before Sunrise)1995年 は良い映画。
会話だけで物語が進行していく。 英語で理解できたらもっと素敵なのかも。 もう一つ。会話が中心な映画。 『アニー・ホール』(Annie Hall)1977年 いちいち調べていないが、当時のかっこいい車がよく映っている。 最後、アニー・ホール(ダイアン・キートン)が乗って帰る車はフェアレディZだと思うのだが違うのかな。 あとロブスターを拾うシーンが最後の方にもう一回あるのだが、そこでの台詞が印象的。 -This always happens to me. Quick! Get a broom! -What are you making such a big deal about? They're only lobsters. You're adult. You can pick up lobsters. -I'm not myself since I quit smoking. -When did you quit? -Sixteen years ago. -What do you mean? -Mean? -You stopped smoking 16 years ago. Is that what you said? I don't understand. Are you joking or what? いるよね、こんな人。。。 映画って本当に良いものです。
http://i-concept.hatenablog.jp/entry/2012/04/03/121045
上記サイトに良い話が載っていたので、紹介したい。 **************************** 話を被せて横取りしていく人や、常に自分が話していないと気が済まない人 いませんか? いわゆる我の強い嫌われタイプです。 なぜ、そこまで自分の意見が周囲に通っていないと気が済まないのでしょう。 試しに、黙らせて他人の意見に同意するという訓練をやらせてみたら・・・ できないんでしょうね。 というのも、本人の心の中は常に不安定です。 自分で自分が肯定できない。だから話すこと、周りの同意を取り付けることで辛うじて 自分を保てているのです。 他人に同意できるのは、自分があるからこそ、受け入れることのできる余裕みたいな もの。 自分のない人間には、ひっくり返っても出来る芸当ではありません。 ”即座に話を被せて自分の方へ引き寄せないと、死んでしまう!”くらいの恐怖を 抱えているのです。 しかし自分の心の中が不安定なことは、他者には関係のないことです。 だから、その不安定さに付きあわされるのはコリゴリ と、多くの人が離れていきます。 嫌われる人は、どういう形で表出するにしろ、自分の弱さを他者に責任取って欲しい と思っている人です。 自分の弱さは自分の責任で治しましょう。 ****************************
以前、私は実家から祖母が持つ店まで毎週自転車で手伝いに通っていた。
距離にして20km弱。最初、乗っていったのはママチャリだっただろうか。 その後、親に一所懸命頼んで、ブリジストンのロードマンを買ってもらった。 フレームがメチャメチャ重く、形だけのロードレーサーだったがそれでもうれしかった。 祖母の息子、親戚の兄が自転車を趣味にしていた。 一所懸命通っている私に自転車をプレゼントしれくれた。 当時は価値がまったく分からなかった。 All Campagnolo サドルはCinelli 、ハンドルステムはcolnagoだった。 で、高校の時、蕎麦屋でバイトをしていたのだが、同じアルバイトの大学生をつれて 行きつけの飲み屋に誘ったとき、飲み代欲しさに2万円で売った。 価値が分からないとは本当にもったいない生き方だと思う。 あ~~返ってこい、私の自転車!!
K.Kという友人がいた。
小学校3,4年のとき一緒のクラスになった。 彼と給食の時間食べる速さをいつも競い合っていた。 学校中で校庭に出て行くのはいつも僕らが一番だった。 彼とじゃれ合ってプレハブ校舎のサッシの桟にすねをぶつけ大きくえぐれた後が、未だ残っている。 彼は近くの団地に住んでいた。言葉は悪いが貧民窟のようなところだ。 私の実家もぼろアパート。環境が似ていた。 何故彼と遊ぶようになったかは覚えていない。非常に無口な彼だったが、仲良くなると良く話してくれた。誰とでもそうならないところにすごく惹かれた。 よく一緒に、粗大ゴミが集まる集積場へと“お宝”を盗みに行った。 管理している人々が良さそうなゴミだけ、自分たちの事務所に隠していたものを取りに行くのだ。 最初は鍵などかかっておらず、電池、ラジオ、懐中電灯など箱単位であった物を持ってきていた。 そのうちに二メートルぐらいもある金網が周囲に張られた。上部にはバラ線(有刺鉄線)。 しかし毎日かけずり回っている子供にはそんなものたいしたことではない。 余裕綽々で飛び越えてもう一人のS君を従えて、次から次へと金網の外へと放り出した。 今思えば、たくさんの電池なんて要らなかったし、何個もラジオなんて要らなかった。 きっとスリルだけを楽しんでいたのだと思う。 そのうちに事務所には大きな南京錠が取り付けられたのだが、南京錠なんて台座を外してしまえばなんてことはない。 事務所員は余程頭にきたのだろう。 いつも襲撃は黄昏時を狙っていった。曖昧な明るさというのは目が慣れていない為、よく見えないし、従業員が帰る時間帯でもある。 悠々と有刺鉄線を超え、いつものように事務所に向かった。 するときらりと何かが光ったとおもったその習慣、黒いものがもの凄い勢いでこちらに向かってくる。 「おードーベルマンだ!!!逃げろ!!」 うずたかく積まれたゴミの小山を這いずり回りながら賢明に逃げる。 「これはまじにやばい!」 山に埋もれそうになる足を無我夢中で動かす。 吠える声が真後ろまで迫った瞬間、僕たちは飛んだ。 金網に向かって。 ドーベルマンは尚も飛びつかんと襲いかかってくる。 金網上部にしがみつきながら、なんとか有刺鉄線を握りしめ、血だらけになりながら ”圏外”へと逃げた。 僕たちの目的、スリルは十二分に味わえた。
『カンザス・シティ』(原題:Kansas City)
私は結構良い映画だと思うのですが。 詳しいレビューはこちら そういえば映画のレビューを載せていないわけ。 それは調べればいくらでも詳細な情報や個人的意見が出てくるから。 ただ良くも悪くも印象に残った映画のタイトルだけ紹介している。 この中で流れる音楽だけ別編集されたDVDがあります。こちらも最高!
この時の店長、ひどかった。歳は50近くだっただろうか。
人間的に円熟味をもっていなければならない年頃にもかかわらず、トゲトゲだらけ。 指示を出すのはいいのだが、主語が無い、目的語がない、何かがいつも足りないので、言われた方はわからない。年下、経験短い者達が、年上、経験豊富の者の言う事を推測しなくてはならない。 こりゃ疲れる。 確かに何度も言うとなると、頭に来るときもあり、語気も強く、言葉も短くなるので足りなくも荒くもなるのだが、分からせる……分かってもらう為に言っているのなら、そこが目的であって、威圧侮辱をする事が目的ではないはず。 この店長、S氏。忙しくなると自分もてんぱってしまう為に、言動があらくなる。「あれをそこにおいて」「あれとって」「それとって」 あれって一体なんなんだ?そこって一体どこなんだ? で、きょとんとしていると 「それだよ!!!!!!」 「??????????」 声なんか大きくしたって伝わりません。”それ”が分からないのだから。
いいです、この映画。映画は大まかに分けて二つの種類があると思います。
内容と技巧と。この映画は内容ですね。 正直、女性のボクサーの話かと観るのを敬遠していました。 でも実際みて涙が止まらない。 確かに話自体は飛び抜けているところもあります。 でもひとつひとつの台詞が含蓄あり。 小説でも映画でも……歌謡曲でも人の話でも何でも……、こちら観る側聞き手側の経験が必要なのです。 登場人物に設定されている、いろいろな背景が分かると、この映画の深みは増します。 クリント・イーストウッド、良いです。
よく似ていると言われる『ヒート Heat 1995年』、確かに似ている。
盛り上がりは逆の順序だけれど。 各シーンは、見応え有ります。ただ犯罪物は終わり方が難しそう。 観て損はしません。 Jeremy Lee Rennerの演技が良いです。はまり役。
有人笑著問那位服務小姐:“明明是他不懂,你為什麼不直說呢? 他對你那麼不禮貌,你為什麼對他還那麼客氣? ”
“正因為不懂禮貌,所以不能跟他正面衝突;正因為道理一說就明白,所以用不著大聲! “ 小姐說,“沒道理的人,才喜歡用氣勢來壓人。有理的人,和和氣氣地交個朋友有什麼不好 ?“
映画が始まってから少し経ってやっと気がついた。
「みたことある」 トニー・スコット、良い監督だったのに。 この映画もいいですよ、それなりに面白い。 でも沢山映画見ていると、やはり黒澤明監督の映画ってすごいんだなって改めて思います。
ATR72型機。乗った事あるのかな。
ともかくも同じ航空会社で一年以内に2回はちょっとこわい。
『第9地区』
ヴィカスの台詞がアドリブだったところが、良くも悪くもこの映画に影響している。 つまらなくはないが、深くはない。見て損はない。 『ラヂオの時間』 三谷幸喜に外れ無し。 『コラテラル』 トム・クルーズ、イモジャナカッタ、コンカイハ。 トム・クルーズが出ている中で、記憶の中では最高だと思います。 オモロイ。 どーでも良いけど、Jada Koren Pinkett Smith好きです。
◇人を恋すると賢明ではあり得ず、賢明で有れば恋する事はできない。-プブリリウス・シルス「格言集」(前一世紀)
賢者になろうと想えば想うほど、そこに葛藤が生まれる。 人間としての煩悩がそこに介在するからである。 「なぜ、この世に生まれたのか?」人は考える。 そこから、過ちを犯していく。 しかし、それを人生と言うべきでは無かろうか? 所詮神にはなれないのである。 ◇恋は口を閉ざしていても語りだす-ドイツ- うちに有る秘めた思い。隠そうとすれば、意識をしてはならぬと、意識すること自体が意識することに繋がる。 ◇恋は麻疹のようなものだ。遅くかかればかかるほど、この病気は重くなる-D.W.ジュロルド「機知と所信」(1858年) 年月を重ねてから覚えだす遊びほど、質の悪いものはない。自分の愚かさを認めて、自己を屈する事ができるときのみ、失敗は成功のもとと言えるであろう。 ◇恋の最初のため息は分別の最後のため息である-アトワーヌ・ブレ「色っぽい学校」1670年 やはり、理性は恋を支配できないのであろうか? ◇恋は願うことをすべて貪欲に信じる-ラシーヌ「ミトリダート」1673年 恋は盲目。誰しも客観視でき得るのなら、苦い恋は無いはずだ。「信じている」「信じたい」。そこから泥沼にはまっていくのである。 ◇恋は架空の物語だが、快楽がそれを真実の歴史にする-ポーマルシェ「フィガロの結婚」1784年 ふ、深すぎる。なんと簡潔に的を得ているのだろうか。 ◇戯れに恋はすまじ-ミュッセ、三幕喜劇の題名 1834年 恋はやけどの元。君子危うきに近寄らず。では、ここで問う。恋とは、愛とは危険なものなのか?おそらく憂いを後日に残したくなければ、きっと近寄らないもの。それが恋であろう。 しかし、人生節度が無いところが快楽であって、これをやめれば、何故この世に生を成したのかをまず問わねばなるまい。 自己の責任と偽り、自分の欲求を達するために盲進し、多大なる迷惑をかけることが恋なのであろうか?愛なのであろうか? おそらくそれが恋愛と言うものの本質なのである。しかし、自分の時は自己の行いを美化し、かつ肯定的に考えるに対し自分以外には舌の根が乾くまで、その否を問うであろう。 と、言うことは解っていながらにして恋や愛を行っていると言うことである。おそろしや。 ここらで、優等生でいることをやめてみたら? はやく、目標なんてすてて、有るがままの姿にかえれば、いいのではないだろうか?煩悩のなすがままに。。。 しかし、人類はそれに飽いたから、宗教なるルールを作り、人間を戒めたのである。煩悩を捨てよと...。快楽を慎めと...。 いったい、正道とは?む、むずかしい。 私はこう思う。その時に感じたことが正しいと...。 ◇人に好かれたいなら自分を忘れよ-オウィディウス「恋愛刺繍」前15年頃 もし、自分を忘れることなく、人と交わることができるのならば、それはもっともよい状態である。 ◇男は女の仕掛けた罠にかかるまで女の後を追い回す-イギリス- だますより、だまされる方がましである。人間「我が想いかなったり」と叫ぶものほど愚かであることはまず間違いない。慢心しているようでは駄目なのである。 ◇恋愛で魅力があるのは初めのうちだけだ。だから、人々はしばしばやり直すのを喜ぶ-リーニュ公「随筆集」1811年 人間は神には成り得ない。従って自己を制御する能力が足りない人も多いと言うこと。 しかし、それそのものが人間の本性と言うならば、誰がそれを咎めることができよう。 ◇不貞は知らずにいれば何でもないことだ。それを知っても大したことではない。-ラ・フォンテーヌ「コントとヌーヴェル」<魔法の杯>1685年 覆水盆に返らず。却って窮鼠猫をかむの如く、本末転倒になりかねない。事態はその時にもう決しているのだから...。まぁ、あまりにも無関心を装うのもおかしいとは想うのだが、これは難しい。 割り切り方にも多種多様、最終的にはその時の運である。身を任すことが果たしてできるだろうか?磨けばもがくほどはまるのは解っているのに...。 ◇恋は時を過ぎ去らせ、時は恋を過ぎ去らす-イタリアー 恋は気ままな生き物である。 ◇月と恋は、満ちれば欠ける-ポルトガル- 恋をするのはやめようと言う人はいるが、実際にやめる人はほとんどいない、先が解っているにも関わらず...。 ◇恋は女の羞恥心を弱め、男の羞恥心を強める-ジャン・パウル「ティタン」1803年 其れをしなければいけないところが、つらい。そんなことできるのは女々しい輩だけだと思うのだが如何? ◇恋は女に才気をを与え、男から才気を奪う-イタリア- 骨抜きになっていく駄目男がいっぱいいます。でも、そんな駄目男を野放しにする女も悪い。 ◇初恋の魅力は、初恋がいつかは終わると言うことを知らないと言うことだ-ディズレーリ「ヘンリエット・テンプル」1837年 人間愚かなり、しかし、其れが恋とか愛とかいうものだ。 ◇人は、愛されることを望みながら、愛する相手を怒らせる-プブリウス・シルス「格言集」前一世紀 意識してはいけないと、意識しているから起こる現象 ◇高邁な思想は心情から生じ、大いなる愛情は理性から生まれる-ルイ・ド・ポナルド「箴言と考察」 この深き言葉、悟られよ! ◇何事にも耐えられる者は、何事も思い切ってできる-ヴォーヴナルグ「省察と箴言」1746年 責任を取れるのならば、自分の思いのままにできると言うところであろう ◇無文別な者は遊びのつもりで悪事をする-旧約聖書「箴言」10.23前4世紀 こんな奴らと交わってはいけない。朱に交われば赤くなると言うこと。 また、こんな人たちの勇気を、賞賛してはいけない。 匹夫の勇という。 古来、盗賊、山賊、秩序を持たない者達が、支配していた国はない。よくよく考えなければいけない。 ◇悪党の橋は渡るな。むしろ急流に身をゆだねる方が良い-トルコ- 渇しても盗泉は呑まず!日々、常にこのような言葉が自分に沸いてでてくれば、判断に迷うことも自ずと少なくなるであろう。 まずは、自己を改革し、気をそちらに向け、我を先ず正し、時を重ねれば、やがて苦もなく行動が伴うようになる。 目指すべきである。結果が分かっているのだから....。 ◇凍った蛇を懐であたためてみたまえ。噛みつかれるだろう-イソップ「寓話」<農夫と凍えた蛇>前6世紀 世の中やさしくなれる人はいくらでもいるだろう。憚らずに言わせていただければ優しい人は、大概、自己にも甘い。無論すべての人ではないが 多いと言うことだ。ここで「優しさ」と「あまさ」を混同してはいけない。 「あまさ」とは先見性が無く、聞こえが良いようにその場だけを取り繕っているいわば、藪医者のようなものだ どうして自分があまいのに、人の世話なんかできるだろう?ただただ耳障りいいだけではないか? 偽善者の方便である。 「やさしさ」とはもっと、大局をみて、事の本質をとらえることである。 此処に山登りをしようとしている、10人がいる。 君は隊長だ。 山の中腹にたどり着こうとしたときに、一人の故障者がでた。 けが人は、とうてい山を登ることを続けることはできないであろう。 また彼の事をかばうばかりにほかの9人は、いっそう危険にさらされる。 故障者は言う「もう二度と登る機会もありません。どうか頂上までいきたいです」 かれは一所懸命嘆願した。 ここであなたは、どんな判断を下すのか? 結論としてはこのけが人を、連れて行くことは断じてできない。 なぜならほかの9人を死地に追いつめることになるからである。 当然、あなたなしでは、この9人は山頂どころか、明日にも迷うだろう。 では、このけが人をみんなでかばって、山頂まで連れて行くか? それほどまでの危険をしなくてはいけないであろうか・ 下山すれば安全な事が解っているのにもかかわらず...。 けが人をこのまま、下山させるために9人の中から、その付き添いを 選ぶも良し、下のキャンプまで引き返して、後を託すも良し。 申し訳ないが、ここでけがをしたこと自体が、もう運命であって けがで終わっただけも、良かったと思うしかない。むしろ、神の忠告と受け止めるべき。 感情で人の生死をきめることは、できないのである。窮まれば、極まるほど、客観的判断が求められるのである。 ぬるい人たち、甘い人たち、よくよく考えた方が良い。それでも異を唱えるのなら実践されたし。 そこまでの能力に達し得ていない者が、なんで人のことなんかをかばえるのかを、熟慮されよ。 優しさと甘さの違い、解られたであろうか |
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