ブログ内の写真はクリックすると拡大表示されますので、是非ご覧になってください。
写真サイトは こちら http://nisrockjp.exblog.jp/
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
2003/11/25
日経春秋より **************** 駅頭で、町中で、若者達がそろいもそろって 必死で携帯電話をにらんでボタンを押し続けている様は、いささか気味が悪い。 比較行動学の正高信男・京大霊長類研究所教授は この現象を「コミュニケーションのサル化」だとみる。 3分前まで一緒にいた友達に送る携帯メールに 何か具体的なメッセージが込められているわけはない。 ただひたすらいつも誰かとつながっていたい。 そんな不安が、飛び交うメールの背後にはある。 十代の若者が番号を登録しているメル友の数は40代のそれの10倍以上という。 サルの仲間では最大級の大きな群れをつくるニホンザル 彼らには「クー」と鳴きあうクーコール」という コミュニケーションがある。 これは意志の伝達でも、警報などの情報通信でもない。 森の中で姿が見えない同士が存在を確認し合い、情緒的につながって 安心を得るシステムだ。 正高さんは近著「ケータイを持ったサル」の中で 若者の携帯メールに、このクーコールを重ねている。 最も原始的で最も私的な言語であるクーコールの方向へと若者が回帰している以上 意味を伝える社会的な言葉、公の日本語が乱れるのは防ぎようがないと....。 来年の干支はサル、年賀状の図柄に、携帯電話をもつサルが登場するのはまず間違いない。 **************** 私も数年前から、同じような事を感じていた。 現代は「無責任」の時代だと感じる。 世の中にいる年配者たちは、怒る事をしない。 別に怒る事を奨励するわけではないが 昔は近所のおじさんやおばさん、学校の先生や親戚達。 みんな年上の人達は口うるさかった。 たしかに個人を尊重し、良いところを伸ばすためには なんでも好きにやらせる事も大事だと思う。 しかし、それは基本的な倫理観や道徳観がそなわって初めて功を奏すわけであって 幼い頃から自由奔放という言葉をかりた『ほったらかし状態』で育った子供達に 目標を乗り越える力や仲間達と協調する気持ちが宿るのであろうか? けじめ無く才能を開花させたとしても 人間性を問われてしまえば、無用の長物では無いのだろうか? 核家族化がすすみ、一人っ子が増え、近所付き合いは減り、一人で過ごす時間が 多くなった子供達がコミュニケーションの取り方を覚える事はない。 いつでも電源を入れれば付き合ってくれ、やめたいとき、やり直したいときはリセットボタンを押す。 子供達はゲームをやるときと同じように、人に対して、社会にたいして、わがままになる。 自分自身を制御できない子供達は、自らを高める努力はしなくなり 自らの限界を定め、「私は私、僕は僕」の立場をとる。 本来、人間形成された人間が、その個性、感性を強調するときに使う代名詞が 向上心をなくしている人間の逃げ口上になる。 自分を肯定してくれる人物を常に捜し、群れを成したがる。 集まって切磋琢磨するような仲間ではなく、傷をなめ合う子犬のように群れる。 「私は一人ではない、僕は一人ではない」。 自分をひとりぼっちにしないため、大勢の味方をつけて虚勢を張りたいため 今日も若者達ははメールを打ち続ける。 無言で俯いたまま。 PR 中年のおばさんも、またあおばあさんも、なぜかおしゃべりな人がいて、いろいろなときにあまり関係のなさそうな人に話しかけているように見える。 スーパーで揚げ物のおかずを買っていたら、 「あんた、それおいしくないよ。どうやってたべるの?」 と、隣にいたおばさんに突然言われて、親切なのか余計なお世話なのかよくわからない。 「カツ丼にしようかと思って……」 などと気弱に答えて 「ふーん。ならいいか」 と、解放してもらうというようなことがよくある。 話がはじまるというのには、人も関係があるのだが、状況にもよる。 新幹線の中では、通勤電車の中よりも、話が始まりやすい。国内線より国際線のほうが、会話をしやすい。長い時間や、非日常的な時間は、おしゃべりを生み出しやすい。滅多に日本人のいない国にいると、日本人であると言うそれだけの理由で話をしたくなったりする。日本語で自由に話すことに飢えている。 危機的状況でも、会話は自然発生する。停電で閉じ込められたエレベータの中、急停止した電車の中、夕立で降り込められた駅の出口、火事や交通事故の野次馬たち。 商売によっては、そういう雑談を含めたサービスというのがある。タクシーの運転手とは会話を楽しむというひとがいる。床屋では、初めての客にアンケートを取るところがあるのだが、その中の質問項目に、好みの話題は何ですか、というのがあった。何だかサービスのしすぎのような気がする。看護師というのは、おしゃべりの技術が必要な仕事だろう。病人たちの何気ない話しかけに対して、ある程度真摯に聞き届け、ある程度はいい加減に聞き流す。また適切な問いかけをはさむ。話題の選択やことばづかいの適切さも必要だろう。 ******************** 接客商売の方々は、太字で書かれている部分が身についている。誰に教えられたわけでもなく、経験上習慣化しているのであろう。 事務職、技術職等、普段未知の人と接する機会が少ない人は、不得手な方が多い。真摯に聞くことが出来ても、相手の考え感じ方も関係なく、自分自身が考える話題の最終結論まで持って行こうとしてしまう。当然、気まずい雰囲気になる。 言いたいことを言うのは結構な事だが、相手の考え方、立ち位置も尊重しなければいけない。 相手の話をまず聞き、理解し、適切な質問をはさみ、冗談を交えながら、徐々に自分の意見感じ方を相手に浸透させていく。もちろん相手の意見を尊重し且つ考え方を理解しながらだ。自分の意見だけのごり押しは許されない。さらに付け加えれば、声音、表情、口調を変化させ、相手を受け入れながら、自分も相手に受け入れてもらうようにする。自分の意見を言いたいのなら、その程度の手順は踏まなければならない。 逆説的に言えば、それだけの事が理解できず、出来ないやらないならば、無闇矢鱈に人に話しかけ、自分自身の主義主張を言うなということ。 第二章 気持ちの良い日本語 合意の原則―あいまいさの源泉 合意の原則というのがある。相手とおなじコトについては強調する。共感を強める。また、相手と異なるコトについては目立たぬようにする、というのだ。要するに、相手と同じように考え、同じように感じているというようにする。 相手が嬉しがっていれば、こちらも嬉しいふりをする。相手が悲しそうであれば、同情を示して一緒に悲しがる。自分が相手と同じ気持ちであることを示す。 取引先の社長が 「雨が降って嫌な天気だね」 と言ったら 「はっきりしない天気が続きますねえ」と 一緒に嘆いたほうがいい。 「今度ゴルフでも一緒にしたいね」 と言うのなら、 「私も是非そうしたいです」 と答えるのが礼儀だし、相手に対して丁寧であろう。 しかし、どうしても一致しない考えを持っているのなら、目立たないようにする。 「あいにくゴルフは苦手で、ご迷惑をおかけしそうですし…」 とか 「いいですねえ。社長はマージャンなんかもなさいますか」 とさりげなく話題を変えていく。 ゴルフに誘われて、 「ゴルフは環境破壊の根源であり、森林伐採、農薬散布には大反対で……」 などと、相手との意見の違いを際立たせるようなことを言ってはいけない。 社交の場では、合意形成のゴールを目指して努力する。 ******************** カウンター越しに聞いていると、このような会話の仕方に慣れていない人が結構多い。 なにも「自分の言いたいことをいうな!」とは言わないが、冗談でも交えて話すべきである。 そう、その冗談も”自分だけが面白い物”ではなく、相手に受け入れられ且つ場を和ます冗談が必要。 そのような話術もなく、隣席の人々に話しかけ、相手の話など聞きもせずに、自分の主義主張自慢話にする人々… 迷惑この上ない。 角川書店“角川ONEテーマ21”から金田一秀穂著『新しい日本語の予習法』という本が出ている。 2003年4月発売、随分と前のものだが今読んでも非常に面白い。 その中から興味深い話を少しずつ紹介したい。 ******************** 「乱れ」より「変化」 ら抜き言葉と言うのが問題になって久しい。「食べられる」と言うべきところを「食べれる」と言ってしまう。 「見れる」や「来れる」もら抜き言葉である。これについてはいろいろ議論があるが、私はら抜きでも構わないと思う。ら抜き言葉は大正時代から現れていて、今に始まったことではない。自然の趨勢である。ら抜きを意識するあまり「帰る」の可能形を「帰られる」にし、「行く」を「行けられる」にしてしまうほうが問題であろう。 「すごい暑い」という言い方は、本当は「すごく暑い」でなければならなかった。ちょっと小難しい言い方をすると、「すごい」は形容詞であり、用言を修飾するときには(動詞や形容詞の前にくるときには)、「すごく」という連用形にしなければならないという決まりがある。ただ「すごい~」という副詞が新しくできたのだと考えれば、「すごい暑い」は文法的に正しいということになる。言葉が乱れているというより、ことばが変化していると考えるほうがいいのではなかろうか。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 私たちが普通の女ことばだと思っているものは、実は、時代と共に変化している流行語であると考えられる。 今オバンくさいと思われていることばは、40年前には、時代の先端を行く女性たちの流行語だった。 かつてビートルズが来日したときのニュース映画を見たことがあるのだが、彼らの泊まっているホテルに集まったミーハーの若い女性たちへのインタビューが興味深かった。 「ビートルズの誰が好きですか」 という、アナウンサーの問いに、 「やっぱり、ポールかしら」 と答える、いわゆる女ことばを使っている。 「何ていうのかしら。とってもすてきだわ」と言う。 当時あっては、とんでもない不良娘だったはずなのだが、今から聞くと、大変上品なおばさんのことばに聞こえてしまったのが面白かった。 おんなことばは変化している。1966年当時には普通に若い娘さんが使っていたことばが、今も使われているかは無視されて、典型的な女性のことばとして考えられている。今は「好きヨネ」ぐらいで、ほかは若い女性にはあまり使われなくなってしまったことばであるようだ。 ******************** ことばは年々変化している。生き続けているのだ。 新製品、新技術、新概念が生まれれば名詞はどんどん増えていくだろうし、よく使われる長い単語は、日に日に短縮されるはず。単語が持つ意味だって、時代時代によって違う。 「言葉づかいがおかしい!」なんて目くじらたてて怒る人を偶に見かけるが、その人だって、当人の親の世代の言葉づかいとは違うはず。”変化”しているのである。寛容に受け止めることができるのは、その人の教養、素養に依るところが大きいのでは。
こんな更新しないblogでも読んでいる方がいるみたいなので
昔のhomepageから抜粋しています。 2002/9/26 この間久々に実家に電話した。 当年にて33になる。 以前、祖母が死ぬ間際、「33歳になったら開けなさい」といった 包丁セットがあるのだが、それを開けたいと言うことだ。 ここで、祖母について少しばかり説明をさせていただこう。 母側の祖母であるこの人、生涯店をやっていた。最初の方は詳しく知らないが 何でも、そば屋もやっていたらしい。 自分が最後に知っているのは、仕出しの弁当屋さんを営んでいたことだ。 この弁当屋さん、「まことや食堂」と言って、小さい頃の記憶ながら けっこう繁盛していたと思う。よくこの店を手伝っていた。 朝、早くに起き市場へ向かい、仕入れの手伝いを...。 帰ってくればベークライトの弁当箱を店いっぱいに広げ 祖母が作るおかずを待ち、一斉にそこに入れていくのである。 (祖母は毎晩一升酒であったような記憶があるが朝は3時には起きていたと思う) その数、通常の契約だけで百以上。(一個700円~3000円位まで) 競輪(平塚と小田原)の従業員の方の弁当が入れば300は下らないと言う数である。 おかず、ご飯を入れ終わると、次は配達である。 親戚の伯父さんと一緒に車に乗り込み、契約先へ...。 子供ながらに「おまちどおさまでした」」とか何とか言っていたような気がする。 昼すぎて一時近く。店に戻り遅めの昼食。 弁当のおかずをつまみながら、時計とにらみ合い。 食べ終わると直ぐに、今度は容器の回収にと向かう。 伯父さん二人が回収してくる、容器を今度はすべて洗う。 洗うと言ったて、出した数がすべて帰ってくるのだから、その数、察して知るべし。 そのあと、ゴミ捨てだの掃除だので一日が一息つくのは5時か6時。 あっという間に夕食である。 そんな、過酷な手伝いであったが唯一楽しかったのが(と言うかこれがあったから何年にも夏休み、冬休みといっては手伝えた。) 手伝うと、100円をくれるのである。100円。もらうたびに使い道を考えていた。 半分は貯金、30円はお菓子、20円はガチャガチャ。 駄菓子屋に行き、その百円を一所懸命使った。 駄菓子屋の方も(今その店は無い)「おっ、鈴木さんの所のお孫さんだね」なんて言って よくかわいがってくれた。 働くと言うことを、よくよく教えてくれた祖母であったと思う。 単純な事。一所懸命働いて、一所懸命使う。(この後者の方の癖がいまだにぬけず大変なのであるが...。) そんな元気な祖母であったのだが、やはり病には勝てなかったらしい。 財産をすべて放棄し、市民病院の床へと病身を移した。 手足、口耳が不自由になる前に書いたらしい、手紙が先の包丁セットと一緒に入っていた。 おそらく手がもう動かなかったのだろう。子供と同じような字体である。言わんとする事は解るのだが 其れを理解する前に、目頭のほうがが熱くなる。こうなると文面など二の次だ。 そして、包丁セット。この場を借りて正直言わしていただければ、栄華を誇った祖母のこと きっと立派なものがでてくると、思っていた。 しかし、でてきたものは、もう錆が出ていて、普通では使わないウナギなどをさばく「さき包丁」と「何の変哲もない柳包丁」である。 私はそんなに詳しくはないが、一見したところ、大したことのない包丁に見えた。(今後調べてみます) 心底、期待をはぐらかされた思いだった。 が、しかし...。 その直後、慢心している自分に気がついた。おごっている自分に気がついた。 あの百円をもらって喜んでいた、自分を思い出さずにはいられなかった。 きっと祖母としては、最上の贈り物だったに違いない。きっと大切にしていたものだったと思う。 それをあろう事か、瞬時といえども、粗末だと思ったことは、誠に情けない思いがする。 33歳。祖母が店を起こした年齢だと聞いた。 今、祖母がまた幼少の頃のように、冥界に逝ってまでも、私に物の大切さを教えてくれた。 感謝すべし。 また振り出しに戻り、日々を重ねて精進することにしよう。 先日、友人と話していて思い出した話。 10年以上前の日記から 2001/4/05 日経流通新聞に良い記事が載っていたので.......。 『居酒屋チェーンのラムラ 急成長支える人材投資』という題で 居酒屋チェーンを展開するラムラ(東京・中央。村川社長)が、デフレの暗雲を物ともせずに売上高を伸ばしている。 2001年三月期は前期比24㌫増収の175億円。創業以来の一貫した手作り料理路線と 社員一人一人にプロとしての成長を促す教育システムが「店、味、人」の魅力を高め、拡大基調を支えている 一人一人が目標設定 現在の業態は六つ。和食を中心とした「にほんばし亭」「土風炉」(とふろ)を主力に、フレンチと和食を組み合わせた「蔵人」 地鶏炭火焼き専門店の「鳥元」などだ。村川社長は「一業態の売上高は300億円が限界という」と言う。 年商一千億円を見据えての発言だ。正否のカギは 「人材への未来投資」と言い切る。 5年前に導入した「キャリアプラン」制度が柱だ。対象は本社の営業担当と店舗スタッフ。 一人一人が調理技術、接客、管理能力などの目標を設定し、仕事の成熟度合いを意識しながらレベルアップを目指す。 成長度を計測するための調査項目は約百にも及ぶ。たとえば焼き物。火の入れ方や魚の焼き加減 焦げ目のつけかたなどの各項目について、店長や料理長が従業員との面接を通じて厳しくチェックする。 約500人の制度対象者が常に自分の「個人台帳」を持ち歩く。三月には各店舗の従業員の評価を本社が一元管理できるソフトを開発 約一億5千万円を投じて全67店舗にパソコンを設置した。「社員一人一人が自分の力量を把握し 目標を明確にする」(清水石功取締役)ことをねらう。 手作りの品質支える一店あたり6-8人と手厚く配置した社員が、饅頭の生地をこね、ふきの皮をむき カツオだしでスープを仕込む。こうした地味な努力こそが「メニューの95%に達する」(村川社長)という同社自慢の手作り料理の品質を支える。 外食産業では入社2-3年で店長を任されるケースも多いが、同社の場合は5-6年。 じっくり時間をかけて成長した人材が、味を守り、店の魅力を引き上げる。それは数字となって現れる。 既存店売上高も前年実績を上回っているのだ。 だが、村川社長が育成に力を入れるのは、いわゆる職人ではない。 「職人はいらない。経営能力を備えたオーナーシェフの育成に注力する」昨年四月には、前年の三倍の60人を新卒採用し うち三分の2は大卒だった。人件費負担やパソコン投資などのため、2001年三月期は 経常利益が前期比三割減の9億5千万円に落ち込んだが、それも「未来投資」ととらえている。 積極的に採用・出店 同社の収益計画によると、過去に実施した未来投資と現在の収益がうまくかみ合って循環を始めるのが今期 つまり2002年三月期のようだ 今期はこの4月の新卒採用を80人に広げ、新規出店も一気に20店を予定するが 、投資負担をこなして経常利益は16億円に拡大すると見込んでいる。 昨年11月に銀座に開いた中華料理店「過門香」が六つめの業態だ。「今後も新業態づくりに取り組んでいく」と村川社長は言う。 業容拡大と、手作りにこだわった味づくりと、人材育成。この三つをバランスよく維持していけるかに 同社の将来を占うカギがありそうだ。 ☆要するに、『人』なんですよね。(難しいこと言っていますが)。 バランスのとれた人材が育成できればバランスのよい集団になるのは至極もっともな話でありまして これがなかなかできない世の中の方がちょっとおかしい。おかしいといっても誰がどうのって訳ではないのですが一つの原因として 核家族化があげられるんじゃないでしょうか。簡単にいって親が"おとな"になる前に、"おや"のふりをしなければならない。 そうすると親が"こども"のうちに子供に教育するんですよ。無理でしょう? 昔はおじいちゃんや、おばあちゃんが教えてくれた話し、行動、これが重みもあり、暖かみがあったんじゃないかな? リビアの最高指導者カダフィは著書『地獄への脱出、およびその他の物語』で 「都市生活は、虫けら同然の生物学的な営みにすぎず、人間は意味もなく生きて死ぬだけだ」 って言っているのだけれど、この言葉の意味すら分からないだろうな、今の人たちは。 なんせせっかく人間に生まれてきたのに、人間らしさをなくすために、生き続けているような気がするから.............。 ねっ、マニュアル君たち! 「自分の意見ははっきり言った方がいい!」 そりゃそうさ、言いたいことは言わなきゃ 相手にわからん。特に日本人は これが出来ないと言われている。 曰く「何を考えているか分からん」 まして顔でも作って 同調ばかりしてたら相手には気味悪がられる。 が、最近、全く逆に 傍若無人な話し方をする人もいるようだ。 私は思う。 言いたいことを言う事。 場の雰囲気を読み、適切な回答をすること。 どちらも大切なことだと。 「和も重んじて、己も大切にする」 世の中に数々の「しゃべり方」なる本が散乱し みな上辺だけの知識で世の中を渡ろうとする。 "自分の意見をきちんと言いながら協調をも大切にする" これが出来なければ私は「社会人」とは思えない。 ただ歳だけ重ねた「子ども」だと思うのである。 他人に自分の意見を言うときは まず相手の意見をきちんと聞く。 相手の考え方、思考の経路などが分かって から少しづつ自分の言いたいことを言っていく。 大体自分の意見を言うという時は 自分の意見を通したい、理解してもらいたいから 言うのである。 「相手がなんと言おうと関係ない」といった 場合も考えられるが大抵の場合は 相手に受け入れてもらわなければいけない時では ないだろうか? ならば当然相手に歩み寄るような発言もしなきゃいけないし 向こうの土俵にだって登ってやらなきゃいけないのでは? まぁしかし"同じ土俵"に登るって事、これは大変である。 自分に実力、自信がなかったら 生きて帰ってこられないのだから。 つまりは、その程度の力は無ければ言いたいことを 軽々しく口にしてはダメだって事。 至らないのに言うこと、これを我が儘という。 相手の得意分野に行って、相手にわかりやすい 戦い方して「うまく引き分ける」。 若しくは僅差で負ける。 けっして辱めるまで言ってはいけない。 窮鼠猫をかむの諺もあるように。 そのようにして事を行えば、だんだんあなたの 考え方にも理解を示してくれるようになり 聞く耳を持つようになる。 そこで初めて自分の考え方とか 自分のやり方とかを示していく。 営業やってる人達がよく言うでしょ 「まずは自分を売り込め」って。 まずは自分を信頼してもらうこと。 相手の意見を受け入れながら だんだんと自分を信頼してもらい 下地が出来たところで徐々に 自分の考え方、言いたいこと やり方などを伝えていく。 これが出来るようになって初めて 世の中で活躍出来るようになる。 これが出来ないなら圧倒的な力を持つしかない。 知識、芸、財力等。 もっとも言っても話しても分からん「猿」ばかりの 世の中になったら戦闘能力のほうが 大切かもしれないけど... とにかくも簡単に自分の実力出す程度では 本当の実力者には見透かされてしまうと言うことです。 [『善く行く者は轍跡無し』覚えておいていただきたい。
久々の更新。
なぜかって?前の記事と一緒。そろそろ広告出る頃だから。 あ~本当に休みたい。 金戎。香川のお酒。美味。 ひめいちえと雁木。どちらも◎ いいかげんな更新の仕方ですみません。 ボラ子→唐墨まで 友人が開店祝いと誕生日祝いをかねてアメリカから来店! それもサプライズ!!本当にびっくりした!! プレゼントの一部。本当にうれしかった。。 10年以上前のメンバーとの再会。 バイクメーターケーブルの交換 休日の写真が一枚もない…もっとニンゲンラシクイキタイ… 雲がかわいくてとった写真 んでもって夕焼け バイク調子悪し。プラグの交換 嫌になる… 再びバイク部品交換。。。 こんな写真アップしているだけでも20分ぐらいかかるんだもんな。 ということは20分も時間がない生活しているんだ… はやく仕事やめよー
最後に更新したの何時だっけ…
話は花蓮から台北へ戻ってきて、焼き肉屋に行ったところまででした。 帰国便が18:15の飛行機、松山空港なので時間はたっぷりある。 まず向かったのは『忠烈祠』 友人に”衛兵交代”を見せる。 見せた後、向かうは”史記正宗牛肉麵”,民生東路2段にある。 なんでここに…連れて来られただけのユージン この店本当に美味しいのでみなさん是非足を運んでください! 時間がないので足早に… 101 中にあるブランドショップ群… そして最後は龍山寺 そういえば 福州元祖胡椒餅 も食べました。 上の写真、細い路地を入っていった左側(公園を背中にして)に店があります。 でも… 私はこちらの方が美味しいと思います! 花蓮にある胡椒餅屋さん! <関連記事 台湾短期滞在56 台湾花蓮のお店> だって一つ10元!10元ですよ~ まぁわざわざ花蓮まで、胡椒餅を食べに行く方はいないでしょうが、もし… もし、花蓮に行ったなら、絶対に行ってみてください! 本当に美味しいです!(確か定休日があったと思います。それに時間が15:00~売り切れまで) もう記憶が曖昧なので、帰国してしまいましょう。 松山空港内。綺麗になっていましたね。 最終便で帰ってきたので、羽田は10時頃到着。 駐車場に車を取りに行き、横浜に戻ってきたのは11時頃。 家の前まで、友人に送ってもらいました。 すると… 鍵が無い! 部屋の鍵も、バイクの鍵も、店の鍵も何もかも…ナイ! あらかじめ、スペアは渡して有ったので、どうにかはなるのですが、マンションのセキュリティタグも無いので、入れません。 困った。。 台湾のホテルへ電話。 「今朝チェックアウトした者です。部屋番号は○○○○○○です。鍵をセーフティーボックスに忘れたようです。確認してもらえませんか?」 「今はちょっと無理なので、明朝確認して電話いたします」 翌日。 昼12時頃まで待っても、連絡が無い。 「現地時間の正午まで待つか。それで連絡が無ければ、合鍵を作りに行こう」 と考えているところへ台湾から電話。 「鍵有りましたよ!良かったですね!」 「いやぁ本当に良かった!どうもありがとうございます!で、日本まで送って欲しいのですが、支払いはどうしたら良いですか? 「ではクレジットカード番号を送ってください。それで決済します。普通航空便で送りますから400円程度だと思いますよ」 「ではそうしてください、宜しくお願いいたします!」 鍵は無事に届いた。値段は339円だったかな。 台湾の人々…本当に親切である。
台湾旅行 二日目。
朝6時半までに、チェックインカウンターへと言われたので、6時に着くように5時15分に起きた。 花蓮からの帰りは電車。 タロコは天気が変わりやすく、万が一のことも考えて着替えを用意する。 友人に「何も持たなくていい?」と聞かれたので、「お金は足りるから上着だけもっていくように」と伝えた。 下の写真はホテルの部屋からの眺め。 右手に見えるのは台北火車站。 ホテルを出て、忘れ物はないか考え直していると、重大なことに気がついた。 友人にパスポートを携帯してもらうのを忘れたのだ。 国内線でもパスポートは必要。急いで取りに行ってもらう。 ホテルから松山空港まで、早朝だったせいもあり15分ほどで到着。 +NT$20(23:00~06:00)でNT$180。 搭乗口で座ってまっていると、今度は自分の忘れ物に気がつく。 台湾で運転するための翻訳免許を忘れたのだ。 ホテルに戻る時間はない。 とりあえず日本の免許はもっているし 昨年よく行っていたレンタルバイク屋さんだ。なんとかなるだろう。 花蓮までは35分。あっという間に花蓮空港に到着。 至る所が大理石。 レンタルバイク屋さんは8:00からの営業なのでちょうどいい時間だ。 タクシーに乗り込み花蓮駅方面へと向かう。 レンタルバイク屋にいってみると、若い女の子が一人。 老闆も男の子もいない。 「老闆不在嗎?」 「不在」 昨年は毎週3~4日間借りていたので一日NT$300で借りられた(台湾短期滞在55 『台湾短期滞在目次』) 今回は125cc、24時間NT$500。まぁしょうがない。免許の件もなんとかなった。 借りると直ぐにガソリンスタンドへ行き、満タンにしたあと『公正包子』へ。 ここは相変わらず安くてうまい。 次は将軍府、松園別館、七星潭。 太魯閣大橋、太魯閣入口 そしていっきに天祥へ行ってトイレ休憩。 絶景。カメラには納めてみたものの360度で見なければこの迫力はわからないだろう。 太魯閣では往復一時間程度の滞在をし、一気に花蓮市を目指し戻る。 (交通規制によっての待ち時間も含む) 途中、花蓮空港横の道を通り過ぎ、昼食時の混む時間になる前に『花蓮香扁食』に到着。 ”綜合扁食”を注文。 写真は綜合扁食麵 食べ終えると次は『戴記扁食』※上の写真『液香扁食店』と食べ続ける。 ワンタン屋のハシゴはなかなかつらく、休憩をかねて吉安慶修院に向かった。 着いてみると門が開いていない。よく見ると月曜日は休館と書かれている。 仕方なく、花蓮鐵道文化館にいってみたところ、ここも月曜日が休館。 どう考えてもこれ以上食べることはできない。 そこで、市内をぐるぐるまわって休館というのは考えられない『忠烈祠』へ行ってから花蓮駅に向かい、時間が早いチケットへの交換ができるかを試みた。 チケットの件を花蓮駅の窓口で聞いてみたが乗車時間が一時間以上長く、到着が10分ぐらいしか変わらない電車しか席がないと言われる。 乗車時間が長いのはつらい。 予定通り予約した電車の時間まで駅で一休みすることにした。 台北到着後、いったんホテルへ戻り同級生に連絡。 中山站にて待ち合わせをして林森北路へ。 日本でも滅多にいかない焼き肉屋にて食事。 飲んでも飲んでも甘いサワーのためか酔わず、先におなかがいっぱいになったためホテルへと戻る。 本日の移動 明日はいよいよ帰国。 本当に慌ただしい旅行である。 続く…
5月13日から15日までの3日間、台湾へ友達と旅行してきた。
行きはCI223 羽田7:10発台湾松山10:00着の飛行機。 やはり羽田ー松山の方が楽。成田との差額が15,000円くらいなら迷わず羽田便を選ぶべき。 (詳しくはこちら『羽田から松山空港へと成田から桃園空港 比較』) 予定より20分近く早い9:40分頃、松山に到着。 SIMカードの加值を済ませ、電話番号を復活してもらった。 プリペイドカードの電話番号は原則六ヶ月なのだが、有効期限が過ぎていても中華電信へ行って訪ねてみると、使える場合が多い。 次はネットで予約した国内線飛行機、台北松山ー花蓮のチケットの確認。 復興航空 班次GE7 松山7:00花蓮7:35の便を予約した。 案内所で『何時に来れば間にあいますか?』と訪ねると、6:30分までに来れば大丈夫とのこと。 時間があるので、捷運でホテルへ向かうことに。 今回、泊まったのは捷運台北站近くの天成大飯店。 台北捷運站M3番出口とM7出口に挟まれるようある。 なぜこのホテルを予約したかというと、当初は朝早くタロコ号(自強太魯閣號)で、花蓮へ向かおうと考えていたからである。しかし、出発5日前に航空チケットをとって、それから予約しようとしたので、タロコ号のチケットを予約できなかった。(花蓮行きの列車は行き帰りのチケットそれぞれ、早くに売り切れる)せめて行きだけでも列車がとれれば、朝日が昇ってくる光景を友人に見せられたのだが。 ちなみに、列車、飛行機それぞれの値段は自強號(太魯閣號も一緒の値段)で片道NT$440所要時間2時間~2時間半、飛行機はNT$1,300(所要時間35分)である。 話がそれた。 ホテルへ荷物を置き、今度は台北火車站へと向かう。ネットで花蓮ー台北の自強號を予約したので、その車票を購入するためだ。決済はカードでもできるのだが、前日に予約したので期限以内に支払うことができるので、決済しなかったのだ。 (列車の切符は予約してから確か二日以内に支払いを済まさねばならない) 車票を手に入れ、今回の目的の一つでもある、大学時代の同級生が来るのを駅構内で待つ。 一年前に比べ台北火車站構内がきれいになっている。発券場所が移動していると感じるのは気のせいか。 無事再会を果たし、食事へ。 彼女が普段使いできる店を教えてあげた方が良いと思い、まずは”中正紀念堂站”近くにある『福州傻瓜乾麵』へ。 店の前までいくとシャッターが降りている。時間は12時半。 「なんでこんな時間にしまっているのだろうか」 不思議に思い、シャッターに書いてある営業時間をよく読んでみる。 すると、読んでいるうちに今日が日曜日であることに気がついた。 「日曜日なのか、今日は…」 自分の仕事が木曜休みの為、曜日感覚がずれている。 この日、台湾の気温は36度前後。早朝、日本の気温は13度だった。 気温差23度、猛烈に暑い! 涼みがてら、『中正紀念堂』へと移動した。 母親節(母の日)のイベントがあるらしく、盛大に飾り付けされていました。 体温が下がったところで『老張牛肉麵』へ。 この店も、以前に比べ小綺麗になっていた。 また、並びにある店舗を借りたらしく、食べる席も増えていた。 繁盛店はこうやって大きくなっていくのだろう。 やはりここは美味しい! 食べ物屋のハシゴ!次は『劉媽媽麵館』 ここも美味しいですね~ その後古亭站から、去年私の住んでいて”板橋”へと移動。 『林家花園』を見てもらうことにした。 板橋站で降りる。 なんだか様子が違う。 登り慣れたエスカレーターがない。 だいたいにして、高鐵の駅と一緒だったっけ? しばらくして、やっと気がついた。 去年住んでいたのは、板橋站の一つ先、府中站だった… 歳はとりたくない… 近くにある市場や『南雅夜市』の店をさらっと紹介して、駅へと戻る。 ホテルへ着いたのは午後三時半頃。 天成大飯店の部屋 ネットで予約して一泊NT$3060。16階の部屋です。 駅から近いし、初めて台湾へ訪れる方なんかは、便利ではないでしょうか。 中山站、林森北路、西門站、總統府、二二八公園等、みんな歩ける範囲です。 夕方に仕事のお客様の親戚と会う約束があった。 急いでシャワーを浴び、タクシーに乗り込むが、母親節が日曜日に重なっていて車がなかなか進まない… やっとの事で、待ち合わせの場所『民權西路站』に着き、親戚の方にタクシーに乗ってもらい 台湾料理の店『欣葉』へ。(親戚の方が予約していた)二階へ通される。 混んでいるのはもちろんのことだが、この日は異様に混んでいた。 二軒目に行こうということになり、天母にある『客棧啤酒屋(台北市士林區忠誠路一段105號)』に行った。 蟲蟲料理 菜單 『客暫啤酒屋』は人気があるらしく、ひっきりなしに客がきていた。 そして最後、その『親戚の方』に招かれ、少し自宅で話をさせてもらいホテルへと帰った。 明日は6時半までに松山空港へ行かねばならない。 続く…
現在、部屋ではネットが出来ない。
テレビも無い。もっとも15年ほど前から見なくなっているので、どうでも良いことだが。 ラジオは偶に聞くのだが、安いラジオのためかAMの入りが悪い。 このラジオもパーソナリティーが”以前”の人が多く活躍していて代わりばえしないのと、一方の”最近の人”の話がつまらないので、それほど聞かなくなった。 聞いていて面白いのは放送大学ぐらいだろう。 自然、部屋ではやることが限られる。出来ることと言えば ”寝る”か”読書、映画鑑賞、勉強”ぐらいのものだ。 映画鑑賞は仕事中見っぱなしなので、あまりすることはない。 時間がかかるというのも選択肢から外れる理由だ。 せっかくの映画、途切れ途切れでは見たくない。 となると簡単なのは”読書”。読みたい分だけ読み進み、眠くなったら閉じればいいので手軽である。部屋が静かな分、捗が行く。 最近刊行された本の多くは内容が軽い気がする。 中にはハードカバーの本なのに、半日もかからず…いや三時間も読めば読了するようなものもある。なんなんだ。 別に小難しいことが書いてあるから良い本ではないとは想う。でもね… 内容が薄く、読み終わっても「な~~~んも」頭の中に残らない本が多すぎる。そしてこの類いの本が売れているという。 私が本を読み始めたときは、一冊の本を読み終えるのには相当苦労した。 知らない単語、読めない漢字が多すぎて速度があがらない。辞書を読んでいるのか、”本”を読んでいるのかわからなくなるほど。 何冊も読み進むうちに次第に漢字を覚え、意味を理解でき、文章を把握出来るようになり、読書の楽しさが味わえるようになった。 この”わからない漢字、言葉”が本の中にあるために、読書嫌いと言われる人がたくさんうまれる。わからないものに金を出し、苦労して、時間をかけて読むなんて事はしないわけだ。テレビをつけ、「わー」だの「ぎゃー」だの言っているのを見ているほうが余程楽なのだろう。 勉強の楽しさとはわからないものをわかることにあると想う。わからない単語を調べて、意味を理解できることが重なり、その本だけに留まらず、様々なことが身についてくる。と、同時に自分が不得手な事、自分が”わからないこと”もわかるようになる。自分が”わからないこと”もわからない人が今の世の中たくさんいるわけである。”わからないこと”がわからないわけであるのだから、勉強する事柄もわからないだろうし、進歩はほぼないだろうと想う。あるのは時間の経過に任せただけの”慣れ”だけである。 そんな人達と話したりしたとしても、現代のテレビ番組を見るのと同様、つまらないし何も刺激を受けない。「あほちゃうか」てな感じ。 たとえ良い服を纏っていなくても、お金が無くても、貧していても、日々一所懸命考えながら自分を成長させることに対し、労力を惜しまない人に魅力を感じる。 さぁ50までに次のステップをあがらなきゃ。
寒い日が続く。
暑いのと寒いの、どちらが好きかと言われれば、寒いほう。 暑いときは脱ぐのに限界があるが、寒いのは着ればすむ話だ。 (といってもマイナス20度以上だと、そんなこと言っていられない気がする) 酒は寒いときに飲んだ方が美味しいと思うのは私だけだろうか。 飲んだ後、冷たい風に当たるのがとても気持ちが良い。 ガラスが曇ったり、食べ物の湯気が美味しさを引き立てたり… でも、南国の方が長生きなのだから、身体にとってはきっと温かいほうがいいのだろう。 先日引っ越しをした。 荷物は殆ど整理して減らしたつもりだったのだが…このような結果になってしまった。 友人曰く「持ってくる物を完全に間違っている」とのこと。同感… 徐々に減らさないといけない。 その一環として、誰か買ってくれる人いないだろうか? 物も減るし、旅行用の貯金も出来る…ご協力よろしく。 |
カレンダー
カテゴリー
最新CM
[02/11 たなかっち]
[04/02 食べ太郎]
[06/28 さとう まさひこ]
[03/28 NONAME]
[03/20 台湾大好っ子]
[12/31 コバヤシJ]
[11/12 鶏肉ごはーん]
[11/11 台湾大好きさん]
最新記事
(03/01)
(01/07)
(12/25)
(12/10)
(12/05)
(12/02)
(11/29)
(12/02)
(11/12)
(10/29)
(10/28)
(10/28)
(10/26)
(08/31)
(08/10)
最新TB
プロフィール
HN:
nisrock
性別:
男性
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(10/13)
(10/13)
(10/14)
(10/20)
(10/22)
(08/26)
(09/01)
(09/03)
(09/03)
(09/08)
(09/10)
(09/11)
(09/12)
(09/14)
(09/15)
カウンター
|