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①松山空港→台北内のホテルにて荷物を置く→台南へ移動→食事後、その日に彰化へと戻り1泊→2日目に鹿港を見学し、その日に台北へと戻り宿泊→台北にて所用を済ませ三日目も台北に滞在
②松山空港→そのまま彰化まで行ってしまい彰化のホテルに荷物を置く。→台南に移動そして第一日目は台南に一泊→翌朝彰化に戻る二日目は彰化に泊まる→三日目も彰化で宿泊し、四日目18:15松山空港の便に間に合うように台北へ戻る ③松山空港→そのまま彰化まで行ってしまい彰化のホテルに荷物を置く。→台南に移動そして第一日目は台南に一泊→翌朝彰化に戻る二日目は彰化に泊まる→三日目の13:00頃台北に到着するように戻り台北で一泊→台北でホテルへ荷物を置いたまま市内観光(というか国立図書館に行ってみたい)し、18:15の便に間に合うように空港へ向かう 今回は②、③の移動について考えてみる。 松山空港に着くのは午前10時。預け荷物を取りそのまま台北車站にむかうと遅くとも12:00には間に合うだろう。それからチケットを取りにカウンターへ行き12:30の列車なら間にあう。 昨年9月に行った時に乗ることが出来なかった普悠瑪號に乗車してみたい。普悠瑪號は東部幹線:樹林-台東、縱貫線:樹林-彰化(經山線)を走っている列車。旅程初日の時刻表をみてみると、 自強 123 山 七堵→屏東 12:00 14:30 02小時30分 $ 415 普悠瑪 271 山 花蓮→彰化 12:30 14:34 02小時04分 $ 415 莒光 513 山 七堵→高雄 12:33 15:46 03小時13分 $ 320 莒光 547 山 七堵→彰化 12:54 16:00 03小時06分 逢週日行駛。 $ 320 自強 125 山 七堵→屏東 13:00 15:33 02小時33分 $ 415 仮に彰化へ最初に荷物を置きに行くのなら車次 123 か 271、若しくは125の選択しかないだろう。 最も遅い列車で15:33彰化に到着。駅近くのホテルに翌日から泊まることにして荷物を置かしてもらい再び列車で台南を目指す。彰化から台南に行くには高鐵でも台鐵でも1時間半から2時間近くかかる。高鐵の場合乗り換えが二回あるので面倒だし、料金も高い。 自強 125 山 七堵→屏東 15:36 17:12 01小時36分 $ 323 莒光 513 山 七堵→高雄 15:48 18:04 02小時16分 $ 249 自強 131 山 七堵→高雄 16:31 18:07 01小時36分 逢週日行駛。 $ 323 台湾のネットで調べてみたが、彰化から台南のバスは探せなかった。たぶん出ていないだろう。 台中から台南は出ている。 さてどの方法をとるべきか。 続く PR
前回の書き始めを引用させて頂く。
******************************** 海外旅行行き始めの時は手荷物サイズのソフトスーツケースで行っていたのだが、 往路は荷物がなくても帰りに必ず増える。友人からもらったものや、衝動買いした物などで。 なので最近は大きいスーツケースで行くことが増えた。 となると、今回の場合、スーツケースを如何に引きづり回さないで移動できるかを考えなければならない。 一番良いのは台北で後半二日を過ごす事にし、ホテルに荷物を預けてから南下することだろう。 あとは最初の一泊目をどこでとるかであるが 彰化、台南、台中、これらが候補地として考えられる。台南、台中どちらも訪れたことがあるので、今回は彰化に泊まると言うことで話をすすめていこうと思う。 つまり 松山空港→台北内のホテルにて荷物を置く→台南へ移動→食事後、その日に彰化へと戻り1泊→2日目に鹿港を見学し、その日に台北へと戻り宿泊→台北にて所用を済ませ三日目も台北に滞在 という旅程である。 ******************************** ということで、一泊目を彰化にするということで話始めたのだが、ここで問題がでた。台南で知人に会うのだが、そちらの予定が、出発近くにならないと解らない可能性が出てきたのだ。 私の勝手な予定としては18:00頃から食事して、当日晩には彰化に戻りたかったのだが、19:00以降からの食事となると、台南からどんな移動手段でも2時間かかる彰化にもどるのは少々つらい。 となると旅程は ①松山空港→台北内のホテルにて荷物を置く→台南へ移動→食事後、その日に彰化へと戻り1泊→2日目に鹿港を見学し、その日に台北へと戻り宿泊→台北にて所用を済ませ三日目も台北に滞在 ②松山空港→そのまま彰化まで行ってしまい彰化のホテルに荷物を置く。→台南に移動そして第一日目は台南に一泊→翌朝彰化に戻る二日目は彰化に泊まる→三日目も彰化で宿泊し、四日目18:15松山空港の便に間に合うように台北へ戻る ③松山空港→そのまま彰化まで行ってしまい彰化のホテルに荷物を置く。→台南に移動そして第一日目は台南に一泊→翌朝彰化に戻る二日目は彰化に泊まる→三日目の13:00頃台北に到着するように戻り台北で一泊→台北でホテルへ荷物を置いたまま市内観光(というか国立図書館に行ってみたい)し、18:15の便に間に合うように空港へ向かう 以上三通り考えられる。 途中彰化に寄らず台南まで行ってしまっても良いのだが、やはり荷物が邪魔。台北のコインロッカーに置くという事も考えられるが、電子機器がそれなりにあるため、キャリーバッグを二種類用意しなければならなくなる。う~んどうしよう。気儘な一人旅なら行き当たりばったりでいいのだが。 続く
9月に渡台する。
今回の目的は鹿港に行くことと、台南に行ってあるお店に行き、知人と食事すること。 往路は中華航空 羽田07:10の便。台北松山に10:00着の飛行機である。 復路は松山 18:15。 最終日に台北に戻ってくる予定を立てるとすると到着初日に台南に行ってしまうのが、一番効率的だと考えられる。遠いところから少しずつ台北に戻ってくればいいわけだ。 一日かけて見たいところは鹿港。台南はバイクで行っているので、今回は紹介される方と一緒に食事が出来ればいい。 海外旅行行き始めの時は手荷物サイズのソフトスーツケースで行っていたのだが、 往路は荷物がなくても帰りに必ず増える。友人からもらったものや、衝動買いした物などで。 なので最近は大きいスーツケースで行くことが増えた。 となると、今回の場合、スーツケースを如何に引きづり回さないで移動できるかを考えなければならない。 一番良いのは台北で後半二日を過ごす事にし、ホテルに荷物を預けてから南下することだろう。 あとは最初の一泊目をどこでとるかであるが 彰化、台南、台中、これらが候補地として考えられる。台南、台中どちらも訪れたことがあるので、今回は彰化に泊まると言うことで話をすすめていこうと思う。 つまり 松山空港→台北内のホテルにて荷物を置く→台南へ移動→食事後、その日に彰化へと戻り1泊→2日目に鹿港を見学し、その日に台北へと戻り宿泊→台北にて所用を済ませ三日目も台北に滞在 という旅程である。 前回、10:00に松山空港に着き、荷物を受け取って両替を済ませ、空港の携帯会社に寄り、半年すぎたプリペイドSIMのリチャージを行って、捷運でホテルへ荷物を置きにいったのが 11:30。 捷運站からホテルまでは近く徒歩3分、該当駅から台北車站までが約9分。時間に余裕をもって考えても 台北駅12:30以降の移動手段なら間に合いそうである。 *************************************** 考えられる台南までの移動手段 ◆高鐵 台北車站-高鐵台南站 NT$ 1,480 所要時間 01:43 653 12:36 14:19 657 13:00 14:43 661 13:36 15:19 ◆台鐵 莒光 513 山 七堵→高雄 12:33 18:04 05小時31分 $ 569 自強 125 山 七堵→屏東 13:00 17:12 04小時12分 $ 738 莒光 553 海 花蓮→高雄 13:48 19:55 06小時07分 $ 569 ◆高速バス ○和欣客運 所要時間 4時間半程度 和欣客運 時刻表 ※22014.08現在、ネットで予約できる場所があったのだが、身分證字號を入力する箇所があり無理な様子。台湾でもらった中華民國統一證號(銀行口座を開く時に必要)でも出来なかった。
服務餐期 午餐 下午茶 晚餐
さてどうでもいい話。
Agility125に乗っているのだが、前輪ブレーキパッドがなくなってきた。 そろそろディスクを削り始める感じがする。 どうで中古で買ったバイクだし、来年は国外に行こうと考えているので 安めのパッドに交換しようとネット検索するもなかなか情報がみつからない。 値段が高いのはすぐに見つかるのだが。 結局失敗してもいいかぐらいの値段2,240円(送料消費税込みで3,019円)で SBS E119 Agility RS125(たぶん後期方だと想います)用のパッドを買った。 ブレーキパッド交換なんて、プロはどうするのか知らないが、めちゃめちゃ簡単。 フォークに固定している六角を外して…… パッドを固定しているキャップボルトを緩めて外せばOK。 取り付けはパッドを押していたピストンを押してそこに潜り込ませれば良い。 各箇所はグリス&掃除はすること。 で左が購入したパッド……ってサイズ一緒だけど左右真逆。 (上部のビスにかかる部分がかからなくなる。構造上ひつようなのかどうかも不明) でも取り付けられたし、動作には支障ないみたいです。 作業時間5分。 これじゃだめなのかな。 ついでに以前乗っていたバイクを何台か紹介。 YAMAHA R1-Z YAMAHA RZ 初期型 写真の色が時代を感じさせます。 結構いじくっていた SUZUKI LOVEⅢ ポート研磨、プーリー削ったり一所懸命万力使ってやっていた想い出が。 YAMAHA ビラーゴ400
今から11年前、バイトで勤めていてくれた学生がJICAの派遣でポンペイ島で2年間教職についていた。音楽の先生として。
理由はうろ覚えだが、たしか泥棒が学校に入り込みラジカセがなくなってしまったとかでCDラジカセを現地に送った。今はどうだかしらないが、当時ポナペはEMSでは送ることができず、船便、もしくは一般航空便で送ったような気がする。 こちらとしては使わずに余っているものを送ったのだが、彼の地から感謝の手紙が届いた。 すごく喜んだ覚えがある。もちろん今でも大切な宝物である。 彼らとは長い人生の中でほんの一瞬接点があっただけであるが、もしかして私が彼の地に赴くか、また彼らが日本来ることがあったとして、再会して、この”一瞬”の話を彼らと出来たら…… 人生とは確かにお金も必要だが、このような”一瞬”がもっとも必要であり価値あるものではないだろうか? 本当の友人、信用、品格等、上辺は金でなんとかなるも、本質がかえられないものはたくさんある。 価値観は各人様々だが、私は生涯”生きている”事を実感しながら時間を過ごしたい。
さて帰国日。
夜の便なのでホテルを延泊。 オールドマーケットにて買い物しようと出かけた。 ホテル周辺 商売がんばっております。 雨雲がよく似合う 驚愕の値段。日本だと80円で売られている。 買う人いるのだろうか… 帰国は上海経由だった。 シェンムリアップから浦東。陸路を移動して浦東から虹橋空港へ。 この時だまされた。恐らく私たちのような客を狙った集団だと想われる。 浦東空港へついたのが、朝の四時。虹橋発は09:40。 朝6時になればバスという手段もあるのだが、間に合わない。 リニアなどもあると想うが、一番簡単なのはタクシーだろう。 タクシー乗り場へつくとすでに何台か待ち構えていた。 口たばこの運転手が愛想良く近づいてきた。この時に気がつくべきだった。 急いでいたのと、多少言葉に自信があったのが災いしたのだ。 行き場所を告げると猛スピードで一路虹橋へ。 上海は20回以上来ているので地震があったのだが、やはり6年以上間があくと 景色様子が変わる。見慣れた標識も新しいものになっていた。 虹橋空港が国内線と国際線に別れたのは予め知っていた。 それは乗車時に運転手にも伝えている。 「国際線ターミナルへ連れて行ってくれ」と。 以前の虹橋空港の場所が国際線になっているはずなのだが、 高速道路を降りてから違う路を走り始める。 運転手に何度も確かめるも、「心配するな、間違いない」と言う。 果たして到着したのは国内線ターミナル。暫く来ていないので建物も変わったのか?? 料金も200元で足りるはずなのに、220元ちょっと。明らかにおかしい。 降車時に再度確認するも、あっていると言い通す運転手。 「なにかおかしい」そう想いながら建物の中へ。 ロビーには大きく国内線と書いてあった。騙された。 国内線と国際線の場所は乗る前にざっとは確認していたのだが、 「それほど離れていないな」と感じ、詳しくは調べていなかった。 空港内職員に国際線ターミナルを聞いても怪訝な顔をされるばかり。 「もう少し愛想良くしろよ」 まぁ今考えれば徒歩では行けない訳だから「何を聞いているんだ?」てな表情だったのだろう。 連れ合いの人が「行き方を知っている人がいる」と普通の衣服をきているおっちゃんを連れてきた。なんでも地上階にあるらしい。 そのおっちゃんが紹介してくれたのは”白タク”。おばちゃんが運転手で待ち構えていた。 おばちゃんに料金を尋ねる 「いくら??10元?」 「あのおっちゃんに聞いてくれ」 私「いくらなの? 」 おっちゃん「3人で100元」 私「はい??何??ふざけるなよ、4~5kmしか離れていないはずだ」 おっちゃん「じゃ一人30元で90で」 私「そんな高い分けないだろう、荷物を下ろす、じゃーなあばよ!」 私たちが荷物を下ろし建物の方に戻ろうとすると「じゃぁ50元で」などと 粘って張り付いてくる。 と、その時シャトルバスのバス停が見えた。 「なんだこんなところにあったのか」ちなみに免費、つまり無料。 久方ぶりに来た上海、また嫌な思いをした。 上海は良い想い出があまりない。一番最初に来た時もツアーガイド(まだビザが必要な頃)と大げんかになった。 シャトルバスはわずか7,8分で国際線まで私たちを連れて行ってくれた。 普段は空港内では食事しないのだが、気がつかれていたのでビールを飲んだ。 ビール2本とこの食事で3,500円ほど。もう上海には自分では来ることはないだろう。 これでカンボジアは終わりです。 来月、また渡台しますのでお楽しみに。 カンボジアの旅もそろそろ終わり。
『台湾の歴史―日台交渉の三百年』 殷 允〓 (編集, 原著), 丸山 勝 (翻訳)という本の中に、興味深い箇所があったので紹介したい。
************************************ 淡水の開港に伴い、伝道のため1871年にこの地に来たカナダ人マッケイ博士は、日記の中で当時の農民を次のように描写している。 「台湾の農民は漢人社会ではまぎれもなく最良の民に属する。彼らの多くは勤勉で篤実で道徳をわきまえ、非礼、背徳の行為をはたらくものは少ない」 「彼らは大自然をそのまま鋳型にしてつくられた人たちであり、英雄の気概を持つものが多い。俗世の財貨を積もうとするものは少ない。斧を手に終日山林の中で働き、夜になると薪を燃やして炊事する煙が、いつも彼らの粗末な家の上に漂うのである」 「彼らは困難に打ち勝ち、荒れた辺境の地を美しく心地よい楽土に変えた。彼らがやたっことは単なる森林開発ではなく、道路を開き、家屋を建て、荒涼たる沼沢を黄金色の良田に変えたことであった」 台湾社会の研究者・陳基南教授の指摘によると、百年余にわたる開拓を経て台湾は早くも集落を中心とする開拓移民社会を形成し、1860年代には、都市や街を中心とし、宗族組織を具えた農業社会の形態にまで発展を遂げていた。 清政府は効率的管理のために引き続き行政組織を拡大し、1860年代には三府三庁十一県を擁するまでになった。その大部分は漢人が集まり住むとしと町を中心としていた。これらの都市と町は早くもそれぞれの特色を持ち始めていた。後に打狗(現在の高雄)税関常駐のイギリス副領事になったロバート・スィンホウは、当時の主な庁県の模様を以下のように描写している。 「鳳山県(現在の高雄、屏東一帯を含む)には広大な未開発地が残っている。 竹と果物を多く産し、土地の水質はきわめて良好。漢人は水路を利用して貨物を運ぶ。道路は広く、交通手段はもっぱら牛である。鳳山県の管理圏の周囲は次第に移民と原住民の混在地になっていった。この地域の移民は大部分が広東から渡ってきた遊民である。喧嘩や訴訟を好み、生活は一定せず、目標らしきものをもたない」 「嘉義県はかつて諸羅と呼ばれた。土地は肥沃であり、稲の籾を蒔いておけば、あまり手入れをしなくともひとりでに実ほどである。この地の住民も喧嘩早く、ちょっとした言葉から悶着が起き、また一言であっさり仲直りすることが珍しくない。義侠心を尊び、着るものをひけらかし、華美を競うことを好む。婚姻にさいしては相手の嫁入り道具や結納金をうるさく言う。このような悪しき風習はいっこうになくならない。 「彼らの良い面は大変な客好きであることだ。土地不案内な旅人がやってきて門を叩きさえすれば、ねんごろにもてなすのが当たり前になっている。 「台湾県(現在の台南一帯)には土地は無限にあったが、古くから開拓されたために土地に衰退の兆しがすれに現れており、一年に一度しか収穫できなくなった。この地の民衆は服装やアクセサリーへの関心が強い。おtこは戸外で農作業を受け持ち、女はもっぱら刺繍をしてすごす」 ************************************* ちなみに台湾で最初に発展していったのは現在の台南、嘉義あたりである。(海岸線は現在よりもっと内側だった)中国大陸から台湾へ向かう場合多くは澎湖島にひとまず行き、その後台湾へと向かった。地図を見て頂くとわかると想うが、一番近くて行きやすそうなところがその辺りだったわけだ。 あともう一つ。台湾の田舎にいくとよく牛を見かけると想う。もともと牛は台湾にはいなかったらしい。オランダ統治時代に農業開発のため、大陸やインドから輸入された。それが原野に逃げ繁殖したという。
近頃、徐々に自分の時間を取り戻すよう努力している。
ついこの間、某中央図書館に行った。 予めネットにて会員登録し、図書館にてカードを発行してもらった。 当たり前のことではあるがものすごい本の数。 それも到底個人では購入できないようなものが多い。 一般的には受けない、情報の“点”を掘り下げた書籍がたくさんある。 歴史、言語、地域等、読みたいものばかり。 大学へ通っていた頃、図書館が好きで良く行ってはいたが、もっぱら レポートを書くために数冊借りては必要箇所だけを読んでいただけ。 図書館の持つ魅力実力に気がつかなかった。 本は大好きで、新書古書問わずに買い集めていたが、 これも考え方を改めるべきだと感じた。 自分の住む地域に無料、少額で貸し出してくれる施設があるのならば、 読んでみたい書籍がそこで借りられるかを確認したほうがよさそうだ。 参考書学習書など、手元にないと困るようなものならば 購入し自宅の書架に並べる必要もあるのだろうが、伝記や小説等ならば ネットが使えるこの時代、概要は直ぐに解るし、また著者が好きで どうしても読みたく傍らに置きたいということを別にして、無理に購入、自分の荷物を多くする必要もないような気がしてきた。図書館などの公共施設を利用、活用すれば十中八九該当書籍が見つかるだろう。 もっと早く気がついてれば、もっとたくさんの本達と出会えたはずだ。 世の中には身近で知らないことがやはりたくさんある。 自分の時間を持つことを忘れず、日々何事にも興味を持つことに努めれば、 人生必ず充実し楽しいものになるのだと想う。 |
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