忍者ブログ
ブログ内の写真はクリックすると拡大表示されますので、是非ご覧になってください。 写真サイトは こちら http://nisrockjp.exblog.jp/
[14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

台南駅に着きました。



台北行きのバスも直ぐ近くにバス停があります。



豚が寝てます……

って通れないじゃない!(またぎましたが)

 
我在網上訂的台南飯店,沒想到那麼又便宜又乾淨!








約束通り、我去了上閤屋門口等著認識來,我約了跟他們一起吃飯







今晚八點也有約。

続く





PR
台中駅、台鉄から高鉄の乗換通路

 
ここの乗換は難しくないです。
プラットホームから上にあがって、改札抜けたら標識通りに歩いて行くだけ。

台南駅での乗換






いいですね、趣があって。




高鉄台南駅は 台鐵 沙崙火車站です。



続く










最近、今年の末にまた台湾へ行こうとチケットの価格を毎日確認している。

例年だとチャイナエアライン往路午前復路午後のチケットが総額、6万円後半で買えていた。
高くても8万止まり。ところが今年は1月4日が日曜日で帰国が集中するのと、台湾旅行が人気がでてきたのか、全然下がる気配が無い。“午前午後”チケットは9万円台である。
いくら好きだからってちょっと高すぎ。

昼間にいつも使っている代理店に電話してみたが、完全に売り切れているとのこと。

さて困った。

トランスアジア(復興航空)のチケットがまだ購入出来るようだが、なんとなく気が乗らない。
台湾国内ではいつも双発機にお世話にはなっているのだが。

仕事から戻り、またチケットの検索をかける。しかし……無い。

なんだか探すのが面倒になってきた。

復校航空は成田桃園間を飛んでいる。
近頃は羽田ばかり利用しているので、この点も気の引ける理由の1つ。
第一、復路 08:10 桃園空港なんて、考えられない。かったるい。
ホテル代が一日余計にかかるだけのような状況だ。
空港までのタクシー代もかかるし。

もう一度考え直し、探し続ける。

20分経過




30分経過。もう駄目、探し続けられない。面倒。


結局、復興航空でいくことに決めた。
さてどうせ、乗るのなら、マイルをためたい。
会員になったほうが座席指定も容易のようだし。

代理店価格と復興航空のwebサイト、チケットの価格差があるのか調べたら
全くなし。ならば先に会員になって復興航空のサイトで購入したほうが
後々楽であろう。

「トランスアジア マイル 会員」なんて検索欄にいれてgoogleで調べてみる。
なんと日本語サイトでは、現在会員登録できないらしい。
以前、台湾国内で飛行に乗る時、会員になれないかと繁体字のページを調べてみたのだが、
出来なかった記憶がある。(台湾国民の身分番号を入れるか箇所しかなっかった記憶が)

でも、国際便を就航させたのだから、もしかしたらあるかもと思い、繁体字ページを覗く。

あった。パスポートナンバーを入れる箇所が。

OK。これで会員登録できる。

無事終了。チケットの確認後、往路の座席指定も行う。復路は100日前にならないと出来ないらしく、出来なかった。あとでやりましょう。

さて、どんな感じなのか楽しみである。
どうせ飛行機の中なんて、映画見ないし、本を読んでいるだけ。
無事にたどり着いてくれればそれでよし。

次回は、彰化旅行の続きを書きます。

写真は以前桃園に泊まった時の写真

































もう少しゆったりと旅行をしたいものだ。

今回の旅は三泊四日。

旅程は

一日目松山に着いてすぐに台南へ向かう。
二日目は彰化で一泊。
三日目は台北に戻ってきて、ゆっくり休む。

松山到着。10:00の予定が09:30ごろ到着



到着日、日曜日なので、空港で少し両替する。レートがすこぶる悪い。



空港で、頼まれた荷物を高雄まで送るため、黒猫(ヤマト運輸)に行く。
その後、中華電信にて加値(携帯のリチャージ)

捷運に乗り台北駅へ。日本人が多い。悠遊卡がどこで買えるのかを聞かれた。


台北駅でネットで予約した切符三枚をもらい受ける。
新幹線(今回は高鐵台中-高鐵台南)ももらいに行く。
こういった点、台湾は本当に便利。乗り継ぎ時に慌てることはない。




普悠瑪號にのりました。



今回の台湾、もともと彰化、鹿港に行く旅行であった。直前になって台南に予定が入り、急遽予定を変更。普悠瑪號は西側 彰化が終点。彰化からもう一度台鉄に乗り換えるのも考えたのだが、時間が許さず。仕方なく、台中で区間車に乗換、新烏日站に向かう。





続く



















入院している間に「夏目漱石 坊ちゃん」を読み終えた。
まったく興味が無かったのだが、司馬遼太郎が、ある本の中で絶賛していたのを
思い出し、買ってきてもらった。

文章の調子が良い。生き生きとしている。
これほど面白いとは思わなかった。

”食わず嫌い”は世の中を狭くするし、人生の喜びを広げられない。

様々なことに興味が無いのは、それを知らないから。
知らないという壁を越えた先には、無限の楽しさが待っている。
何もせず、「興味が無い」と言っているのは実は興味が無いのでは無く、
楽しむことが解らないのである。楽しみでは無く、「楽しむ」事をだ。

向き不向きもあるだろう。

体型的、肉体的なら超えられない壁もあるかもしれない。
しかし、楽しむといった観点で言えば、そこが理由とはならないはずだ。
大体にして、やりもせず、嫌いだの、向いていないだのと言って決めつけているのは
当の本人である。

性格だって変えようと思えば変えられる。他の誰かが自分の性格を決めつけている訳では無い。
生まれつきの性格というものもあるが、それを修正できることが大人になるというものだ。

運命が決まっているというのなら、努力なんてしないほうがいい。
行き先が決まっているのなら、それに任せてしまったほうが楽だ。

9日

退院当日。

 
朝早く起こされ、「荷物を持ってロビーに行ってください」と言われる。
要するに次が控えているのであろう。

一泊2万円もするホテルなら、こんなことされないと思うのだが。


祝退院
 
おまけ

病院に置いてあった貸し出し書籍
みんなこんなのばっか読みたいんだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4日

午後にCT検査。

液体を飲まされる。
車いすに乗って12階から3階へ行く途中、自分の病気について看護婦に聞いてみた。

なんでも肝機能値が4桁らしい。普通の人はどのくらい?と聞くと

「2桁です」とのこと。

5日

よく寝た。ひたすら眠い。

酒を飲んでいる夢を見た。京都のお座敷バーのようなところで。

従業員の方々が、いろいろ持ってきてくれた。
サクランボ、桃、チョコ、パイナップル等。
ついでに早く退院してくれと言われた。店長がシンデシマウト。

夜食後。となりの人が看護婦に文句を言っている。
この人いつも文句を言っている。
しかし、看護婦クレーム対応がすごい。隙が無い。勉強になる。

6日

同室の人を紹介する。私の他は4人。

私の前の人。一日中寝ている。歯磨きしながら寝てしまう。病名解らず。

私の隣の人。いつも怒っている。文句ばかり言っている。夜になると煎餅をボリボリ食べている。

斜め前の人。インスリンをいつも打っている。ごろごろばかり。

隣のオヤジ、再び怒り始めた。点滴の時間が気に入らないらしい。舌打ち、机をドンドンたたく。いい加減にしろ!


主治医がみえた。肝臓がすこぶる悪く、酒を止めろと言われた。

これから先、仕事のことも考えなければいけないと思う。
あまり身体を動かさないで稼ぐこと考えなければ。
毎朝、肝臓の働きを促進させる薬を打つ。これが本当に嫌だ。人が作った薬なんて、神が創造した人間には入れてはいけないと想う。今世の経験を活かして来世は活きよう。

作家にもなってみたい。大学にいってしっかりと勉強してみたい。

たくさんの人々が見舞いに来てくれた。これだけ集まってくれた人々の為にも、誠実に生きよう。

ハングル能力検定の結果通知が来た。なんとか3級合格。


今日は金曜日、明日明後日は病院は静かであろう。24時間点滴から解放された。仰向けのままとうつぶせになれるというのは、まるきり違う。

点滴棒が無くなったせいで天井が広く感じられる。
この天井が「一泊3万」の天井なんだ。現在の駐車場、公営のものを借りているので一ヶ月5,000円。この差はなんなんだ。

これから一所懸命勉強して医者にでもなろうか?医者になって貧民のための最高の病院をつくろう。一介の医者ではそんなことは無理だろうか?
ならば市長になるか?いや市長でもむりかもな。ならば首相になるか。首相なら出来るだろう……

考えたところで夢の夢の話。

私に出来ることはせめて病気にならないことぐらいか。

7日

朝寝付いたのが午前1:00。
隣のオヤジの点滴アラームが3:00に鳴った。5:00にも鳴った。寝られるわけが無い。

アラームだけならまだしも、そのほかトイレに行くために四六時中ナースコールをする。
嫌がらせとしか思えない。

しかし、看護婦側も横の連絡が出来ていないため、隣のオヤジが怒りまくるのも理解は出来るようになった。

8日

入院している間、勉強ばかりしいていた。英語少しは身についたのであろうか。
本日日曜日。看護師達も休みが多いらしい。静かである。
「今日は人手がたりないの」と言っていった。


続く









入院時の日記より

某月28日

友人James来日。久々に一緒に飲む。彼が持ってきたテキーラ……いやラムだったか、とにかく
アルコール度数が高い物だ。ガンガン飲んだ。

帰宅時、まっすぐ歩けない。大きな木に激突。けど痛くなかった。
その後の記憶は全くなし。

29日

仕事に行った。つらい、ツライ、とってもつらい。自業自得。
豆腐、釜揚げうどん、すべて吐出。

30日

朝四時。未だつらい。顔面蒼白。堪えられず従業員に迎えにきてもらった。
行き先は病院。本当は別のところに行きたかったのだが、自宅マンションから近いといった理由で
海辺近くの○○○○系病院にいった。
救急は連絡がないかぎり無理だといわれたが、なんとかお願いする。
点滴、検査、即入院と言われた。肝機能値がやたら高いとのこと。
個室を紹介される、当時一泊4万円。余計具合が悪くなるから帰るというと、四人部屋を紹介された。なんだあるじゃん。
一泊三万円、当時韓国旅行2泊3日、一晩の値段でいけます。ふざけるな~

某月1日

高校からの親友が見舞いに来た。その取り巻きも来た。
いっぱい来た。同フロアーのロビーで談笑……いや馬鹿笑い。
その時私は歩行禁止の身分。

2日

同フロアーのナースカウンターを背をかがめて通り抜ける。
何度とやっていたら何度も怒られた。

朝食が来ない。定刻より遅れること40分やっと到着。
噛み終わらないまま、部屋の移動を命じられる。
ここでは絶対服従。
ここから先は当時韓国語を勉強していたせいで全てハングルで書いてある。割愛。

3日

どうしてもコインランドリーに行きたくて、また”関所ナースたまり場“をくぐり抜け
エレベーターへ乗る。確かB1。行ったらB3で洗剤を買ってこいと書いてある。
ここは病院か??

歩いているのが見つかる。めちゃめちゃ怒られる。以後の行動に影響。



続く



第四回 彰化と台南 三泊四日の旅。

楽しみながら計画を立てていたのだが、用事がいっぺんに出来てしまい、
行動が決まってしまった。


無念。。。



第一日目

台北 松山機場

普悠瑪  271  山 花蓮→彰化 12:30 14:34 02小時04分  $ 415
このチケットは既に決済済。キャンセルも出来るのだが普悠瑪號は乗りたかったので、このまま行くことにする。

一日目予約したホテルは、連絡し台湾二日目の宿泊へと変更してもらった。
普悠瑪號、台北より西側は彰化までしかない。よって彰化で乗り換えということになる。


彰化で乗り換え
(時間は彰化発台南着)

莒光  551  海 花蓮→高雄 14:39 16:59 02小時20分  $ 249  
自強 125  山 七堵→屏東 15:36 17:12 01小時36分  $ 323  
莒光 513  山 七堵→高雄 15:48 18:04 02小時16分  $ 249  
自強 131  山 七堵→高雄 16:31 18:07 01小時36分 逢週日行駛。 $ 323  
自強 133  山 基隆→高雄 16:51 18:17 01小時26分 逢週日行駛。 $ 323

台南18:00の約束なので上から二列目までが乗換対象。

たった今台鉄のチケット購入ページで予約しようとしたのだが、551 125 共に売り切れ。
彰化-台南間はバスがないので、普悠瑪を新烏日站で降り、新幹線に乗り換えることにした。

普悠瑪號は14:20に新烏日站に到着予定。乗換はチケットを窓口に取りに行くのを含め20分みていれば余裕であろう。

(時間は 高鐵台中発 高鐵台南着)

661     14:38  15:19
701     15:01  15:43
705     15:38  16:19

661に乗り換えたいが台鉄が遅れた時のことを考えると少しきついかも。

今、701を予約、購入。早割10%でNT$ 635。

高鐵台南站から沙崙火車站へ移動し台鐵に乗り換え、台南火車站を目指す。
所要時間25分程度。

區間車  3748  - 沙崙→南科 16:00 16:23 00小時23分  $ 25  
區間車  3752  - 沙崙→臺南 16:32 16:58 00小時26分  $ 25  
區間車  3754  - 沙崙→南科 17:00 17:23 00小時23分  $ 25 

上記3748に間に合わないと3752、台南到着17:00。間に合わない場合タクシーで
行ってみるか。googleだと目標地点まで15kmほど。NT$ 350以下で到着するのではないだろうか。

台南で一日目宿泊。

二日目は彰化に戻るのだが、列車が朝早くにない。05::00以降で検索すると以下の通り。

自強 108  山 屏東→七堵 06:51 08:35 01小時44分  $ 323  
莒光 506  山 高雄→七堵 07:12 09:40 02小時28分  $ 249  
自強 112  海 高雄→基隆 07:33 09:13 01小時40分  $ 323  
莒光 508  海 屏東→七堵 08:16 10:40 02小時24分  $ 249  
自強 114  山 屏東→七堵 08:36 10:15 01小時39分  $ 323  
自強 116  山 屏東→七堵 09:36 11:15 01小時39分  $ 323  

ちなみに高鐵は

302     06:43  07:25
604     06:51  07:34
1304   06:57  07:38
608     07:15  07:58
612     07:49  08:32

高鐵の駅から台鉄への乗換などを考えると結局同じ時間ぐらいかかる。移動料金はタクシー使うと倍以上。ここは108か112に乗った方が良さそうである。
 
とうことで今 112 を購入。自強號は売り切れがはやいのと、行ってから購入だと窓口で並んだり、到着直後のは買えないことが多いため、いずれにしても待たなければいけなくなる事が多い。

先に買えば割引にもなる。時間に余裕があれば、基本的には行き当たりばったりがすきなのだが、短い日程だとどうしても効率を優先したい。


09:13分彰化到着予定。決まっているホテルに荷物を置いてレンタルバイクを借りる。
 
二日目は彰化で一泊。

第三日目

午前中は彰化を見て回り、午後には台北に戻ろう。台北のホテルが15:00チェックインだから、その頃に戻る列車をさがす。

自強 170  山 嘉義→花蓮 07:12 09:55 02小時43分  $ 415  
太魯閣 280  山 斗六→花蓮 07:41 09:36 01小時55分  $ 415  
自強 108  山 屏東→七堵 08:37 11:10 02小時33分  $ 415  
自強 112  海 高雄→基隆 09:15 12:00 02小時45分 $ 415  
區間車 2112  山 斗六→基隆 09:21 12:41 03小時20分 $ 267  
莒光 506  山 高雄→七堵 09:43 13:12 03小時29分 $ 320  
自強 114  山 屏東→七堵 10:17 12:50 02小時33分  $ 415  
莒光 508  海 屏東→七堵 10:43 14:12 03小時29分  $ 320  
自強 116  山 屏東→七堵 11:17 13:50 02小時33分  $ 415  
莒光 510  海 高雄→七堵 11:58 15:09 03小時11分 $ 320  
自強 118  山 高雄→七堵 12:17 14:50 02小時33分 $ 415  

最後の 118 が丁度良い。

ってことで、これも予約決済できた。

これで移動は確保できた。

予約した行動が出来ない場合は、その時に払い戻しなり、買い直しなりすれば済む。

この辺り台湾は本当に心配が無い。正直、今まで困ったことがない。
別にあちらの親切心を裏切って何とかしているわけではない。
真面目に接すれば台湾の人々も正直に接していてくれるだけだ。
この当たり前のことが現代の日本には無くなってきたように思える。

最終日は友人に会おうか。翌日、帰国便搭乗前はいつもの本屋に行って時間をつぶそう。
これできまり。


次は実際の報告日記を待ってください。





   
   
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
身の回りにある道具。
その殆どが10年以上の物。

ソケットレンチ、ドライバー、包丁、
カメラ周辺機器……

衣服、バッグ、文房具等はもっと長い。
30年以上使っているはさみも存在している。

道具を買う時は値段だけで判断しない。
安くて長く使える物は、なかなか存在しないが、
高ければ良いというものでも無い。

昔、海外旅行に初めて行った時買ったブランドのサングラス。
当時3万以上した。その時はブランドとデザインだけに
取り憑かれて購入してしまったが、今改めてみてみると
作り方が非常に雑。レイバンのサングラスなんて今じゃ三分の一の値段で買えるけど
こちらのほうが断然良い。

道具は使って初めて生きる。
増えた道具は、定期的に皆使っている。
道具は使ってあげないと、可愛がってあげないと馴染んでこない。

また使い方も愛情を持って使う。
例えば包丁なんか金属の上では決してつかわない。
当たり前の話。大雑把に使って良い道具もある。
鉈などは、細かい仕事が要求されている道具ではない。
男らしく豪快に使う道具だと思う。
ただ、使い終わった後は、手入れをきちんとする。
錆びさせたり、刃を欠けさせたりするような使い方はしない。

バッグなど糸がほつれたり、取っ手が取れかかってくれば、
下手ながら自分で補修する。
本棚が壊れていれば、無論自分で修理する。


先ずは壊さないように上手に使う。
経年劣化をも考えながら使う。
本体が完全に壊れる前に、補修部品を用意する。そして”味”のある道具にすべく可愛がってあげる。

以上、別段大変なことではない。確かに馴れ不慣れはあるかもしれない。
このようなことが好きか嫌いかも関係してくる。

でも間違いなく言えるのは、時間だけはお金で買えないかけがえのない物。
お金には未来を短縮させる力があるかもしれないが、人間の過去の信用、生き様を、やり直せる力は無い。有ったとしても偽りで塗りたくることが出来るだけである。

人は物ではないが、対象人物の物に対する接し方から、その人の根本的な行動様式が読み取れることは間違いない。




山下公園で毎週ナンパを繰り返している友人がいた。

成功率95%。まずはずさない。

ナンパした後は、小田原、箱根、伊豆、修善寺、要するに西にドライブ。
明け方の湘南を帰ってくるのである。

もちろん気分が乗れば、そのまま静岡・日本平だって行った。

しかし毎週ガソリン代を捻出するのは大変である。
たまには近郊で済ましてしまいたい時だってあるわけだ。

ある日、いつも通り山下公園へ行くと、“常連”ではなく“友人”たちと出会った。
それぞれ今日の彼女を探し、さてどこへ行ったら良いだろうかと考える。
だが、カネがない。

一人が「良いところがある!」と叫んだ。




皆、彼の車について行く。
着いた先は緑区の某場所、住宅街。

「どこここ?」

連れてきた彼は全員共通の友人の名を挙げ
「確かあいつ今日バイトって言ってた。あいつのことだから鍵どっかに隠してあるんじゃない?」

皆で探す。


ポストの内側から鍵が見つかった。


勝手に開ける。


総勢10名、冷蔵庫はすっかりカラになり買い足し、また飲んで騒ぐ。
そのうち疲れて、皆眠りについた。


翌朝、友人が帰ってきた。
鍵が開いていることに驚き、玄関に山積みになっている靴に目が丸くなる。

ドアの音に気づき玄関にでできた、乱稚気一味の一人。

「遅かったじゃん、待っていたんだよ、おまえが帰ってくるのを」



台湾留学生の引っ越しを以前頼まれた。

思えばアルバイトの引っ越しを何回手伝ったであろうか。
留学生バイトの引っ越しは何度も経験している。



桜木町から東京杉並へ。

ごちそうしてもらった。


杉並引っ越し先は一方通行ばかり。彼は住所は解らないが、周辺に行けば解ると言っていた。





進んでも進んでも「この辺だと思う」との返答。



全く見つからない引っ越し先。


彼は言った

「部屋がどこだかわからない」

「・・・・・・・・・・・・・・・」





野球少年は休み無く動いていた。
自分の時間が全くなく、填められて動いていた。

山裏“基地”を作るのが大好きであった。
隠れているのが。

雨は大好き。

朝無理して起きなくていいばかりか、雨音が睡眠をさそう。
空の暗さも周囲を静かにしてくれる。







父親が何故、少年野球に携わったのかわからない。
近所の酒屋に集まる人々がコーチでその酒屋の主が監督だったから、飲んでいる最中、出た話が現実化しただけなのかも。

毎週、日曜日は野球、土曜日は習字と休みなしの生活を少年は送っていた。
日曜日、野球に行きたくないと駄々をこねていると布団で簀巻きにされ、蹴飛ばされた。

土曜日は学校が午前中で終わった。二時からの習字のために、その間遊びに行くことは出来ない。
FMラジオで音楽を前半部を聞き、後半はテープに録音という生活を繰り返した。

早く自分の時間が欲しかった。彼は昇級すれば直ぐに辞められるはずとの思いから、小学4年生ぐらいには、所属していた書道界小学生の部で最高の特待生になっていた。

少年は父親に対し、良い想い出が一つも無い。
思い出すのは嫌な思い出だけ。

伊豆だか修善寺だか、とにかく行楽地に出かけた時、そこでおもちゃを買ってもらった。
円形の2本のパイプに取っ手がついていて、その真ん中をボールが行き来する玩具。

滅多に買ってくれない父が買ってくれたおもちゃ。彼は楽しくて楽しくてずっと帰ってきてからも遊んでいた。本来なら喜ぶであろう父が、口頭で注意する手順を踏まず、いきなりパイプをぐしゃぐしゃにした。

父の仕事場で整理棚を移動するから手伝って欲しいと言われた。
学校、習字、野球と自由時間なく彼は本意は行きたくない。またどうせ行って手伝っても当たり前の顔をされるだけだし、怒られる可能性が増えるだけ。しかし断る手立てはない。

小学生には大きすぎる金属製の整理棚を父親と一緒に運んでいる最中、重かったのか、足下に何かがあったのか少し蹌踉けた。その時「もっとしっかり持てよ!」と父の蹴りが整理棚の下から飛んできた。

父は酒飲み仲間の中で、自慢したかったのか、彼に野球を一所懸命やれとしつこく言った。

練習で失敗すると、帰ってきてから特訓……というより、いびりが始まる。

薄暗い中でボールを追うというのは大変。少し速いボールなどまったく見えない。
キャッチボールは遠投から始まり、間合いを詰めていった。
5mぐらいまで近づいた時、父はいきなり、ボールを力一杯彼めがけ投げつけた。
当然彼は取れない。顔面にボールがぶつかった。

今、思い出しても、八つ当たり、憂さ晴らし以外の何物でもない。

父親は何かを教えていたわけではない。経験の無い者に自分と同等以上の物を要求し、かつ自分の気分のみで正誤を換え、恐怖によって黙らせていただけ。
両親を早くに亡くした父は、兄弟に養われた。愛情を持って育てられなかったのかもしれない。
自分に経験がないということは、父自身の自信の強弱につながり、人に頭を下げられない歳まで成長してしまった結果、考え方、他に対しての言動の仕方が父自身の中では完結をみるも、正道ではない方向にまっすぐと突き進んでしまったのかもしれない。

 けれども 反面教師という意味においては少年には役に立ったのであろう。

今から25年前くらい、一人のバイトの少年が、紹介で働くことになった。

「なばちゃん」

すごくまじめな少年。
今まで勉強ばかりやっていた感じ、線が細い男の子。
眼鏡がまた分厚い。クルリとした目が印象的だった。

現代のガリ勉てな印象はなく、育ちが良い感じ。
人見知りでもないし、明るい性格。
うちを辞めた後も順調に躍進し、一部上場の企業に就職した。
(空調制御は国内首位)

そんな彼、ある時、彼女に誕生日プレゼントを買うために、
うちの店と平行して日雇い労働、いわゆるドカタの仕事を暫しやっていた。

「聞いてください。親方、頭がワルイカラ僕の名前覚えてくれないんです。
いつもいつも、僕のこと“おい!メガネ!”って呼ぶわけですよ。
最初はカチンと来ましたが、これも彼女の為、我慢して一所懸命働いていました。
なんだかそのうちメガネ!って呼ばれるもの馴れてきた頃、仕事も覚えだし
親方も気を遣ってくれるようになったんです。まぁアタマの記憶力はどうにもならなかったようですけど。」

彼は話続ける

「一度、仕事に追われて忙しい時があり、バイトがたくさん入って来て、親方仕事に追われるは、
仕事を割り振るにもバイトの名前を覚えられないわで、テンパってしまって……。忙しくなるとと、ほら、みんな余裕が無くなるじゃないですか、親方もまさにそう!言葉は荒くなるし、主語が欠落するし、こちらとしてはもう何を言っているのかわからないんです。それに名前を間違えて呼ぶのだけれど、それを認めたくないもんだから、余計に話がこじれる。言った言わないの世界。」


「それでバイトの中では短期間で馴れた部類の僕、そう親方にもだんだん優しく接してもらえるようになり、名前も覚えてもらった僕でさえまたこの時“おい!メガネ!”って呼ばれました!」

「まぁ人間余裕が無くなるとそうなるのかなぁ~。反面教師にしなくちゃ」

「で、そのとき僕は “はい!ナンですか!親方?”  て言ったら……」



「んで、親方なんて言ったの?」






「おまえじゃない!おまえはメガネ一号、俺が呼んだのはメガネ二号だ!」
 
んなのわかるかい!!
 
 
 
 

中学一年生の時、教室が音楽室の隣だった。
放課後になると音楽部の生徒が集まり、歌を歌う。

少年は、当時サッカー部に属していた。部活が終わり着替える為、教室に戻ると丁度、音楽部が帰り始める頃。いつしか良く出会う先輩が出来た。

一学年上の先輩。音楽部の副部長。
きっかけが何だったのかは思い出せないが、彼女と付き合いだした。

古い話である。交換日記なんてしていた。

携帯、PC、インターネットなんて無い時代の話だ。
悪くもないがまじめでもなかった少年。
当時、足が二本入りそうなズボンに上着が歩いているような学ランを着ていた少年は、
彼女の家に”およばれ”される時だけは”余所行きの服と言葉”を身にまとって訪れていた。

少年の家は吹けば飛ぶようなトタン張りの小屋。
彼女の家は庭付き車庫付き二階建て屋敷。
二階の部屋に彼女のお母さんが心配なのか、様子伺いがてら飲み物を運んでくれる。
わざと階段の足音を大きくしながら。

彼女の部屋で勉強を教えてもらったり、色々な話を聞かせてくれた。
彼女は中島みゆきが大好きで、少年も感化されオールナイトニッポンを聞くようになった。
中島みゆきが好きと言うだけあって、日記の文章も日頃の言動も気持ちがたくさん詰まっていた。
 
一年ぐらい付き合っていただろうか。彼女が卒業と同時に会う機会が少なくなっていった。
少年も二年生になり、後輩がたくさん入学してたのと、同学年にもチヤホヤされ始め、気が回らなくなっていったのかも。

いつしか大切にしていた日記も無くなっていた。
しかし、誕生日にもらった名前入りのタオルを成人してもなお暫くの間、持っていたという。
何故なのか。

きっと子供ながらも誠実さと実直な所を感じていたのだと思う。

上辺だけではない何かを。

もっと年齢が上で、経験が豊富なら、他の人々と比較することが出来ていたのかもしれない。世の中で大切な物、人間の中身を持っている人は誰なのかが。
 


 
 
  
  


忍者ブログ [PR]
カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
最新CM
[02/11 たなかっち]
[04/02 食べ太郎]
[06/28 さとう まさひこ]
[03/28 NONAME]
[03/20 台湾大好っ子]
[12/31 コバヤシJ]
[11/12 鶏肉ごはーん]
[11/11 台湾大好きさん]
最新TB
プロフィール
HN:
nisrock
性別:
男性
バーコード
ブログ内検索
カウンター