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さて北京最終日。。
本当に名残惜しかった。このまま北京でもいいのに。 まずは天安門広場。 世界最大の広場らしい。 なんて講釈はどうでもよく、とにかく、今自分がテレビでしか 見たことのない有名な場所に立っているという事実だけで 感慨深いものがあった。 天安門広場ですよ!毛沢東さんの絵が飾ってあるのですよ! あの「ラスト・エンペラー」で見た「故宮」すなわち 紫禁城が目の前にあるのですよ! あーなんてところなんでしょう。 夢にまでみた場所。やっぱり西安に行きたくないな。 なんて本気で考えました。 くわしい説明はここ(http://www.nicchu.com/l)で ご覧ください。 私がここで説明するより、余程ましでしょう。 さて、これから裏の景山公園に出ます。 景山公園....故宮の北に位置する公園。黄昏時に景山の頂上の万春亭から見る故宮の風景は特に有名。この公園は、元代に北海が掘られた際の土砂を積上げ造られたもので、歴代皇帝の御苑となった。景山の麓にあるエンジュの木は、明代末期に紫禁城を李自成(注1)軍に襲撃された崇禎皇帝(注2)が、自ら皇后と皇女を殺害した後、逃げのびて首を吊った場所である。 この景色が見たかった。感激。 このあとラストエンペラーの甥っ子なる人物のところに行く。 ボランティアで書を売っているとか。 相場は一文字一万円らしい。勿論書いてもらうわけはない。 ここらの前後の記憶が曖昧なのだが、この後おみやげ屋さんに行った。 お茶の実演販売である。(ここのお姉さんもうまかったな、日本語。。) 結局巧みな話術と、味に負けジャスミン茶を購入。 そろそろ昼食の時間である。 一同土産物屋を出て、梁さんの待つところまで向かう。 すると公園内に水で字を書く達人がいた。 (天壇公園にもいっぱいいた) あまり取り巻きもいなかったので、ちょっとやらせてもらった。 今考えると、もう少しマシな事を書けば良かったと後悔している次第である。 天安門広場を抜けて食事をする場所へ。 ここもおみやげ屋さんに隣接するところです。 北京最後に北京一の繁華街、王府井(ワンフーチン)に寄る。明代、清代には親王や高官といった上位階級が住む地域だったが、終戦後は付近に駐屯地がおかれたこともあって、古くから外国人と接してきた町となった。ホテル、レストラン、ショッピングモールなど、外国人向けのさまざまな施設が政府によって整えられてきた場所だ。そのため独自のカラーを持って発展していた。 ここには何でもあった。マクドナルド、吉野家などなど。 先生「やっぱりマックで食べたいな」 さすが達人は違う。勤めたことがあるものとしては 通り過ぎることができなかったのであろう。 ここの本屋さんで自分にお土産を買った。 無情にも時間は待ってはくれず姚 蘭さん達とお別れする時間となった。 本当に良くして下さった。心から感謝します。 西安でも「いいガイドさんだったらいいなぁ」と 期待をかけながら一路西安へ。 この画像の写真屋さん。 中国一、有名な写真屋さんらしい。 これが土産に購入した本。 国内線に乗った。 北京-西安便のお客さんは確か20人前後だった記憶。 もちろん席は自由。機内食はサンドイッチ。 安定高度まで達すると乗務員がちらほらと後部座席の方へと歩いていく。 最初はあまり気にならなかったのだが、あまりにもみんなが行くので 後ろを振り返ると、みんなそこで寝ているではないか! 「この飛行機、いったい誰が操縦しているんだ?」 西安到着! 午後6時くらいだったと思う。 西安でのガイド、陜西文物国際旅行社の李英さん。 最初の印象はあまり良くなかったのだが、後にものすごくいい人だと判明。 運転手の人も最初は感じが良くなかったのだが 先生の鞄を落とした事によって、意気投合! さすが先生は違う! この運転手、ふつうの道路を時速130㎞で飛ばしていく。 道路狭いからものすごいスピードに感じる。 一路、東方大酒店へと向かう。 これが、めちゃめちゃいいホテルだった。 玄関口なんか総大理石。 本当に良かった。 翌日。 朝7時に起きる。 ホテルから目の前にある交差点をしばらく眺める。 これが実にすごい。なにがすごいかと言えば信号があるにもかかわらず 守られない。なのにそこにはある一定の秩序が存在する。。 本当にすごい。事故が起こらないのが不思議なくらいだ。 クラクションもきっと朝の挨拶代わりなんだろう。ひきりなしに鳴らされる。 そして、外で李 英さんたちを待つ。 今日はこれから兵馬俑に行く。 そういえばこの李 英さん、独学で日本語を学んだらしい。 でも、めたちゃめちゃうまい! このような人たちに出会う度に、自分の位置を再認識させられる。 人生一生勉強である。 兵馬俑到着。 私たちが今回の旅行を申し込んだスタークラブが提携している中国の旅行会社がこの兵馬俑記念館を経営している会社らしく、なんと国賓が訪中したときにだけしか入れない場所に入ることが出来ました。 さて館内の見学が終わり、例によっておみやげ屋さんです。 私たち、国外からの観光客も、もちろん多いのですが 中国国内の旅行者も、ものすごく多いです。 20世紀最大の発見と言われるぐらいはあります。 この併設されているおみやげ屋さんで私は「兵馬俑」について書いてある 日本語のガイドブックを購入。 (ガイドさんの話によれば、この兵馬俑の第一発見者が本にサインしてくれるという) このあとの上海の料理の含めて、ここ西安の料理が一番私の口には合った。 本当においしかった。 腹もいっぱいになり、次は華清池へと向かった。 ********************* 華清池 http://www.iijnet.or.jp/xipec/sight/meisho/sight14.htm 西安から東に30キロ離れた驪山の麓にあります。 驪山は海抜1256m、風景秀麗なところで、三千年前の西周時代からの温泉の湯元があります。 そのため、ここは歴代の帝王が享楽に耽った所でした。 西周時代末期の周の幽王はここを驪宮として時々愛妃褒似を伴なって酒宴をしていました。秦の始皇帝がこの温泉に入ったと言う話も広く伝えられています。唐の玄宗皇帝が747年にこの温泉地に造営した本格的な宮殿式建物は「華清宮」と名付けられました。 楊貴妃は傾国の名花として名高く、718年蜀州の官吏楊玄炎の娘として生まれ、名は楊玉環と言います。 16歳の時、美人(官名)に選ばれて宮殿に入り、玄宗の子、寿王の妃となりました。唐の開元二十年(740年)十月、玄宗皇帝が華清宮に行幸中 宦官の高力士の推薦によって召し出されました。 その後、楊貴妃は女道士となり、太真と称し、太真宮に住みました。 官名通りに美人で聡明、その上下歌舞に長じた玉環は玄宗の寵愛を一身に集めました。 745年には皇后に次ぐ高位の貴妃となりました。 それ以来、玄宗は毎年秋から翌年春まで楊貴妃と共に華清宮に住み 温泉に入り、歌舞を観賞し、歓楽の日々を送りました。 また楊貴妃の姉三人は妹のおかげで宮中に入り まもなく一族の楊国忠が宰相の要職に就き、楊氏は栄華を極めました。 華清宮には玄宗と楊貴妃のために蓮花湯と海棠湯という専用の浴室も造られました。当時の蓮花湯は規模が極めて大きく、大理石で造営し 白い玉石で魚、竜、雁、蓮の花などの形を彫刻し、十八の浴室を飾りました。 特に白い玉石で彫刻された蓮の花は温泉の湯の中でまるで芙蓉の花が水面に咲いているようだっとと伝えられています。 飛霜殿は玄宗と楊貴妃が泊まったところで、また、宴会と歌舞に明け暮れていたところでもありました。 この殿の南に九竜池があり、昔、温泉の湯が流れ注いでいた池です。 玄宗と楊貴妃は飛霜殿の前に立って、池から湯気の立っている風景を観賞しながら語り合いました。この情景は唐代の風景画にも描かれています。 貴妃池とは彼女の専用の浴槽で、蓮の花の形をしています。 楊貴妃は入浴してから、飛霞閣に上がって、髪を乾かし、その後、すぐに桐蔭軒で踊りました。 玄宗はその入口で惚れ惚れとして眺めていたと言います。 楊貴妃は茘枝が代好きだったので、馬で蜀州から長安に運んだという話があります。600キロも離れている蜀集から三日間で茘枝を運べという命令もありました。唐代の有名な詩人白楽天は、玄宗と楊貴妃の華清宮におけるロマンスを素材にして長編の叙事詩「長恨歌」を作りました。 「春寒くして浴を賜う華清宮、温泉の見ず滑らかにして凝脂を洗う」 華清宮は現代中国の政治舞台にも輝かしい1ページを飾っています。 1936年12月、蒋介石は南京を出発して西安に来ました。 その目的は楊虎城の西北軍と張学良の東北軍による共産党「討伐」が一向に捗らないことに業を煮やしこの二人の将軍を督戦するためでした。 蒋介石は華清宮の五間庁に泊まって、12月12日朝5時、突然の銃声で目を覚まし着替えもできず、裸のままで窓を乗り越え、山腹に逃走しました。 山はらの大きな石の隙間に隠れている時、8時頃、張学良の護衛兵が発見して捕らえ西安市の西京招待所に幽閉しました。 張学良と楊虎城はさっそく延安にいる毛沢東に電報を打ち、代表団の派遣を要請しました。毛沢東は周恩来を西安に派遣しました。周恩来は何度も蒋介石と交渉しその結果第二次「国共合作」が実現しました。 五間庁の窓には今も当時の弾痕が残っています。 山腹には記念のため、石造の部屋が建てられ、「兵諌亭」と名付けられました。 現在の華清宮には温泉の湯元が四ヶ所あり、一時間の湧出量は125トンです。温泉は摂氏43度、その名かに石灰、炭酸マンガン、硫酸ナトリウムなどの 九種類の有機物質が含まれていて、関節炎や皮膚病に効能があります。 最近発見された唐の太宗皇帝の星辰湯、玄宗皇帝の蓮華湯、楊貴妃の海棠湯などの著名人の浴槽の遺跡の上に古典的な建物が作られました。 尚、飛霜殿の前に立って眺望すれば美しい風景の庭園に広い池があり 朱塗の亭や楼閣、東屋などの唐代の風格を保っている建物が点在し 枝垂れ柳や百日紅の木が茂り、古代にロマンスが偲ばれます。 烽火台 周の幽王は褒似を溺愛したが、一度も笑わないのを苦にしていた。 ある日、手違いで外敵侵攻を知らせる烽火が打ち上げられて 四方から駆けつけてきた武将たちが間違いと知ったときに褒似は笑った。 幽王は褒似が笑う顔を見たいがために何度も烽火をあげさせた。 さらに、皇后と太子の宜臼を廃し、褒似とその生んだ伯服を立てようとしたため皇后の父親申侯は西戎と連合して周を攻めた。 急いで烽火をあげたが、虚報に懲りて救援の諸侯は集まらず 幽王は殺され、周は滅亡したと伝えられている。 住所 西安市臨潼区華清路38号 電話 029-3812003 開放時間 07:00-19:00 入場料 40元 ********************* 次は大雁塔。 これが最上階からの眺め。 そしてその次は訪唐歌舞。 食事は劇場の上階で食事をすることに。 西安の名物の一つ、餃子を頂く。 ここも、旨い。本当に旨い。なんでこんなに旨いのだろうか? ここの女性の給仕の人も「日本語」上手。 肝心の劇ですが、これは「良かった」と表現するよりも、「美しかった」と 言い表したほうが合っていると思います。 ただただ美しかった。 最後駄目押しに「足マッサージ」。 ガイドの李英さんと一緒に4星ホテルにて。 この日はすごく贅沢な一日でした。 西安最後の夜は...そうお決まりの....「呑んでます!」 「お土産用」だった酒。 今、撮ってきたビデオを観ながらこの中国日記を書き上げているのだが 実に贅沢な旅行だったと改めて思った。 主要な所は短い時間の中で、ちゃんと行っているし 一緒に行った仲間も非常に良かったと思う。 まぁその分払ったお金も相当額払っているのも事実だが。 でもそんな楽しい思い出深い旅行も一年を経て考えると記憶が曖昧になる。 やはり、日記というのはその時に書き記しておかないと、後からでは 躍動感あふれる文にはならないことを実感した。 そして、このあと上海に向かう。 知人の妹と会って食事をした。 上海はガイドと喧嘩したのと 滞在が半日程度だったので 書くことほとんど無し。 翌日、日本へ帰国。 その帰国便がなんとビジネスクラス(もしかしたらファースト?)。 先生なんか、乗務員になんども確認していましたからね! 本当にびっくりした。 終わりよければ全てよし。 PR ![]() ![]() |
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