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予定通り1/1~1/4、台湾の西側に位置する島
澎湖島へ行ってきた。 って、その前、2010年8月行った 環島。 書き進んでいないことが発覚。 まぁそのうち書き込もう。 『台湾』のカテでも書いたが今回は羽田-松山のチケット。 これが新しい国際ターミナルの様子。 新しいからきれいはきれい。 でもなんだかどの店も開放感がない。 無理矢理押し込められているという感じ。 食事はここでした。 値段はこのような場所、しょうがないと想う。 でも、もう少し品数あっても良いのでは?? 下は展望デッキの写真。 飛行機はANAとEVAの共同運航便。 BR189便(ANAはNH5823)羽田10:45発 松山着13:30 3時間45分のフライト。 松山機場へ到着。 今回の目的地は澎湖島。 島に行ってからではSIMカードが 手に入らないと思い、渡航前に 松山機場で買えるのかどうかを ネットで散々調べたのだが まったく解らず終い。 探すの面倒になってきたので、 直接 中華電信 にメールで問い合わせを したところ売っているとの返答。 ということでSIMカードを購入するために 中華電信カウンター へと向かう。 場所は 海關(税関)を抜けてすぐの所(1F)。 まず期限が切れている(※期限半年 前回台湾に行った時 加值(リチャージ)を忘れた) SIMカードの電話番号を伝え、まだ使えるかどうか 調べてもらった。するとまだ使えるとの事。 NT$300を加值する。 次は国内線のチケットを受け取りに 立榮航空のカウンターへ。 国内線。 ネットで予約決済ができるので 便利なのだが、問題は線上劃位(check in) 8時間前にならないとできない。 国内線は15:30発 馬公行き(16:15着)。 ※これより前の便は時間的に余裕が無かった。 ってことは...時差が1時間あるので 日本時間8:30にならないと 線上劃位ができないということ。 仕方がないので羽田に付いてから無線LANで チェックイン。 無事チケットを手に入れ 二階国内線入り口へと向かう。 ※写真奥左手が国際線入り口。 右手が国内線入り口。 下の写真は搭乗ゲート。 ギリギリにならないと通ることができない。 階段をおりてそこからはバス。 これが乗る飛行機 DH8 機内はこんな感じ。 ちっちゃ。 45分後、あっというまに 馬公機場へと到着! 続く... PR
今から10年前の日記より
2000/5/20 日経新聞日曜日の朝刊にこんな記事が しつけのナゾ ③ 幼少期に、心を穏やかに育てることが、とても大切だ。心は脳の活動なので、脳をうまく育てることが必要となる。 ここで忘れてはならないのは、脳は肝臓や心臓と同じような「臓器」と言うことである。 臓器が健全に育つには、適切な栄養が欠かせない。とくに幼少期の頃の栄養は、脳の発育 従って知能に代表される心の発育にとても重要なのである。 幼少期に栄養不良で育った子供と、ふつうの栄養をとって育った子供で、脳内のデオキシリボ核酸(DNA)の量を比較したデータがある。 DNAは遺伝子の本体で、この量が多ければ遺伝子も多く発育し、脳内での神経回路は豊かに育つ。 このデータでは、栄養不良で育つと脳内DNAが非常に不足することが示された。ふつうの栄養状態に比べ、DNA量が半分しかない子供もいたのである。 これは栄養不良では、脳の神経回路がうまく育たないことを示す代表的なデータである。 神経回路があまり育たなくても心の発育に関係ないとすれば、これは大したものではない。しかし、実際には大きく影響する。 栄養不良の子供の知能指数(IQ)を測った研究があり、驚くべきことに、そのすべてでIQは100以下だったのである。 知能指数は普通、100を頂点とした分布を示す。実際、普通の栄養で育った子供で調べると、110とか120などの値を示す。 IQにもいろいろあるが特に重要なのは「一般的IQ」である。このIQは社会的成功と密接に関係している。一般的IQが低いほど 犯罪などの社会的リスクを強く負うようになってしまう。 IQが低くても構わないという意見もあるかもしれない。多少低くても、きちんとした人間になればよいのでは、という意見に私も賛成である。 ところが、栄養不良で育った場合、すべてが100以下なのである。これはあなどれないデータである。 幼児期での栄養不良は、神経回路の未発達のみならず、成人してからの社会的成功にまで影響をおよぼしてしまう可能性があるわけだ。 栄養不良はおろそかにできないのだ。 栄養不良なんて特殊な状況下の話で、現代日本には関係ないのではないか、という声も聞こえてきそうだ。だが、ここでいう栄養不良とは 「栄養失調」とは違う。脳の発育にとって必要な栄養素を適切に取っていない、というのが栄養不良である。食事に偏りがあるだけで 飽食日本でも栄養不良になりかねない。 では、どんなものを食べればよいのか。 ここで簡単に紹介すると「まごはやさしい」が基本である。 つまり、ま=豆類、ご=ごま類、は=ワカメなどの海草類、や=野菜、さ=魚、し=椎茸などのキノコ類、そしてい=芋類、である。 これらの食べ物をバランスよく取ることで、脳にとって必要な栄養を過不足なく得られる。脳内DNAが不足することもないし、神経回路もきちんと育つ。 栄養というのはつい軽視しがちである。しかし、とくに幼少期の頃に十分に注意しないと、脳はうまく発育せず、ひいては 「社会的リスク」を負うまでになりかねないことを強調しておきたい。(北海道大学教授沢口俊之) 敬称略 こんな記事である。 前々から言っていたが、車だって燃料によって走り方が変わるし、ものだってどんな素材でできているかで性質がちがってくるものである。 食べた物が血となり肉となるのなら、人間だって当然、食べるものによって体の構造が違ってきても不思議ではない。 よく好き嫌いをする人がいるが、食わず嫌いが大半である。 普通ににんじん食べて死んだ人なんてほぼないはず。毒性があるのなら そもそも食用とはされていないのではないだろうか。 (一部アレルギー性のものは除いて) また親となる人たちが好き嫌いをいうと、その家庭の食卓に 嫌われたものがのらなくなるという弊害が起きやすい。結果、子に伝染しやすい。 最近バイトの子たちを観ていて思うのだ、だいたいの子は、食がかなり細い。 食べると言うことは「生命力」にかなり近い行為である と考えると最近の人たちの体の弱いのもうなずけるような気がする。 そして、その体力のなさからくる「精神的な弱さ」。 これが一番よくないと思うのだが、かれらは自分の限界点をすぐ作ってしまう。 またそれを「人それぞれの個性」といってしまう、今の時代そのものの甘さ。 個々の特性を伸ばすなんて言ってはいるが、それは 一つのことをがんばって及第点まで上り詰めた人が行うことであって 努力もしていない人たちが言うことではない。 ただの”言い訳”でありただの”わがまま”である。 またそのような論調がこの時代にはびこる背景には いろいろと原因があると思われるが一つの要因として ”無責任”が挙げられるのではないだろうか。 表面的には個性を伸ばしているようではあるが 裏を返せば自分という人間に対しての責任感の欠如。 自分を厳しくできない甘さ。 また他人に指導、忠告するときに、 果たして自分の言っていることが正しいのか、 また自分の行った指導に対する責任放棄をしたいがために、 つい耳障りのよいことを言ってしまうという責任感の欠如。 要するに逃げているのです。 もう少し努力し、もう少し自分に厳しくし、 もう少し負けん気が強いと、きっと本当の意味での 人に対する優しさが生まれる。自分も経験してきているからこそ 思いやれる。上辺だけ成長してしまった 無責任な人間はいつかきっと地金がでる。 その地金を鍛えることこそ人間教育だと思う。 知識という装いは地金がしっかりいて 初めて輝きを帯びる。
私が幼かった頃
親に限らず近所のおじさんやおばさん、学校の先生等 皆、年上の人達は口うるさかった。 何をするにでもとやかく言う。 今考えれば皆それぞれ親切心からの言葉であって 口喧しく言った以上、誰しもが責任を持っていたはずである。 現代、他人の子など叱ることは難しい。 一っ間違えれば逆恨みされる恐れさえある。 そのように、人にとやかく 言われず、躾られずに 育った人々がやがて 親になる。 叱り方、躾方など解るはずがない。 自分がそのように育っていないのだから。 良いところを伸ばすためには 個人を尊重しなんでも好きにやらせる事も 確かに大切だ。 しかし、その技術や長所は基本的な倫理観や 道徳観がそなわって初めて功を奏すわけで あって幼い頃から自由奔放という言葉をかりた 『無責任。ほったらかし状態』で 育った子供達に辛いときの忍耐力や 壁をを乗り越える力、自己を抑制し周囲の人々と 協調する気持ちが宿るのであろうか? けじめの伴わない才能を開花させたとしても 人間性を問われてしまえば、技術長所は 無用の長物、人物とはなり得ない。 いたずらに時を過ごすことしかできず 質の悪い人として未成熟な"甘ちゃん"ができあがるだけ。 核家族化がすすみ、一人っ子が増え、近所付き合いは減り、 一人で過ごす時間が多くなった子供達が 周囲の人々との意思疎通の図り方を覚える事は難しい。 また躾られずに育った親たちが 次世代に躾をできる可能性も極めて低い。 いつでも電源を入れればスタート画面になり やり直したいときはリセットボタンを押す。 止めることだって指一本ですむ。 子供達はゲームをやるときと同じように、人に対して、社会にたいして 自己中心的な考え、わがままになる。 自分自身を制御できない子供達は、自らを高める努力はしなくなり 自らの限界を定め「私は私、僕は僕」の立場をとる。 本来、人間形成された人間が、その個性、感性を強調するときに使う その台詞が向上心をなくし傍若無人な人間の逃げ口上になる。 自分を肯定してくれる人を常に探し 傷をなめ合う子犬のように群れる。 こんな人々が先々国家を支える訳がなかろう。 「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」 教育方法を改めるべき。 物事の善悪、進むべき採るべき道を示し 人間にとってなにが一番大切なのかを躾る。 人としての土台をしっかりと作る。 何事も基礎が大事。 知識という上物などは 土台がしっかりしていれば 容易く積み重ねることができる。 人道、道徳、倫理を備えた上に 知識というものを纏った 国民をつくりあげれば 景気、経済、雇用、治安等 様々な問題は問題でなくなる。 たった一つを解決すれば済む。 歴史を知るものならば 教育、躾がもっとも重要で且つ効果的だと いうことを知っている。 まずは躾という国字の意味を教えたらどうだろうか。
※文章書き直しました。
なんだっか酔っぱらって書き込んだようで 自分が読んでもわからなかったので。 近頃、何年も前に買った本を貪るように読んでいる。 古本屋で何冊も同時購入したものや 新聞の書籍紹介記事を参考にまとめ買いしたものである。 これらはその時には大抵読まない、読めない。 内容が興味ある事柄とまったく違っていたり 読み進むうちにその時点の知識では 太刀打ちできず、読欲がそがれたりするわけだ。 だが何年かすると、必ずと言っていいほど 奥にしまった本を引っ張り出して読む。 心と知識に余裕が出てくるのだと想う。 学習参考書の類も同じようなことがある。 学習初期に難解に感じられる本の 約半分は、学習が進むにつれて 好書となっていくのだ。 要するにどんな本にも 時期 というものが 存在していて、読み手の知識、経験などが その 読める時期 を決定づけている。 『木工の話』という本を読み出した。 いつ頃買ったのかは覚えていないが 6,7年前のことだと想う。初版は平成14年。 説明はこちらから引用 (国分寺株式会社 http://moritohito.com/ki002.html) 檜...ひのき ![]() 檜の板目。 福島県東南部以南の本州、四国、九州。 木曽、高野山などが有名。スギとともに日本の代表的な木材。古くから仏閣や神社を建てるための木材として用いられて来た。心材の耐久性が高く、長期の水湿に耐える。 栗 途中です。
さて北京最終日。。
本当に名残惜しかった。このまま北京でもいいのに。 まずは天安門広場。 世界最大の広場らしい。 なんて講釈はどうでもよく、とにかく、今自分がテレビでしか 見たことのない有名な場所に立っているという事実だけで 感慨深いものがあった。 天安門広場ですよ!毛沢東さんの絵が飾ってあるのですよ! あの「ラスト・エンペラー」で見た「故宮」すなわち 紫禁城が目の前にあるのですよ! あーなんてところなんでしょう。 夢にまでみた場所。やっぱり西安に行きたくないな。 なんて本気で考えました。 くわしい説明はここ(http://www.nicchu.com/l)で ご覧ください。 私がここで説明するより、余程ましでしょう。 さて、これから裏の景山公園に出ます。 景山公園....故宮の北に位置する公園。黄昏時に景山の頂上の万春亭から見る故宮の風景は特に有名。この公園は、元代に北海が掘られた際の土砂を積上げ造られたもので、歴代皇帝の御苑となった。景山の麓にあるエンジュの木は、明代末期に紫禁城を李自成(注1)軍に襲撃された崇禎皇帝(注2)が、自ら皇后と皇女を殺害した後、逃げのびて首を吊った場所である。 この景色が見たかった。感激。 このあとラストエンペラーの甥っ子なる人物のところに行く。 ボランティアで書を売っているとか。 相場は一文字一万円らしい。勿論書いてもらうわけはない。 ここらの前後の記憶が曖昧なのだが、この後おみやげ屋さんに行った。 お茶の実演販売である。(ここのお姉さんもうまかったな、日本語。。) 結局巧みな話術と、味に負けジャスミン茶を購入。 そろそろ昼食の時間である。 一同土産物屋を出て、梁さんの待つところまで向かう。 すると公園内に水で字を書く達人がいた。 (天壇公園にもいっぱいいた) あまり取り巻きもいなかったので、ちょっとやらせてもらった。 今考えると、もう少しマシな事を書けば良かったと後悔している次第である。 天安門広場を抜けて食事をする場所へ。 ここもおみやげ屋さんに隣接するところです。 北京最後に北京一の繁華街、王府井(ワンフーチン)に寄る。明代、清代には親王や高官といった上位階級が住む地域だったが、終戦後は付近に駐屯地がおかれたこともあって、古くから外国人と接してきた町となった。ホテル、レストラン、ショッピングモールなど、外国人向けのさまざまな施設が政府によって整えられてきた場所だ。そのため独自のカラーを持って発展していた。 ここには何でもあった。マクドナルド、吉野家などなど。 先生「やっぱりマックで食べたいな」 さすが達人は違う。勤めたことがあるものとしては 通り過ぎることができなかったのであろう。 ここの本屋さんで自分にお土産を買った。 無情にも時間は待ってはくれず姚 蘭さん達とお別れする時間となった。 本当に良くして下さった。心から感謝します。 西安でも「いいガイドさんだったらいいなぁ」と 期待をかけながら一路西安へ。 この画像の写真屋さん。 中国一、有名な写真屋さんらしい。 これが土産に購入した本。 国内線に乗った。 北京-西安便のお客さんは確か20人前後だった記憶。 もちろん席は自由。機内食はサンドイッチ。 安定高度まで達すると乗務員がちらほらと後部座席の方へと歩いていく。 最初はあまり気にならなかったのだが、あまりにもみんなが行くので 後ろを振り返ると、みんなそこで寝ているではないか! 「この飛行機、いったい誰が操縦しているんだ?」 西安到着! 午後6時くらいだったと思う。 西安でのガイド、陜西文物国際旅行社の李英さん。 最初の印象はあまり良くなかったのだが、後にものすごくいい人だと判明。 運転手の人も最初は感じが良くなかったのだが 先生の鞄を落とした事によって、意気投合! さすが先生は違う! この運転手、ふつうの道路を時速130㎞で飛ばしていく。 道路狭いからものすごいスピードに感じる。 一路、東方大酒店へと向かう。 これが、めちゃめちゃいいホテルだった。 玄関口なんか総大理石。 本当に良かった。 翌日。 朝7時に起きる。 ホテルから目の前にある交差点をしばらく眺める。 これが実にすごい。なにがすごいかと言えば信号があるにもかかわらず 守られない。なのにそこにはある一定の秩序が存在する。。 本当にすごい。事故が起こらないのが不思議なくらいだ。 クラクションもきっと朝の挨拶代わりなんだろう。ひきりなしに鳴らされる。 そして、外で李 英さんたちを待つ。 今日はこれから兵馬俑に行く。 そういえばこの李 英さん、独学で日本語を学んだらしい。 でも、めたちゃめちゃうまい! このような人たちに出会う度に、自分の位置を再認識させられる。 人生一生勉強である。 兵馬俑到着。 私たちが今回の旅行を申し込んだスタークラブが提携している中国の旅行会社がこの兵馬俑記念館を経営している会社らしく、なんと国賓が訪中したときにだけしか入れない場所に入ることが出来ました。 さて館内の見学が終わり、例によっておみやげ屋さんです。 私たち、国外からの観光客も、もちろん多いのですが 中国国内の旅行者も、ものすごく多いです。 20世紀最大の発見と言われるぐらいはあります。 この併設されているおみやげ屋さんで私は「兵馬俑」について書いてある 日本語のガイドブックを購入。 (ガイドさんの話によれば、この兵馬俑の第一発見者が本にサインしてくれるという) このあとの上海の料理の含めて、ここ西安の料理が一番私の口には合った。 本当においしかった。 腹もいっぱいになり、次は華清池へと向かった。 ********************* 華清池 http://www.iijnet.or.jp/xipec/sight/meisho/sight14.htm 西安から東に30キロ離れた驪山の麓にあります。 驪山は海抜1256m、風景秀麗なところで、三千年前の西周時代からの温泉の湯元があります。 そのため、ここは歴代の帝王が享楽に耽った所でした。 西周時代末期の周の幽王はここを驪宮として時々愛妃褒似を伴なって酒宴をしていました。秦の始皇帝がこの温泉に入ったと言う話も広く伝えられています。唐の玄宗皇帝が747年にこの温泉地に造営した本格的な宮殿式建物は「華清宮」と名付けられました。 楊貴妃は傾国の名花として名高く、718年蜀州の官吏楊玄炎の娘として生まれ、名は楊玉環と言います。 16歳の時、美人(官名)に選ばれて宮殿に入り、玄宗の子、寿王の妃となりました。唐の開元二十年(740年)十月、玄宗皇帝が華清宮に行幸中 宦官の高力士の推薦によって召し出されました。 その後、楊貴妃は女道士となり、太真と称し、太真宮に住みました。 官名通りに美人で聡明、その上下歌舞に長じた玉環は玄宗の寵愛を一身に集めました。 745年には皇后に次ぐ高位の貴妃となりました。 それ以来、玄宗は毎年秋から翌年春まで楊貴妃と共に華清宮に住み 温泉に入り、歌舞を観賞し、歓楽の日々を送りました。 また楊貴妃の姉三人は妹のおかげで宮中に入り まもなく一族の楊国忠が宰相の要職に就き、楊氏は栄華を極めました。 華清宮には玄宗と楊貴妃のために蓮花湯と海棠湯という専用の浴室も造られました。当時の蓮花湯は規模が極めて大きく、大理石で造営し 白い玉石で魚、竜、雁、蓮の花などの形を彫刻し、十八の浴室を飾りました。 特に白い玉石で彫刻された蓮の花は温泉の湯の中でまるで芙蓉の花が水面に咲いているようだっとと伝えられています。 飛霜殿は玄宗と楊貴妃が泊まったところで、また、宴会と歌舞に明け暮れていたところでもありました。 この殿の南に九竜池があり、昔、温泉の湯が流れ注いでいた池です。 玄宗と楊貴妃は飛霜殿の前に立って、池から湯気の立っている風景を観賞しながら語り合いました。この情景は唐代の風景画にも描かれています。 貴妃池とは彼女の専用の浴槽で、蓮の花の形をしています。 楊貴妃は入浴してから、飛霞閣に上がって、髪を乾かし、その後、すぐに桐蔭軒で踊りました。 玄宗はその入口で惚れ惚れとして眺めていたと言います。 楊貴妃は茘枝が代好きだったので、馬で蜀州から長安に運んだという話があります。600キロも離れている蜀集から三日間で茘枝を運べという命令もありました。唐代の有名な詩人白楽天は、玄宗と楊貴妃の華清宮におけるロマンスを素材にして長編の叙事詩「長恨歌」を作りました。 「春寒くして浴を賜う華清宮、温泉の見ず滑らかにして凝脂を洗う」 華清宮は現代中国の政治舞台にも輝かしい1ページを飾っています。 1936年12月、蒋介石は南京を出発して西安に来ました。 その目的は楊虎城の西北軍と張学良の東北軍による共産党「討伐」が一向に捗らないことに業を煮やしこの二人の将軍を督戦するためでした。 蒋介石は華清宮の五間庁に泊まって、12月12日朝5時、突然の銃声で目を覚まし着替えもできず、裸のままで窓を乗り越え、山腹に逃走しました。 山はらの大きな石の隙間に隠れている時、8時頃、張学良の護衛兵が発見して捕らえ西安市の西京招待所に幽閉しました。 張学良と楊虎城はさっそく延安にいる毛沢東に電報を打ち、代表団の派遣を要請しました。毛沢東は周恩来を西安に派遣しました。周恩来は何度も蒋介石と交渉しその結果第二次「国共合作」が実現しました。 五間庁の窓には今も当時の弾痕が残っています。 山腹には記念のため、石造の部屋が建てられ、「兵諌亭」と名付けられました。 現在の華清宮には温泉の湯元が四ヶ所あり、一時間の湧出量は125トンです。温泉は摂氏43度、その名かに石灰、炭酸マンガン、硫酸ナトリウムなどの 九種類の有機物質が含まれていて、関節炎や皮膚病に効能があります。 最近発見された唐の太宗皇帝の星辰湯、玄宗皇帝の蓮華湯、楊貴妃の海棠湯などの著名人の浴槽の遺跡の上に古典的な建物が作られました。 尚、飛霜殿の前に立って眺望すれば美しい風景の庭園に広い池があり 朱塗の亭や楼閣、東屋などの唐代の風格を保っている建物が点在し 枝垂れ柳や百日紅の木が茂り、古代にロマンスが偲ばれます。 烽火台 周の幽王は褒似を溺愛したが、一度も笑わないのを苦にしていた。 ある日、手違いで外敵侵攻を知らせる烽火が打ち上げられて 四方から駆けつけてきた武将たちが間違いと知ったときに褒似は笑った。 幽王は褒似が笑う顔を見たいがために何度も烽火をあげさせた。 さらに、皇后と太子の宜臼を廃し、褒似とその生んだ伯服を立てようとしたため皇后の父親申侯は西戎と連合して周を攻めた。 急いで烽火をあげたが、虚報に懲りて救援の諸侯は集まらず 幽王は殺され、周は滅亡したと伝えられている。 住所 西安市臨潼区華清路38号 電話 029-3812003 開放時間 07:00-19:00 入場料 40元 ********************* 次は大雁塔。 これが最上階からの眺め。 そしてその次は訪唐歌舞。 食事は劇場の上階で食事をすることに。 西安の名物の一つ、餃子を頂く。 ここも、旨い。本当に旨い。なんでこんなに旨いのだろうか? ここの女性の給仕の人も「日本語」上手。 肝心の劇ですが、これは「良かった」と表現するよりも、「美しかった」と 言い表したほうが合っていると思います。 ただただ美しかった。 最後駄目押しに「足マッサージ」。 ガイドの李英さんと一緒に4星ホテルにて。 この日はすごく贅沢な一日でした。 西安最後の夜は...そうお決まりの....「呑んでます!」 「お土産用」だった酒。 今、撮ってきたビデオを観ながらこの中国日記を書き上げているのだが 実に贅沢な旅行だったと改めて思った。 主要な所は短い時間の中で、ちゃんと行っているし 一緒に行った仲間も非常に良かったと思う。 まぁその分払ったお金も相当額払っているのも事実だが。 でもそんな楽しい思い出深い旅行も一年を経て考えると記憶が曖昧になる。 やはり、日記というのはその時に書き記しておかないと、後からでは 躍動感あふれる文にはならないことを実感した。 そして、このあと上海に向かう。 知人の妹と会って食事をした。 上海はガイドと喧嘩したのと 滞在が半日程度だったので 書くことほとんど無し。 翌日、日本へ帰国。 その帰国便がなんとビジネスクラス(もしかしたらファースト?)。 先生なんか、乗務員になんども確認していましたからね! 本当にびっくりした。 終わりよければ全てよし。
前回は北京についた所まで
朝、確か9時に待ち合わせだったから、7時半かな起きたの...。 眠い目をこすりながら、いざ2階食堂へ! バイキング形式なので、たらふく採る、取る、捕る。 昨晩からの空腹のせいなのか、非常においしい。 虎龍「あー食べた」 新ペー「いやぁ、おいしかった」 先生「もぉいしい!」 姚蘭さん「おはようございます!!」 すがすがしい!実に爽快な朝だ! 各自、両替をすませ運転手の梁さんと共に まずは明の十三陵の一つ、万暦帝の定陵へと出発する。 ******************** 長陵の西南にある定陵は、明の13代皇帝の万暦帝と2人の皇后を埋葬してある。 万暦帝 は22歳で帝位につくと、すぐ自分の墓の造営を始めた。6年の歳月と国費の2年分に相当する巨費を投じて完成した。陵墓といわれず「地下宮殿」というほどの豪華な造りである。酒色におぼれた皇帝は、生前に完成したこの墓の中でも大宴会を開いたといわれている。 地下宮殿は、地下20㍍という深い場所にある。天然クーラーが効いて夏でも寒い。 前、中、後、左、右の5つの殿堂でつながり構成されて、総面積は1195㎡。すべて石造りでアーチ構造になっている。中には発掘された当時の棺(複製品)と、皇帝・皇后の大理石の宝座が展示されている。 この発掘の引き金となったのは小さな石碑であった。その発見のもとになった文字の刻まれた石は、そのまま定陵博物館に陳列されている。 第1室は前殿、いわば宮殿のアプローチに当たる。地面にはレンガが敷かれ、周囲は大理石造りである。第2室には宝座がある。皇帝の座には龍の彫刻、皇后の座には鳳凰の彫刻がされている。一番奥まったところには、棺が三つ並んでいる。中央が皇帝,左右が皇后。 周囲の箱はすべて副葬品になっている。 地下宮殿を出て明楼に上がれば、その他の陵も点々と見え、明代の皇帝の権力がしのばれる。 向かう道の両脇に桃園がいっぱいに広がる。 住所は北京市昌平県十三陵特区 電話番号:010-6076-1424 OPEN時間:8:00~17:40 休日なし 入場料:26元(2002年当時) 交通:徳勝門からバス345路で「昌平」へ、ここで314路に乗り換えて「定陵路口」で下車。 前門から観光バスも出ている。 ******************** 駐車場に着く。相変わらず、売り子が多い。 本当に多い。スゲー多い。 神路を通って(これって合ってます?) 地下宮殿へと近づく。 余りよく覚えていないが (そりゃそうです、行ってからもう2ヶ月近くも立っています。) ものすごく入り口まで混んでいた気がする。 なんか宮殿の周りの庭だかなんだかの周りを一所懸命進む。 やっと入り口。ここからは撮影禁止。 細かく書きたいのですが、 ここはひとつ別サイトにゆずりましょう。 http://www2.fukutoh.co.jp/~koba/chaina/2nd_day2.html どう?見終わりましたか?まぁこんな所です。 しかしもかかしも中国はすごい。 こんな物作ってしまうのだから...。多分この宮殿だって工事に携わった人たちは大部分はうめられたと思いますよ。なんせ秘密を知っている者ですからね。 入り口にて姚 蘭さんに「アータラコータラ、では何分後」って言われた。 仕方がないのでまずは工場見学。 なんかこの場所すごい観光名所?らしくて 検索していたらこんなの(http://www1.ocn.ne.jp/~maru3sp/page27.html)が出てきました。 そうです、まさにこの青いジャケットを着ていられる方が 私たちに説明をしてくれた方です。(オー懐かしい!!) が、である。何が"が"ナノか? まったく覚えていません。 なんせ頭に残っていることと言えば 出口付近にあった地球儀がエライ、エライ、ナオエライ高かったって事かな? 関係ないが移動中にとった映像。 北京にディズニーランドをと言う計画が途中で頓挫した跡だって言っていたよう な...。誰かこの話知りません?) 広い店内に投げ出されるやいなや「待ってましたと」と 屈強な、もとい可憐な、イヤイヤ昔、可憐だったと思うような方が まるで街頭のティッシュ配りのねーちゃんみたいに近づいてくる。 一人目。まずはかわす。 二人目。何とかしゃべらずにチャイナドレスが掛かっている茂みに 身を埋める。 「新手が...」今度は笑顔を振りまきながら、カニ走りに すり寄ってきた。 「ダ、ダメか」。 と、あきらめかけた途端 新ペーの声が...。 「何か良い物ありました?」 とりあえず第一次攻撃はかわしたようだ。 ふたりでブラブラ。あっちこっちブラブラ。 しばらくして気がついた い、いない。先生がいない。何処行っちゃたんだろう? (後日、売り子に"拘束"されたいたことが判明) そこで確か、手の運動するような丸くて音がするやつ買ったような。。 結構、あっさり値引きしてくれたのを覚えています。 姚 蘭さんと梁さんと落ち合う これから、ちょっと遅めの昼食である。 なんか此処も有名な所みたいで店に入った瞬間ものすごい人、人、また人。 一階がお土産やさんで二階が食事するところになっている。 そして、踊り場(現在死語)で 二人のチャイナ・ドレスを着たおねーさまがしきりに大声で怒鳴り合っている。 ○でけんかしているみたいに... ねーさまA「そっちに伝票あるでしょう!!」 ねーさまB「うるさいわね、さっきから無いって言ってるでしょう!!」 ねーさまA「”うるさい”は余計でしょ!コノトントンチキ」 ねーさまB「な、ナニ!!!!!!!!」 *ちなみにこの人達、おそらく観光の人たちの予約伝票を管理していたと思いますが この店、なんと300人くらいは余裕で入れる位、大きい店です。 その伝票を多分、二人で仕切っていました。すごいですね と、そこへ我が部隊の隊長、姚 蘭さん登場です! 姚 蘭さん「どれどれ、ちょっと見せて」と 踊り場嬢の手から伝票をとる。 一同見つめる...ドレスを......... 姚 蘭さん「これは?」 ありました。流石です。 一同席へと向かう。 一度くらいはみんなで食事をしたかったので 運転手さんの梁さんも一緒に食事をしましょうよと 姚 蘭さんに告げると、「ではそうしましょう」ということに...。 (後で考えると初めから5名席だったような...。まぁいいっか) 本来ならガイドさんと運転手さんの食事するところはもっと 奥にあります。 兎も角、まずは食事。 新ペー「う、うまい」 先生「うぉまい」 私「マジ、うまい」 本当においしいです。なんか別に普通なんですよ。 ただただこんな大きいところだから、おそらくいろんな物 使っていると思いますが、なんかなんだろう? 中国に来たという感じをさせてくれます。 本当に普通の料理なんですけどね。。 このツアーなんか食事の旅にビールが一本ついているらしく (うまい、この商売上手。だって一本で終わるわけが無いじゃない!) あっという間に飲み干す。・・・もうこの段階で来年もきっと来ようと思いました。 私「すみません、ピージュ」。 止まりません。アタリマエ。 と、その時なにやらテーブルに小さいビンが..。 「白酒と言います」 姚 蘭さんが教えてくれた。 これ呑んで良いんですか? 新ペー素直な質問である。 誰しも思ったであろう。 姚 蘭さん「もちろん!!」 こりゃ止まらない。どうしようもない。 相手の作戦勝ちである。 本当にたらふく食べました。 さぁこの後はお待ちかね?万里の長城です。 万里の長城。 行ってみたかった所のひとつです。 説明はこちら http://www.nicchu.com/beijing/kanko/k01.html) グレートウォールとしてユネスコの世界遺産の筆頭級にあげられ、中国を代表する最大の史的観光スポットである。北方の外敵からの防御という目的とはいえ、山の峰々や絶壁、あるいは谷、はては川の中にまで張り巡らされた城壁群には圧倒される。と同時に、あまりの壮大さゆえに、プランナーに対してはその英知をめでるというより、日本の戦艦大和の建造に似る、あるいはそれ以上のスケールの愚かさも禁じ得ない。しかし、いま、計数的にそれら費用対効果を論じられるのは現代の視点に立てるからであって、ただただ絶対君主であり続けなければならなかったいにしえの王朝からすれば、対外的軍事戦略というよりは、融合したばかりの国内での心理的統合、あるいは畏怖の確立といった内的効果にも狙いにあったにちがいない。いずれにしても、累々と続出したであろう施工によるあまたの事故犠牲者などをめぐりどんな感慨を抱くにせよ、北京に来て、じかに長城を見て帰らないことには、中国史、また今後の中国、かつ中国人を語ることもできまい、と言えるしろ物だ。 春秋戦国時代のころから、中国国内では北方のみならず、至る所に諸侯による長城が築かれていたが、北方では騎馬民族などの夷敵からの防御のため、東ははるか鴨緑江まで築かれていたといい、いまでも遼寧省内でその遺構が散見される。それぞれの長城をつなぎ合わせれば1 万2700華里(1華里は0.5キロ)となることから、俗称として「万里の長城」の名が生まれたようだ。 紀元前221 年、中国を統一した秦の始皇帝は、それら北方の燕や趙の長城を連結するとともに西方にも延長した。渤海湾岸の山海関から甘肅省の嘉峪関まで、長城を一重のシンプルなものと見れば全長は2700キロに達する。その時代の長城は土をつき固めた比較的簡単なもので、いわば土塁の連続に過ぎない。したがってほとんどが風化されるままで朽ち果てているものも多い。しかし明代、ことに後期になって改めて築かれた長城は大ぶりなれんがで表層を覆い、しばしば修復をくり返した。そのためもあって、山海関から黄河に至る最も堅固な部分が断続的に現存する。北京市域内では、玄関口に当たる居庸関のほか、八達嶺、慕田峪、さらに東北郊密雲県の司馬台などが改めて観光地として整備され、一般向けに公開されている。 ******************** 八達嶺 北京市内から約75キロ、高速道路を使って1 時間足らずの距離で手軽に長城見学ができる最もポピュラーな箇所。西北郊の延慶県に属す。太行山脈に続く軍都山脈に当たり、なだらかな尾根と小規模な峡谷が連綿と続く高原の入り口に位置する。バスや列車で、後述する居庸関を過ぎて北上するとよく分かるのだが、この付近は最高でも海抜1015メートル程度に過ぎないにもかかわらず、広大な河北平野に位置する北京からは指呼の間にあり、王城北方の後背地の一環として古代の覇権者が軍事的に重要視せざるを得なかったのだ。 車であれば、「工事でだいぶ死んだだろうなあ」と思わざるを得ない、急峻ながけにも築かれた長城の支壁を右側に見やりつつ、高速道路を下りて山間の旧道をしばらく走ると大規模な南麓駐車場に至る。「長城への近道」などと書かれた屋根付きの階段を歩いて登ると鞍部の登城口になる。列車で来た場合、あるいは車でも高速をやや走って八達嶺駅付近を経由すれば直接登城口付近のもうひとつの駐車場に到達できる。八達嶺、休日ともなると、北方に連なる北線には多くの観光客が押し寄せる。 往時、一般の通行を制限する関所としての機能を持ったのが長城の関城だ。下の駐車場から登って最初に長城をくぐる関城の門付近の城壁は高さ7.5 メートル、厚さ4~4.5 メートルだが、ここ以外では7.8 ~9 メートルの高さとなっている。約110 メートルごとに望楼兼のろし台のdun(土偏に敦煌の「敦」)台が築かれ、内部は守備兵の詰め所になっている。といっても、探したがトイレや水場すらなかった。往時は戦場の最前線にもなり得た場だ。dun台を含め、長城本体はそれまでの土塁風のものとは異なり明代に修復された。そのため、故宮などの城壁と同じ、くすんだねずみ色の大ぶりのれんがで四周を固め、より堅固なものとなった。やはりれんがを敷き詰めた城壁の上部は騎馬が5 列、兵士が10 列並べる幅を維持しているという。 小学生の頃、長城の上部は馬が牽引するような古代の戦車が走れると習った記憶があるが、実際には急傾斜の階段部分が多く、戦車は不可能だ。騎馬でさえ登り下りできるかどうかで、要は見張りと伝令役の兵士が徒歩で往復し、急用があれば近接するベースキャンプである居庸関などへ向けのろしを上げればすむ。 凹凸状の矢ざまのある壁面の側が城外、反対側が北京方向となるが、長城が尾根など地形の変化に合わせてくねくねして築かれているため、矢ざますべてが北方に向いているとはいえない。 見学は左右の山の頂きにある望楼まで可能だが、歩いて上るのは登山と同じで健脚者でなければ難しかろう。ただ、そこまで行ければ、なお荒れたままの長城の延長や、はるか彼方の山並みまで遠望できる。なお八達嶺駅側にロープウエーが引かれ、北京から見て左側の長城の望楼へ向け5 分ほどで登れる。 行き方: 著名ホテルを回る中国国際旅行社などが主催する現地ツアーに参加する場合、明十三陵の参観を加えて、ガイド付きなら日本円で5000円以上かかる。少しでも中国語ができる方なら、前門の東北の角のバス停から市交通局の「游1」ツアーバス(ガイドなしの個人参加)がある。また徳勝門から919路長距離バスに乗れば10元ですむ。国鉄八達嶺駅付近に着く。さらにマニアックな方向けに、北京北駅から国鉄京包線の直通旅游列車に乗って直接八達嶺駅へ行く方法もあり、この場合も快速・空調代込みで10元。バスは約1時間、列車は約2時間の所要だが、観光を含めていずれも半日~1日がかりとなる。 入場料: 八達嶺登城口で傷害保険込み36元。 南線ロープウェー料金: 片道40元、往復50元。 (2002年当時の価格です) ******************** 姚 蘭さん「男坂と女坂がありますが、どちらにしますか?」 私「そりゃ、人が行かない方」 へそまがり。 結局、急勾配な男坂の方へ...。 と上りだしてまもなく、売り子さんの登場!! 頑張っています。力強いですね。日本のみなさんも このくらい、頑張ってくださいね! 客と売り子の戦い。がんばれ先生、がんばれ売り子さん! っていうか、いらないならハッキリ「いらない、不要(ブーヤオ)」って 言えばいいのに...。 向こうも暇じゃないから、買う気が無いと解れば、相手にされなくなるのに...。 ま、そこが先生いいところ。 のぼる。のぼる。の・ぼ・る。の・・ぼ・・る。の・・・ぼ・・・・ きつい。ハッキリ言って壁と同じくらい(大げさでは ない と思う) 私「いいよ此処で待っているから行って来な」と 若い二人に先を託したのであった。 私「勝手にいけ!こっちは歳じゃ」 姚 蘭さんとしばし、そこで待つことにした。 だってガイドさんだって嫌でしょう? 一ヶ月の間に何回のぼるのでしょうから。 しばらくして、先生と新ペーが戻ってきた。 長城、良かったです。 夢にまで見たものに、行くことが出来たと言うことは...。 久々に更新。なんと中国に行ってから 一年が過ぎました。 だのに...だのにまだ、去年の事を書いているとは。 情けないやら、はずかしいやら。 でも、やり始めたことなので一応最後まで掲載しようと思います。 (記憶が曖昧なので時々、フィクションになるかも) さて、長城を降り、お決まり通りに「土産の関所」へと向かう。 しかし、ガイドさんたちはここを「休憩所」と呼ぶ。 「しばらく休んでいてください」 そう言い残し姚 蘭さんは、何処かに消えていた。 さぁこれからが大変だ。 茶が出される。 飲む。 話しかけられる。 寸時も間が無くたたみかけられる。 もうだいぶ慣れていたので、新ぺーと私はシカトを決め込んだ。 しかし。そうです。やはり人のいい、濛々先生。。 水晶(売り子さんはそう言っていた)を必死に勧められる。 「いくらするんですか?」 だいぶ高いらしい。 先生、必死に指輪を見せる。「最近結婚したばかりでお金が無いんです」 無駄だろう。説明しても。 当然のごとく、さらなる「口撃」は続く。 「じゃぁ奥さんに何かかってあげなさい!」 売り子さんも仕事。そりゃ遊びじゃ無いのだから、真剣なのはごもっとも。 いろいろと説明して、お金が無い旨を説明する先生。 日本語で。 「いま妻がこれで。。」とおなかに手をそえ、大きく弧を描く仕草をする。 そう...子供がお腹にいる事を言っているらしい。 だが敵もさるもの。 「そうか、そうか、それはおめでとう!!コングラッチレイション!」 「じゃぁ安産のお守りがこちらにあるから、見てみなさい!」 商魂たくましいとはまさに、このことだろう。ガラスケースの前で ものすごい勢いで商品説明を続ける”売り子さん”。 学ぶべきものがここ"4000年の中国"にあった。 商売とはコウダッタンダ! 文章にするとわずかに、こんなものだがこの攻防おそらく 20分ぐらいは続いたと思う。 終いには先生「やめてー!」って耳に手をあてて 泣き叫んでいた。 「では、行きますか!」 救世主の女神が現れた。 姚 蘭さんの登場である。 梁さん運転する車で今度は天壇公園へと向かう。 ******************** 天壇公園 明の永楽帝によって造られた面積273万㎡の公園である。 明・清時代に皇帝が豊年を天に祈願した場所。 外垣は≒6.4Kmさらに内垣で仕切られた敷地には南より圜丘壇、皇穹宇、祈年殿が並んでいる。 祈年殿 直径30m、高さ38mの円形の建物である。 円形の3層の大理石の基壇上に建てられ屋根は3重の瑠璃瓦で葺かれている。 28本の柱で支えられおり釘は1本も使われていないそうです。 祈年殿の年は稔(実り)の意味があり、毎年正月、天子は皇天上帝を祀って五穀豊穣を祈った。 皇穹宇 青い瑠璃瓦の円錐形の屋根をもつ木造建築物で歴代皇帝の神位を奉っておくところ。回音壁 建物(皇穹宇)を囲う直径65mの円垣は垣に近づきささやくと遠くの人に聞こえるという所からその名がきた。私は手を叩いてみたが伝わるようであった。 圜丘壇 毎年冬至に皇帝が登り天を仰いでその年の豊作を祈った所だそうです。明清時代に皇帝が天に五穀豊穣を祈った所。中国に現存する最大の祭祀建造物。市街南部,かつての北京外城部の崇文区の4分の1を占める公園となっている。左写真の祈年殿は,この公園を代表する円形の木造建築で,3層の大理石の壇上に建つ。高さ38m,直径30m。中央には円形の石があり,自然の龍紋がある。内部中央の4本の柱(龍井柱)は四季を表し,周りの12本の金柱は12ヶ月を,その外の12本の柱は12の時刻をそれぞれ表している ******************** さて、高速道路を突っ走り目的地へと向かうわけだが 途中、公安に車を止めろと手招きされる場面に遭遇。 梁さん、そこは慣れたもの。 車のウインカーをだし、するすると公安の方へと向かう。。 と近づき車を止めそうになった瞬間、車はフルアクセルで急発進。 爆走、いや逃走である。 リヤウィンドに映る、なさけない公安。 なんでも、まじめに止まる人なんていないらしい。 それに公安が使用している車より、民間の人が使用する車両のほうが 断然早いので、追いつかないとも。 こりゃこりゃ。。 しばらく走り、目的地”天壇公園”へと到着。 天壇の南門、昭亭門から入り 長い、長い、神の道を歩き中心部へと向かう。 途中、日本の歌謡曲が流れているのを聞くも、そのときは題名がわからなかった。 帰国後ビデオで「グッパイマイラブ」アン・ルイスの曲と確認。 この天壇公園の神の道近くでは盛んに凧揚げが行われていた。 自分も小さな頃はよく作ったものだ。自作の糸巻きなんかで揚げていたっけ。。 こんな長閑な日常を取り戻したいな...なんてね... ここ天壇公園の説明は他のサイトに譲るとしよう。。 圜丘壇、皇穹宇、回音壁など一通り見て、七十二長廊を通って外へと向かう。 七十二長廊では普通の北京市民が歌や楽器の演奏を披露していた。 実にいい感じである。 次は北京ダック 私の記憶が確かなら全聚徳(支店名は解らない)に行ったと思う。 (もし店内の画像を見て違っていたら連絡してください) のんだ、呑んだ。白酒。 またここのお姉さんが商売上手。。 たちまち、お土産まで買わされてしまった。 すっかりいい気分になって梨園劇場にて、京劇を見た。 (ごめんなさい、これも曖昧な記憶です) どうやら三岔口という演目だったらしい。 上演時間:30分、上演人数:3人 任堂恵は島流しになった焦賛を密かに護衛しようと後を追っています。ある日、三叉路=三岔口 近くの宿に泊まることにしますが、 宿の主人劉利華は、任堂恵を焦賛暗殺の刺客と勘違い。 2人は暗闇の中で、大立ち回りとなります。 最後に焦賛 が現れて、任堂恵と劉利華の2人が 味方同士とわかるまで、ドキドキ、ハラハラ。とっても緊張しているのに、笑いがこらえきれない。京劇の名作です。 これはどこかのサイトからの抜粋。 後に西安に行ってガイドさんに「京劇みたよ」って言ったら 「なんであんなに退屈なもの見られるの?」と言われた。 やはり国内でも郷土意識が強いんだろうなと感じた。 続く...
気の利いた「冗談」を交えながら話を進めますと
円滑に話がまとまります。これは「怒る」時だろうが 「諭す」時だろうが、はたまた「議論」するときにても 変わりません。 要は「冗談」を巧みに使いこなすことができると 人と人との接点たる「会話」の衝撃を和らげる効果が 「笑い」の中には含まれています。 万事、西洋へならえは、好きではありませんが 気の利いた「ジョーク」を言えない人間は アメリカ社会では出世はおろか、人間的に認められないそうです。 「冗談」を駆使して、自分の言いたいことを的確かつ、 素直に相手に伝えると言うこと。言い換えれば相手への 衝撃を和らげながら確実に伝えるという技術を習得する と、先ほどの話を逆手にとれば 社会的に出世して、「人間」であるということ。 しかし、なかなかそうは言っても、 百戦錬磨常勝している時期には、 「冗談」を使わずして 徹底的に説き伏せる いわゆる、論破する形を 人は好む傾向にあります。 「相手の気持ちはなんのその」です。 このような状態の人物は途中過ちに気づいても、 いつしか目標が「気持ちを伝える」事ではなく 「論破、いい勝つ」になり易く、軌道修正はなかなか できません。 結局、嘘をつくために嘘といった、 理屈か屁理屈だか解らない、勢いに 任せただけの「口撃」にしかならないのです。 こんな時に言葉の矛先を鈍らせてくれるのが 前述した「冗談」なのです。 これを交えながら、相手に自分の気持ちを伝える。 この技術が備われば、普段から自分が他人に対して 思っていることを「サラリ」と言えることが可能となるのです。 人に言い勝つ事、それはその人に「勝った」事にはならないのです。 言い負かす事ばかりに明け暮れれば、周りの人間が離れていくのは、明らかです。 その言葉の中には、相手の気持ちが存在する場所がないのですから。。 人に自分の気持ちを伝えること、包み隠さず言えること それは適切な「冗談」を持ち得ないと、不可能に近いことなのです。 それらが自然にできるようになると 人望を集め論破などせずとも 人々は聞く耳を持ち、事がうまく進みます。 『桃李言わざれども下自ずから蹊を成す』です。
世の中で一番大切なもの。それは信用。
「信用」が無ければ信頼関係など築ける 訳が無く「不信感」を抱かせる大きな原因になる。 Aと面と向かった時には 耳障りの良い言葉を並べ Aに対しおべんちゃらを言いながら Bを貶す。 Bと話しているときは Aの悪口を言いながら またBに対し世辞を言う。 節操がない。 二枚も三枚もあるその「舌」で 考えられるすべての世辞を並べ立て 「思い通りに事が運んでいる」と錯覚する。 だが、所詮そんな生き方をしている人物を 評価し、とりまく人間は、同等の水準 つまり信頼関係はできない。 いつかきっと「欺く」時がくる。 信用を得るということが 如何に難しく困難な事かを 理解しているものは そんな軽々しい 人々の側には居着かない。 「舌先三寸」では世の中 渡っていけない。
特に不誠実というわけではないのに、人から親しくつきあってもらえない人がいる。
「悪い人じゃないことはわかっているんだけど、何となく誘う気になれない」などと言われている人もいる。 なぜ、そうなのかを考えて行く課程で、いろいろな人の顔が浮かんでくる。 話をしていると、いつの間にか自分や身内の自慢になってしまう人。 ものの見方が悲観的で、その人を一緒にいると、だんだん気が滅入ってくるという人。 話題がいつの間にか人の悪口になっていて、その人の話にうなずくと、あとからこちらが その悪口を言ったように話す人。 こちらの話に、「それなら私もできる」とか、「それと同じものを私も持っている」というように 子供っぽくて競争心が強い人。 安請け合いばっかりして、結果をいつもはぐらかす人。 飲み会の帰りに二人だけになりたいの人がいることにも気づかないで どこまでもついてくるような、鈍感な人。まだまだたくさんの人たちが思い浮かぶ・・・。 なんの本だったけ?
☆ "その道"案内
知らぬ町に着いたユダヤ人が、通りがかりの人にたずねた。 「すみませんが、ラブさんはどこにお住まいでしょうか?」 「この先右に曲がったところです」 「ご冗談を。あそこは遊郭じゃありませんか」 「いえ、遊郭は左へ入ったところですよ」 「どうもありがとうございました」 ユダヤ人は礼をいうと左の方へ曲がっていった。 ☆とっさの口実 ゴルトワインの妻がみまかって、今日は葬式だというのに、彼はいっこうに現れなかった。 友達が心配して、家へ様子を探りにいくと、なんと屋根裏部屋でお手伝いとの色事の真っ最中。 あきれかえった友達は、口を聞くこともできなかった。 「君っていう奴は........。」 「君たちにはわからないよ。おれは悲しみのあまり気がふれちまったんだ。」 ☆浮気のあいさつ 「こんにちわ、コーンさん。いかがですか?」 「やあ、おかげさまで、月に一回か二回はうまくやってます」 「いや、コーンさん。私は別にそんな意味で聞いたんじゃありませんよ。お宅はいかがですかって 聞いたんです」 「お宅ですって?いやぁ家じゃ皆目だめです」 ☆経費のゆくえ 「よくパリにご出張なさいますが、ずいぶんと物いりでしょうな」 「そうですな。家内を連れていくと、まあ1000フラン。一人でいきますと4000フランぐらいかかります」 ☆お目当て コーンが金持ちの未亡人と結婚し、友達にお披露目した。 彼は小声でささやいた。 「家内は資本金さ。ほら、あそこにいる若い娘二人が連れ子なんだ。いわば利子さ。 つまり俺は資本金には手をつけず、利子で生活しようってわけだ。」 ☆後悔の順番 「わしの娘と会社の金を横領して逐電しおった会計担当の男は、だんだん後悔しているようだ」 「へえ、金でも返してきましたかね?」 「いや、金はまだだが、娘の方を先に送り返してきおった」 ☆おふくろの数 シナゴーク(ユダヤ教寺院)の寺男には、死者の命日を記憶しておいて、命日が近くなると近親者に 知らせ、チップをもらう余得がある。 ある成り上がり者に父親の命日を知らせたところ、意外なほどたくさんのチップをくれた。この金持ち は金儲けに忙しい上に、教育も低いから、しばらくして、もう一度、父親の命日を知らせたら、また チップをはずんでくれるにちがいないと、寺男は数ヶ月してから金持ちのところに知らせにいくと 前と同じように大金をくれた。 欲を出した寺男は、今度は母親の分もせしめてやろうとした。 二度目の知らせを聞いた金持ちは、烈火のごとく怒っていった。 「このペテン師め、俺のおやじは何人かいたかもしれんが、おふくろは一人っきりしかいないはずだ」 ☆いったい何の助手? 車中で美しい女の先生が乗客に聞かれた。 「子供は何人いますか?」 先生は生徒の数を聞かれた者と誤解して「37人います」と答えた。 聞いていた連中は信じられないといった顔をして大笑いした。すると先生は、そんな数多くの子供たちを教えられるはずがないと馬鹿にされたものと思い、きっぱりと言った。 「馬鹿にしないでください。もちろん助手を使っているんです」 ☆商売上手! 「お前さんのとこのニシンは一匹40ペニヒだが、向こうの魚屋じゃ20ペニヒで売っているぜ」 「そんなら向こうで買ったらいいじゃないか」 「ところが今のところ、売り切れなんだ」 「へえ、そうかい。おれんところでも、売り切れたら20ペニヒで売ってやるよ」 ☆それには及ばず! 危篤の床で、金を貸してある人の名前と金額を息子に書き留めさせていたユダヤ人が、もうぐったりとして声も出なくなってしまった。 その父親をはげまして息子がいった。 「お父さん、念のためこっちが金を借りている人の名前を控えておきたいのですが」 すると父親は弱々しげながら、憤然としていった。 「その必要はない。自分から名乗ってくるわい」 ☆もっともあてにならない保証人 「今のところ、金繰りで困り切っているんだ」 「なあに、そのうち神様が助けてくれるさ」 「それはわかっているんだ。だから神様の保証でそれまで、ちょうっと融通してくれないか」 ☆正しい客の扱い方 取引をすませたブロッホ氏が、相手になじるようにいった。 「商売敵のレビがいうには、あなたはとても礼儀正しい方で、客が帰るときはちゃんと燭台をともして 門まで送って行かれるそうだが、私と取引したときは見送ろうともしませんな。手形で払うレビを見送るのに、現金払いの私を見送らないとは納得いきませんね」 「だって手形の振出人が戸口でつまずいて、首の骨でも折ったことには、 大変な損害じゃありませんか」 ☆あべこべの"論理" ヤンケフが馬を買って家に帰る途中、大嵐になってしまった。馬はおびえきって一歩も進もうとしない。困り果てた彼は神に祈った。 「おお神様、どうぞ何事もなく嵐が去りますようお願いします、もしお願いをかなえてくだされば、この馬を売って、そのお金を全部人様のためになることに使います」 この言葉が神に通じたのか、間もなく大嵐は忘れたかのように過ぎ去った。神との約束を果たさなければならず ヤンケフ は馬を引いて再び市場に現れたが、片手にニワトリも1羽抱えている。これを見た 農民が近づいて聞いた。 「旦那さん、その馬は売り物かね?」 「ああそうだよ。しかしニワトリ込みでなけりゃ、売らないよ」 「へぇ、そんじゃ合わせてなんぼかね?」 「ニワトリが50ルーブルで、馬が1ルーブルだ」 ☆無理な話 「ラビのコッペルさんが亡くなったという話だが、君もお葬式にいくかね」 「いやあ、おれの葬式にも来てくれない人の葬式に行ったって、仕方ないだろう」 ☆おかしな、おかしな"三段論法" 客がカフェーでアップルパイを注文した。ボーイが運んでくると、気が変わったと言って、パイを返し 代わりにブランデーを一杯注文した。運ばれてきたブランデーをグイと一息に飲み干すと、客は そのまま帰ろうとした。 ボーイがあわててひきとめた。 「お客様、ブランデーのお代金を頂いておりませんが」 客は平然としていった。 「だってその代わりにアップルパイを返しただろうが」 「そのパイの代金は頂いておりません」 「そりゃそうさ。食べた訳じゃないんだから」 ☆債務者の方が強い!? 債権者が債務者をせめていった。 「あんたに貸した1000フランは、いつ返してもらえますかね」 「実は私は債権者を三通りに区分けしていましてね。第一種というのは、なんとかやりくってかえさにゃ ならぬ相手、第二種は、私が返すまで待っていてくれる相手、第三種は貸し倒れにしても、まぁそんなに騒がないと思う相手と、こうなっているのです」 「それじゃ、私はどの種類に入っているんだね」 「あなたは今のところ、第一種に入っています。しかし、あまりにお騒ぎになると、第三種になり、しかも 絶対に昇進しないようにしますよ」 ☆名医の診察もパック料金なら ある村のユダヤ人が、ウィーンの高名な医者に電報を打って、高額な診察料を払うから、重病の妻を 診断したくれと頼んだ。 名医のノートナーゲル教授はそれならばと、腰を上げた、村の駅に降り立つと、喪服を着て出迎えに来ていたユダヤ人にさめざめと泣かれた。 「せっかくお頼みしたのにね、家内はみまかってしまいました。しかし、先生にはご迷惑かけません。 公会堂に村中の病人をたくさん集めておきましたので、ぜひみてやってください。もちろん、お約束した 往診料はお払いします。」 ノートナーゲル教授は、せっかくのことだからと、大勢の患者を診察してやった。 次の日、ウィーンに帰る教授を駅まで送りにきたユダヤ人が言った。 「先生、実は一人ではとてもお払いできなかったものですから、昨日みていただいた大勢の患者の中に 家内を混ぜておきました」 ☆抜け目のない"取引き" グリーンが倒産したといううわさを聞いて、ブラウが真っ青になってとんできた。 「グリーンさん、長年の取引相手で、お前さんの友達でもあるわしに大損害をかけるつもりかね?」 「ブラウさん、そんな心配は無用ですよ、あなたには損害をかけないよう、ちゃんと手は打ってある。 ほかの債権者には30%で示談するよう申し入れてあるが、幸いにあなたに納めてもらった品物は 手つかずで置いてあるから」 「なんだって、あんた、あの品物をよもやわしに返そうっていうんじゃあるまいね。それじゃわしの 大損じゃないか。わしとも30%で手を打っておくれ」 ☆事実より"証明"が大事 コーンが弁護士のところに出かけていった。 「先生、あのグリーンはけしからぬ奴です。2000ギルダーを即刻返済しないと、裁判にかけると脅してきました。 ところが、 私に言わせるなら、2000ギルダーなど借りた覚えがないのです」 「なるほど、それなら話は簡単だ。ちょっと書記君、私の言うことを手紙に書いてくれたまえ。.....貴殿に対する債務は一切これなき故をもって、提訴されるの儀は貴殿御勝手とされたく.........。 「先生、ちょっと待ってくださいよ。どこで法律を勉強なさったのか知りませんが、それじゃあいけません 大変な間違いです。書記さん、スミマセンが、こんな具合に書いてくださいな。.........小生の債務たる2000ギルダーは、既に返済されたものにつき、提訴されるの儀は貴殿.......」 「コーンさん、だってあなたは借りた覚えはないとおっしゃったじゃありませんか」 「先生、もし先生の手紙の通りにしたら、グリーンが立証責任を持つこととなり、私が返していないという 証人二人を見つけりゃ良いわけでしょう。ところが、私の手紙のようにすれば、立証はこちらでやることとなり 返した現場 を証明する人間二人は、私がお膳立てすれば良いことになるじゃありませんか」 ☆経済の奇跡を起こす男 ワルシャワで、一人のユダヤ人がとうとうと話していた。 「モイシェさん、私のズボンを見てご覧なさい。考えてみると、こんな物でも経済の奇跡というほかないですね。 オーストラリアでは、何百万もの羊が飼育され、そのおかげで何千人もの羊飼いが飯を食っている。 この羊毛が、スコットランドまではるばる積み出され、そこで何万人もの工員と何百人もの工場経営者が、紡績や織布で生きていかれる。 それから、布地はポーランドに売られ、この国じゃ衣料向上では何千人もの工員やお針子が働いている。 出来上がった 製品は問屋に納められ、商人たちはこのおかげでいい商売をやっている。 それから小売り屋へとまわるのだが、私がこのズボンをクレジットで買い、そして踏み倒すという訳だ」 ☆"ただ"で手に入れる"テスト"法 農民の男がナイフを買うときには普通、三種のテストを行う。 まず、綿毛をとばして、スパッと切る。 これがうまくいくと、第二のテストは、石に打ち当てて、火花が出るかどうかを見る。 これも合格すれば第三のテストを行う。それは、あたりを見回し、密かにナイフを上着の下に隠すのである。これがうまくいかなければ、ナイフは返さざるを得ないわけ。 ☆かけがえのないパートナー 「ゴルドベルグが今度、事業を始めるにあたってあんたをパートナーにしたって話だが、一文無しの あんたをよく仲間に入れたな?」 「そう馬鹿にしたもんでもないさ。おれは金は持っていないが、経験は豊かだからな」 「なるほど。するってえと、しばらくしたら、あんたが金を持つようになって、ゴルドベルグは一つ 経験豊かになるって訳か」 ☆見方にすればこれほど心強いものはない! カーンが警察に訴えた。 「詐欺師が私の代理人だと称して、10万フランもの金をあちこちでかたり取ったんです。 10万フランと言ったら、ほかの集 金人全部が束になったって、なかなか取り立てできるものじゃありません。何とか 緊急手配して、あの男を見つけてください。 警部はもっともだという顔をしていった。 「よろしい。すぐ捕まえて牢屋にぶち込んでやろう」 それを聞いてカーンは、あわててうち消した。 「滅相もない。そんなことをされては困ります。私はそいつを集金人に雇うつもりなんですから」 ☆「無実の罪」だから重い? 時計屋で、客が腹立たしげに主人に言った。 「あんたはこれでも時計屋のつもりでいるのかい。この時計を修理してもらう前は、進んだり遅れたりはしたが、 それでも動 いていたんだ。ところが、あんたに修理してもらったら、止まったきりじゃないか」 「それは無実の罪というものですよ。モーゼに誓っていいますが、私はあなたの時計にゃ指一本 触れちゃいませんよ」 ☆法の網のくぐり方 戦時、食糧難の折り、物価統制にもかかわらず、ユダヤ人のメンデルはアヒル一羽に200クローネという高値をつけて、 大儲けしていた。 隣の男が、まねをして新聞広告を出したら客が来る前に警官が やってきて、アヒルを全部没収していった。 隣の男が嘆いてメンデルにたずねた。 「メンデルさん、お前さんが捕まらないのは、どんな仕掛けになっているんだね?」 「ところで、あんたはいったい、どんな広告を出したのかい?」 「ただ、アヒル一羽200クローネで売ります、としか出さなかったのだが...............。」 「そりゃ、お前さん、馬鹿にもほどがあるというもんだ。いいかい、あたしの広告にはこう 書いてあるんだ。 -日曜日に教会広場で200クローネ紛失。発見された方には薄謝としてアヒル一羽進呈- こう書いたら、次の日には町中の人が200クローネ届けに来たよ」 ☆神のみぞ知る あるユダヤ人が問屋で仕入れをすまして、手形で払った。問屋の主人はこの取引の祝儀のつもりで 手袋一揃えをユダヤ人に贈った。 ユダヤ人は不満そうにつぶやいた。 「たったこれだけかね?」 「お前さん、よもや今の手形も祝儀に欲しいわけじゃないでしょうね」 と、問屋の主人が冗談めかしていうと、ユダヤ人があわててうち消した。 「滅相もない。その手形をもらうくらいなら、手袋の方がよっぽどましだ」 ☆腕力に訴える 大木が倒れて道をふさいでいた。馬車の乗客たちが、その前でどうしたものかと論議していたが一向に決着が着かない。 そこにまた馬車が一台やってきて、筋骨たくましい男が飛び降りた。彼はやにわに大木を抱え道端に放り出した。 乗客の1人が吐き出すように言った。 「おみごと、おみごと。しかしまぁ、腕力に訴えるとは」 ☆郵便料金のへりくつ ヤンケルが郵便局で切手をはった手紙をだそうとしたところ、局員が声をかけた 「もしもし、その郵便物は重すぎようですから、もう一枚切手を貼ってください」 「えっ、そうしたら軽くなるとでも本気になって思っているんですか?」 ☆長年の"飯の種" 弁護士のコーンが娘の聟になる青年弁護士にいった。 「娘のレベッカには大した嫁入り道具も買ってやれなかったので、君には金になる遺産相続の 訴訟を一つ譲ってあげよう」 しばらくして、聟さんは義父に向かって、自慢げに言った。 「お父さん、例の訴訟は勝ちましたよ」 コーンはびっくりして叫んだ 「馬鹿なことをしおる。あの訴訟のおかげでわしは15年も喰ってきたんだぞ」 ☆狙いはそこにある ユダヤ人が二人、道の真ん中で口論しているうちに、1人が相手をののしり始めた。 「お前の妹なんて売春婦じゃないか」 相手の男は、口をつぐんだまま答えようとしなかった。 見るに見かねて第三の男がいった。 「きみの妹が侮辱されているのに平気なのか」 「いや、私には妹なんかいませんからね」 そこで第三の男は、第一の男に向かっていった。 「あんた、この人に妹なんかありゃしませんぜ」 「なに、いっこうにかまいませんよ。そんなことは奴が知っている。あなたもしっている。それにわたしも知っているが 知らない連中が大勢、聞き耳を立てていましたからね」 ☆渡りに船とはこのこと! 遊び仲間がカード博打をしていたら、1人が心臓麻痺で死んでしまった。 仲間の1人がかみさんに知らせに行くことになったが、さあ、どうやって伝えて良いかわからない。 とにかくベルを押すと、かみさんがでてきた。 「こんにちは、奥さん。ご主人の行きつけのカフェから来たのですが」 「あのろくでなし、また博打をしているんでしょ」 「へえ、実はそうなんで」 「例によって、スッカラカンに負けたんでしょ?」 「ええ、相当にへこんでいたようです」 「金額も大分張り込んだんでしょ」 「そのとおりで」 「あのろくでなし、もう死んじまったらいいんだ」 「へえ、神様はご照覧で。実は、もう死にました」 ☆あきれた苦労 ユダヤ人のサロモンは、偽装倒産の容疑で訴えられていた。家族は彼が有罪になって監獄に入れられないようにと なん とか罰金ですむよう陪審のユダヤ人に3000マルクの賄賂をつかませた。 望みがかなって、罰金刑ですむことになった。ユダヤ人の陪審員が額の汗を拭きながら、サロモンの家にやってきていった 「いやはや、危ないところでした。罰金に持ち込むにはえらく苦労しましたよ。」 「やっぱりそうでしたか。他の陪審員はみんな体刑を主張していたのですか・」 「体刑だって、とんでもない。みんな、無罪だといって聞かなかったんです」 ☆これぞ臨機応変 ユダヤ人は、ヘブライ語でお祈りをしている間は、世俗の話のためにお祈りを中断してはならないことになっている。 しかし どうしてもやむえないときにかぎり、手まねで意志の疎通をはかるのは許されている。 また、何か宗教的な他の勤めを果た すときにのみお祈りを途中でやめてもよいことになっている。 夜、遅くなって、1人のユダヤ人が旅館に着いた。もう全館満員で、相部屋にベットが1つ空いているだけであった。 相 客もユダヤ人で、ちょうど、夜のお祈りをささげているところだった。 「すみません。ここのベット使わせてもらいます。」 先客はこくりと頷いたままお祈りを続けた。 「ちょっと夜遅くなって帰ってきますが、かまわないでしょうか?」 先客は否定するように頭を横に振って、祈り続けた。 「ひょっとしたら、女を1人連れてきますが、いいですかね?」 先客は祈りながら指二本出して、大きく相づちを打った。 ☆敗者の皮算用 いつものように、博打ですって帰ってきた夫に、女房が金切り声で叫んだ。 「お前さんという人はどういう人なんでしょう。時計も上着も博打ですってしまって」 亭主は不満顔でボソボソと言った。 「だから女なんて阿呆だというんだ。これでも大した儲けなんだぞ。時計と上着の両方合わせても80ルーブルにもならないじゃないか。 おれの負けは200ルーブルにもなっていたんだぞ。」 ☆先手必勝 ラザルシュタインとマグヌスは共同で女を1人囲っていたが、この女に双子が生まれた。さあ、どちらが父親かわからない。 仕方がないので、扶養費は二人で支払うことにした。 ある日、双子のなかの1人が急病で死んでしまった。ラザルシュタインはさめざめと泣きながら、マグヌスにいった。 「かわいそうに、おれの子が死んでしまった。」 ☆"未遂"の罪 ある寺男が、師の留守中、師になりすまして説教するのを楽しみにしていた。 ある日、若い男が、本当の師の所にやって来て 「このあいだ、代理の先生が三日間藁をかみ続ければ、罪の償いができるとおっしゃるので、その通りやりましたが これで身は浄まったのでしょうか?」と聞いた。師はびっくりして寺男に問いただした。 寺男は恐縮しながら答えた。 「先日、先生がお出かけになったとき、ちょっと代理をつとめまして実はあの男夜中に戸を間違えてきれいな娘が寝ている部屋に飛び込んだのだそうです。 びっくりして飛び出したのはいいものの、罪を犯した償いをしなければなるまいといいはるものですからそれなら三日間、藁を噛めといいつけたのです。 大体がいい女が寝ているのを見て逃げ出すなんて 馬や鹿と同じじゃありませんか」 ☆密通にも五分の理!? あるユダヤ人が他人の奥さんと密通している現場をおさえられ、ラビに召還された。男は、事実は認めるが、やましいことは 絶対にしていないと主張した。 「この成り上がりの不届き者め」 「ラビ様、どうぞ私のいうこともお聞きください。いいわけも聞かずに、人を裁いてはならない、とものの本にも書いてございます」 なるほど、もっともなので、ラビは男の言い分を聞くことにした。 「ラビ様、私が妻となにしたら、どうでございましょうか?」 「馬鹿なことをいうものではない。女房となにするのは当たり前のことだ」 「それではラビ様、私を捕まえた男が、私と乳繰り合っていた自分の女房となにするのは、どんなものでございましょうか?」 「さっきいったとおり、当たり前の道理だ」 「では、その野郎と、私の妻がやったら、どんなものでしょうか?」 「馬鹿なことを申すでない。気でも狂ったのではないか?」 「それじゃ、あなたさまも先刻おわかりのことでございましょう。私が、あいつがやってはいけない女としたっていいならば あいつがやってもいい女として悪い道理はありますまい」 ☆してやられた! イワンが一杯飲みたくなって、隣のユダヤ人に1ルーブル借りようとした。条件として折り合ったのが、返却は来年の春たること。 ただし、利息つきで2ルーブルとすること。この担保として、イワンは斧を預けること。イワンが承知して帰ろうとすると ユダヤ人が呼び止めて、 「イワンさん、ちょっと思い当たったのだが、お前さんが、春になって2ルーブルも返すのは難儀だろう。 だから、今の内に半分返しておいたらどうかね?」 イワンはなるほどと思って、1ルーブルをユダヤ人に返した。しばらくたって、イワンは思案顔でつぶやいた。 「少しおかしいぞ。せっかく借りた1ルーブルはこれでなくなったし、斧も取られたし、しかも春になったら もう1ルーブル返さにゃならん。といって、ユダヤ人のいうことはもっともだし」 ☆「おれの子」の証拠 臨終の迫った妻が夫に言った。 「あなた、私はこのまま黙ってあの世にはいけません。申し訳ないことなんですけれど、今だから本当のことを言います 実はイザクはあなたの子供じゃないんです」「なんだって。それじゃ、いったい誰の子なんだ?」 「うちの番頭のヒルシェフェルトの子なんです」 「おい、冗談も休み休みいっておくれ。ヒルシェフェルトみたいないい男が、よりによってお前みたいなお多福と......................」 「だから2000フランあの人にやったんです」 「しかし、そんな大金どうやりくりしたんだ?」 「あなたの金庫から頂きました」 「ふーん、そうか。それじゃやっぱり、イザクはおれの子だ」 ☆ショックの原因 美人のコールガールのサラの家で、サロモンが死んでいるのが発見された。警察の取り調べを受けて、サラが申し立てた。 「四日前にあの人が始めてきて、50ドル払うから、頭をなでさせてくれっていうんです。 いいわよって言ったら、次の日またやってきて、100ドル払うから、私のブロンドの毛を少しだけでいいからって言うの。 もちろんオーケーしたわ。 昨日もやって来て、もうあたしのことを離せなくなってしまったから、頼むから500ドルで抱かせてくれ言うの。あんまり 気の毒になったので、それゃあかまわないけど 相場は30ドルなのよっていったら、びっくりしてあの人倒れちゃったの」 ☆信用できる男 パピアクラーゲンはパートナーのピアロトスツキーに美人の奥さんに懸想してしまい、なんだかんだと言い寄ったが志操堅固な ピアトロスツキー夫人は毅然として相手にしてくれなかった。 そこで、最後の手段として1000マルクを彼女に贈る約束をした。さすがの夫人もユダヤ人、今度はイヤとはいえず パピアクラーゲンに身を許すことになった。 「明日は主人が出張しますから、その留守にいらしてくださいな」 翌朝事務所で、パピアクラーゲンは出かけようとしているピアトロスツキーをつかまえて、頼み込んだ。 「ほんの2,3時間でいいんだ。1000マルクばかり都合つけてくれないか。お昼までには奥さんのところへ届けておくから」 ピアトロスツキーが夜おそく帰宅して、心配顔で夫人にたずねた。 「今日、パピアクラーゲンがきただろう?」 夫人はどぎまぎしながら答えた。 「ええ」 「1000マルク持ってきただろう?」 夫人は蒼白になって、かぼそい声で言った。 「はい」 ピアトロスツキーは満足げにいった。 「そうか、今朝約束したんだが、やっぱ約束を守ったか。しかし、信用できる男だな、あいつは」 ☆ユダヤ式借金術 グリーンが友人のブラウと出会った。 「ブラウ君、ちょっと50マルクばかり用立ててくれないか」 「君のためならおやすいご用だ」と50マルクを貸してやった。10日ばかりたって、また二人が出会った。 「ブラウ君、君に50マルク借りていたっけね?」 「ああそうだよ」 「それだったら、もう50マルク足して100マルクぴったりとしてくれないか」 「ああいいとも」 しばらくして、また二人が出会った。 「ブラウ君、きみには確か、100マルク借りていたっけね?」 「そのとおりだよ」 「それじゃあ、もう100マルク借りてちょうど200ということにしたいんだが」 「必要ならしょうがないさ」 さらに、2週間ばかりたって、二人が出会ったときグリーンが言う。 「ブラウ君、君には200マルク借りていたっけね?」 「いや、君には何も貸していないよ」 ☆正直は "最善" ならず 「お父さん "正直"とはいったいどんなことですか?」 「それは一つの例をあげて説明しよう。 もしお前が20セントを道で拾ったとする。こんな少額をお巡りさんに届けても仕方あるまい。それは自分の物にしてもいいだろう。 ところがだ、100ドル見つけたとする。そしたら交番に届けるんだ。それでお前は正直者ということになって、これがひとつの大きな財産になるんだ。 だが、仮に一万ドルを拾ったら "正直" などという財産はいらんぞ!」 ☆「酩酊」の珍解釈 「ラビさん、酒を飲むと酔っぱらうのは何故でしょうか?」 「私たちの体の中には右側に善、左側に悪がたむろしているのだ。腹の中に酒がたまると、洪水となって 善と悪とがごちゃ混ぜになり、分別がつかなくなってしまう。この状態を人は酩酊と呼ぶのだ」 「お説ですが、ラビさん。もし腹の中に液体がたまってそうなるのなら、酒でなくって水でもいいはずですがね?」 「だからお前は馬鹿だといわれるのだよ。第一、水を飲んで酔っぱらう奴がこの世にいるかね」 ☆この "才子" あり!? ひところ、ユダヤ人がカトリックの神父に呼び出されて、宗教問答をしなくてはならないしきたりがあった。 ドイツのマインツの大司教が、フランクフルト市のユダヤ人に代表を派遣するよう命令した。 ユダヤ人たちは皆、こわがって名乗る者誰一人いなかった。 すると、まだ子供のモリッツが、自分がマインツにいっても良いと申し出た。 モリッツは大司教の所に出かけていった。 大司教はまず親指をたてたげんこつをモリッツに突き出した。するとモリッツは、二本指を 立てたげんこつを出した。 次に、大司教は平手を出した。モリッツがこれに応えて、握りこぶしを出した。 大司教が金のカップから、エンドウ豆をつかみ出し、床にばらまいた。するとモリッツは豆を丹念に一粒ずつ拾い集め、金のカップに戻しオーバーのポケットに入れた。 大司教は感服した面もちで、モリッツを帰した後で、周りのものに向かって言った。 「ユダヤ人が選ばれた民族と呼ばれるのは、もっともなことじゃ。子供ですら、しっかりした考えを持っておる。 わしが、"おまえたちはただひとりの神を信じておるな"と、手振りをしたら"あなた方クリスチャンは二人の神 つまり父と子を信じておられる"との仕草をしおった。それで"お前たちはこの世で頼りになるものは何もないではないか"と、示したらば"団結しているから強いのだ"と、答えた。 最後に"主はお前たちを地上にばらまいたのだ"と喝破してやったら、"主はわれらを拾い上げ、慈悲の衣で包んでくださる "と答えおった。」 モリッツが家に帰ると、みんなが心配して様子を訪ねた。彼は平然として答えて言った。 「簡単なことさ。坊さんが一と値を付けたから、俺は二だといってやった。そしたら横っ面をぶん殴ろうと しやがったんでそんなことしやがると、メリケン喰らわすぞいってやったんだ。 そうしたら、かんしゃく起こして、金のカップに入っているエンドウ豆を床にバラまきやがったんだ。 だから、お前がいらないんならもらっておこうと、豆を拾い集めてカップに入れて帰って来たんだ。 だけど、表にでてから、豆は捨てちまった。ほら、これが金のカップさ」
☆クソの役にも立たない演習
イスラエルの軍隊である演習の時、橋に次のような標示がしてあった。 -本架橋は爆破されたものと見なす- 丘の上から参謀が双眼鏡で観察していると、歩兵一分隊が、標識にも関わらず 平然と橋を渡っている。激怒した参謀、押っ取り刀でジープをとばした。 兵隊たちを怒鳴りつけようとして、ふと兵隊が担いでいる旗を見ると、なんと -水泳中- と書いてあった。 ☆相手の方が役者が上 イスラエル陸軍の新兵が演習をしていた。 レビ2等兵が敵軍の軍隊を見つけたので、弾丸の入っていない銃を向けてダダダダ... と、銃声のまねをしたが、敵兵は一向お構いなしに逃げていく。 レビ二等兵はすっかり腹を立てて怒鳴った。 「おまえは撃たれたんだから倒れなくちゃいけないんだぞ!」 「何いっているんだ。俺は戦車だ」 と敵兵から返事が返ってきた。 ☆新聞の効能 ナチスの突撃部隊の将校が、列車でユダヤ人と乗り合わせた。 将校はナチスの機関誌を広げて、得々としていった。 「この新聞は非常にためになるので、必読してるのだ」 彼はついでユダヤ系の経済新聞を取りだしてまた言った。 「こいつは、尻を拭くにもってこいだ」 これを聞いたユダヤ人は、もみ手をしながら、うれしそうに言った。 「将校さん、それじゃあんたの尻が頭よりも利口になるのは間近というわけですな」 ☆待ちこがれたトップニュース ヒトラー政権が樹立された。 ベルリンに住むたいていのユダヤ人は、毎朝、新聞売り場でナチスの機関誌を買い1ページにざっと目を走らせただけで くずかごに放り込むのが習わしだった ある日、不思議に思った新聞売りが理由を聞いてみた。 「いや、死亡広告だけ探しているのさ」 「死亡広告は最後のページに出ていますよ」 「おれが探しているのは第1面に出るはずさ」 ☆つかの間の吉報 ユダヤ人がナチスの圧迫されていた頃、ベルリンの街角で、二人の男が話していた。 「ところでコーンさん、二つばかりいいニュースがありますよ。一つは吉報、もう一つは凶報だ」 「吉報とは何ですかね?」 「ヒトラーが死んじまったんだとさ」 「そりゃぁ、いい知らせだ。それで凶報とは?」 「その知らせが誤報だったんだ」 ☆偉さ比べ ロシア戦線で捕虜になったドイツ兵が、ユダヤ人の見張りに向かって言った。 「わがウィルヘルム皇帝は大したものだぞ。毎週一度は前線にお出ましになる」 「なあに、わがニコライ大帝様はもっと偉いよ。自分じゃ動かず、じっとしていたって、毎週前線の方がひとりでに 近付いてくるんだから」 ☆もはや逃げ道はない ユダヤ人が帝政ロシアの兵役義務を逃れようとして、必死になって軍医にいいわけをしていた。 「私は結核なのです」 「それがどうしたというのだ。ボロシロフ将軍だって結核だが、勇敢な軍人だぞ」 「しかし、私の目は片方見えないのです」 「イワノフ将軍を見ろ。片目でありながらも軍人の手本だ」 「おまけに私は、精神薄弱なんです」 「馬鹿いえ。皇帝様はそれでも職務をお果たしになっている」 ☆死守すべきは・・・ 共産党の政治教育委員が、あるユダヤ人に質問した。 「党がきみの最後の1ルーブルを要求したら、どうするかね?」 「はい、すぐに差し上げます」 「君の持っている最後のシャツを要求したら、提出するかね?」 「いえ、こればかりは死んでも差し上げられません」 「それは、どうしてだ?」 「ルーブルは一枚も持っていませんが、シャツはまだ一枚だけ持ち合わせがありますので」 ☆身内には甘い? プロテスタントの牧師が昇天したところ、天国の入り口で、番人のペトルスがフォルクスワーゲンをくれていった。 「君の善行の報いだよ」 しばらく走っていくと、カトリックの神父がピカピカに光るアメリカの車に乗っているのを見つけた。そこでペトルスに尋ねた。 「あの人は私よりもよいことをしたんですか?」 「あの神父はイエス様にいろいろお供物を供えたんですから、その労に報いなければならないのだ」 しばらくすると、今度はユダヤのラビがロールスロイスに乗っているではないか。牧師は憤然として 「あいつらは主にお供物も何も差し上げないじゃないですか」 というと、ペトルスが小声で答えた。 「シーッ、大きな声を出すんじゃない。あの人は主の身内の人だ」 ☆軍法会議 アメリカでは、兵士がポーカーゲームをやることを禁じているが、カトリックとプロテスタントとユダヤ教の信者である兵士が3人禁を犯したため、軍法会議にかけられた。 法廷ではまず、カトリックの兵士が証言した。 「マリア様にかけても、ポーカーなどしたことがないと誓います」 次に、プロテスタントの兵士がいった。 「マルティン・ルターにかけて申し上げます。ポーカーなどやった覚えはありません」 最後に、ユダヤ人の兵士が起立していった。 「ええと、裁判官様。あの、私一人でではポーカーが出来るはずがありません」 ☆人を鑑る目 あるユダヤ人がお祈りを捧げていった。 「おお神様、宝くじで当てさせてくださいまし。半分は貧しい人たちに分け与えますから」 しかし、お祈りの甲斐なく、さっぱり当たらなかった。 そこでキリスト教の教会へいって、ろうそくを一本寄付し、賞金の半分 は教会のために寄付しますからと、改めてお祈りを捧げた。 すると、霊験あらたか、なんと宝くじが当たったではないか。 ユダヤ人がうれしそうに言った 「キリスト教の神様は、確かにご利益があることがわかった。しかし、俺たちの神様の方がずっと利口だ。俺がうそつきで 寄付なんかしないことをお見通しなんだからな」 ☆ざんげの見返り ユダヤ人のブラウンとグリーンが、キリスト教に改宗し、神父にざんげすることになった。 最初にグリーンが神父に代六戒(姦淫の罪)を犯したことを告白した。神父は相手が誰かと聞いたところ、グリーンは頑として名前を明かそうとしなかった。 「それではひょっとしたら、パン屋の娘のミリーではないか?」 「とんでもございません、神父様」 「ふーむ、では肉屋のマリーか?」 「いいえ絶対にそうじゃありません」 「そうすると、大工の家のグレテルかもしれないな」 「滅相もない」 グリーンがどうしても名前を言わないので、結局ざんげは無効ということになった。 ブラウは戻ってきたグリーンに好奇心の固まりになってたずねた。 「どうした、グリーン、罪は帳消しにしてもらえたかね?」 「いやいや。許してもらえなかったよ。その代わり、いい住所を三つばかり聞いてきた」 ☆敵もさるもの ユダヤの女がミシミシする橋を渡りながら、神に祈った。 「もし、何事もなく橋を渡りきれましたら、5ギルダーを慈善箱に入れます」 もう少しで渡りきれるというところで、女は思い直した。 「5ギルダーは少し多すぎますから、半ギルダーにまけて、いや払わなくたってようございましょう」 とたんに、橋が揺れ始めた。びっくりした女は、金切り声を上げた。 「冗談言ったのに、すぐ揺さぶるなんて、ひどいじゃありませんか」 ☆どこまで行っても平行線 ユダヤ教徒が宗旨変えを使用と思っても、なかなか他の宗教のしきたりがわからない。 たとえば、カトリックの神父が祭壇に近づくとき、帽子を取るといったしきたりがある。 コーンがキリスト教への転向をすすめられた。それでは様子でも見てこようかと教会へ出かけていったが、しばらくして 憤慨して帰ってきた。 「おれは絶対にカトリックなんかならないぞ。あんなインチキなものは滅多とありゃしない。とにかく人はたくさん集まっていて 前の方に大坊主と小坊主、まあ小坊主といったって寺男みたいなもんだが、いるんだ。 そして大坊主が祭壇のところへいって、帽子を脱いだかと思うと、どこかにかくしちまうんだ。それから大声でわめくんだが たぶん俺の帽子がどっかへいっちまったとでも言ってたんだろう。 するってえと、集まった奴らが声をそろえて、あんたの帽子なんかみたことないと歌うんだよ。 そうすると坊主は自分で隠し たくせに、帽子を見つけてるふりをする。まず厚い本を取りのけてみるが、見つからないので思わせぶりをする。 それから次に箱のふたを開けてのぞき込む。それでも見つからないので、ひざまずいて、祭壇の下などのぞいたり 床の上をきょろきょろ探したりするんだ。 それでも見つからないというんで、寺男が鐘をならしながら銭集めにまわる。これで新しい帽子でを買おうというわけだろう。 金がしこたま集まると、しらばくれて帽子を取り出すんだけど、集めた金なんて返しゃしないんだ」 ☆親思いの不信心 あるユダヤ人が友人とやり合っていた 「おれ、キリスト教に宗旨変えするよ」 「なんていうことをするんだ。死んだおとっつぁんが成仏できないで墓石の下で寝返りするぞ」 「いやその心配はないんだ。来週、俺の弟も宗旨変えするんだ。そうしたら、親父はまた寝返りして元通りになるさ ☆苦しい解釈 つね日頃性善説を唱えてやまないラビがいた。どんな罪深い連中でも、それにはそれなりのやむをえない理由があると 情け深い処置をとってくれるので、評判が良かった。 ある日、安息日にも関わらず、くわえタバコで歩いているユダヤ人とバッタリ出会った。役目がら注意しなくてはならない。 「あなたは今日が安息日なのを忘れたんでしょうな」 「いやラビさん。もちろん安息日だと承知の上ですよ」 「それじゃ、安息日は禁煙だということを忘れなすったのでしょう」 「冗談いっちゃいけません。そんなことは百も承知です」 「ふむ、そうすると、お医者さんのすすめでタバコを吸っているのでしょう」 「そんな馬鹿な。好きだからすっているんですよ」 「おお神様。イスラエルの子たちはこのように敬虔でございます。安息日の掟を犯してタバコを吸うような男でも『聖書』の 教えを守って、嘘をつくようなことはいたしておりません」 ☆一方通行 一人の男がラビにたずねていった。 「ラビ様、死者との対話は本当にできるものなのでしょうか?」 「もちろんできる。ただ死者に答えを求めることはできない」 ☆まともになった男 「あのラビは、本当に奇跡をなされるぞ」 「おれは、そんなこと信じないぞ」 「いやまぁ、聞いてくれ。このあいだ、脳膜炎を患っている男が、ラビのところにいったんだが、まっとうな人間になって帰ってきたんだ」 「ふん、そりゃ確かに奇跡といえるな。だいたいラビに会いに行く奴は阿呆だし、ラビのところから帰ってくるというのは まともになった証拠だ」 ☆贅沢な不満 エルサレムを訪れたキリスト教徒の観光客が、ユダヤ寺院の礼拝式を見物した後でユダヤ人にたずねた。 「いかにもおごそかで結構でしたが、お祈りのとき、モーセの名前が出てくるたびに、信徒がブツブツ言っていたのはなぜでしょうか。 モーセはユダヤ教の予言者として尊敬されているはずでしょうに」 ユダヤ人は不満そうな顔をして答えた。 「いやいや、その男の人気は最近落ちましてね。奴さんの案内のおかげで、我々ユダヤ人、オレンジの安い国にはたどり着きましたけれど 本当は、石油の出る国の方が良かったんですよ」 ☆どちらも顔を立てるには アメリカの田舎町の教会が古びてしまったので、一部手直しする事になった。その費用をまかなうため、募金運動の婦人たちが、ユダヤ人の店にやってきた。 天主のヒルマンは、これは困ったことになったと頭をかいた。 この婦人たちは皆、自分の店の上客だし、そうかといって、キリスト教の教会をたてる基金をユダヤ人として献金するわけにはいかない。 重いあぐねた末に、やっと名案が浮かんだ。 「あのう、修理なさる前に、いたんだ部分は取り壊さなくてはならないんでしょ?」 「ええ、もちろんですとも」 「すると、大分その方の費用もかかりますな」 「そうなんですよ。それだけでも300ドルかかるんですって」 「ほう、それじゃ、その300ドルは、私がお引き受けいたしましょう」 ☆信じやすい人 「ラビ様は毎夜神様と対でお話しするような偉い方だ。あまり馬鹿にすると罰が当たるぞ」 「ラビがかみさまと 話をするなど、どうしてお前にはわかるんだ」 「ラビ様ご自身でそうおっしゃている」 「そりゃ、ラビの奴、嘘をついているんだ」 「おそれ多いことを申すでない。神様がうそつき物などと言葉をお交わしになるはずがない」 ☆迷惑な中間報告 主人がヘルム出身の下男に、朝五時に起こすようにいいつけた。ところが朝三時になると、下男に揺り起こされてしまった 「旦那さん、あと二時間しかねえので、よく眠るようにな」 ☆しっぺ返し カトリックの神父がユダヤ人をからかっていた。 「あなたにおもしろい話をしてあげよう。あるユダヤ人が天国に忍び込んだ。番人のペトルスが出ていくようにいったが ユダヤ人は扉の陰にかくれて出ていこうとしない。そこでペトルスが一計を案じて、天国の塀の外で、競売の合図の太鼓を たたいたら、ユダヤ人め、大慌て出てていってしまったとさ」 聞いていたユダヤ人がうれしそうに言った。 「いやいや、そのお話には続きがあるんですよ。とにかく、ユダヤ人が入ってきたから天国が汚れてしまったというので きよめの式をやらねばならないと。神父様を捜したんだそうだ。ところが、天国には神父様が一人もいなかったという話ですよ」 ☆二つの天国 列車の中で、キリスト教の牧師とユダヤ教のラビが話していた。牧師が顔をしかめていった。 「昨夜はユダヤの天国というものを夢に見たんですが、なんともうすよごれていてパッとしないし、おまけにユダヤ人が大勢 うろうろおりました」 ラビも負けずにいった。 「実は私も、ゆうべキリスト教の天国の夢を見ましてな。とにかく立派なところのようで、花はたくさん咲いていますし 香気に満ちあふれている。太陽はさんさんと輝いている。しかしですなあ、目の届く限り、人っ子一人いませんでしたよ」 ☆住めば地獄 国際収支の悪いイスラエルでは観光収入を重視している。あるユダヤ人が死んだ。彼は天国と地獄とどちらがいいかと ちょっと天国をのぞいてみた。天国はどちらかというとユダヤ寺院と同じように整然として、おごそかであまりおもしろそうで はない。 それなら地獄はどうかと思って、垣間見るとえらく華やかでおもしろそうだった。 結局、ユダヤ人は地獄に住むことにして、入居を許された。ところが角のはえた悪魔がやってきて、彼を串刺しにしようとした。 びっくりした男が話が違うと抗議すると、悪魔が言った 「このあいだきたとき、お前は観光ビザで入ったじゃないか」 ☆『タルムード』の本領 「ヨイネさんよ、ユダヤ民族5000年の知恵を集めたっていう『タルムード』つうのは、いったいなんだか教えてくれないかね」 「それじゃあ一つ例をあげて教えてやろう。 ええと、二人の男が煙突の穴から落ちたとする。一人は煤だらけになり、もう一人はきれいだったとすれば、洗う奴はどっちだと思う?」 「そりゃ、汚れた奴に決まっていらあね」 「おっとそれがそうじゃないんだな。汚れたほうがきれいな方をみて思うにゃ、俺も汚れちゃいないな。 ところが、きれいな方 が汚れた奴を見たら、自分も汚れていると思うだろう。だからきれいな方が洗うのさ。 ところでもう一つ聞くが、二人がもう一度煙突の穴に落ちたとしたら、今度はどっちが洗うかね?」 「そりゃもう、知ってのとおり、きれいな方さね」 「と、思っただろう。きれいな方は洗っているとき、別に汚れちゃいないのに気がついたのさ。ところが汚れた方は、きれいな方がどうして洗ったのか察しがついたわけさ。 で今度は汚れた奴が洗ったというのが正解さ。 それでは三番目の質問だが、二人が三度目に煙突の中に落ちたとしたら、今度は誰が洗うと思う?」 「そりゃ、この先はいつも汚れた奴が洗うことになるだろう」 「それがまた間違いなんだな。お前、いったい人間が一緒に煙突の中に落ち込んで、片っ方だけ汚れないのに、もう一方の 奴が汚れたなんて話聞いたことがあるかね。これを『タルムード』というのさ」 ☆利口なニワトリ マーケットから帰ってきたヘルムの女が主人に向かって愚痴を言っていた。 「卵が高くなって困ったわ。ニワトリが卵を生まないもんだから長いこと品切れだったけど、やっと町に出回ってきたと思ったら、2カペーのものが4カペーにもなっているのよ」 これを聞いた主人は感心したようにいった。 「ニワトリって奴は利口なもんだな。2カペーのときはさぼっていて、4カペーになると生み始めるのか」 ☆死んでも直らない男 ヘルム出身の下男が 「この瓶に1リットルの酒を買ってこいとおっしゃいましたが、全部は入りませんでしたので、残りは裏のへこみに入れて もってきました。」 こういって、主人に栓もしていない瓶を逆さまにして差し出した。 「この大馬鹿者。残りの酒はどこにあると思うんだ。」 主人に怒鳴られた下男は、さも不振そうに瓶をまたひっくり返した。 ☆あきれた採用基準 ニューヨークのユダヤ商社の女秘書がやめることになった。そこで代わりを見つけるため、『ニューヨークタイムズ』に 求人広告を出したところ、三人の女性が応募してきた。コーンが次々に面接したので、仲間が様子を聞いた。 「三人とも、すばらしい娘たちだよ。最初の子に質問したんだ。1足す1はいくつだとね。そしたら11だと答えるんだ。 なんと機知にたけた答えだろう。こういう子が何かあったときに臨機応変の処置ができるというものだ。 次の子にも同じ質問をしたら、ちょっと考えさせてくださいっていうんだ。これはまた注意深くて、物事をおろそかにせず じっくりと仕事をする大変な素質の証拠だろう。こんな女の子こそ信頼できるというもんだ。 三番目の子にも同じ質問をしたんだ。彼女は間髪入れずに2と答えるんだ。なんたる正確さだろう。こんな子と仕事ができるなんて、素晴らしいことと思わないかね。」 「なるほど。それで、どの子を採用したんだね?」 「ごもっともな質問だ。そりゃぁ、君、バストが一番きりっとしている子さ」 ☆神学的"相対性理論" 乙女がラビを訪れるなら、ラビはラビであり、乙女は乙女である。 ラビが乙女を訪れるならば、ラビはもはやラビではなくなり、乙女は乙女でなくなる。 ☆計算が合わない 結婚して5ヶ月しかたたないのに赤ん坊が生まれてしまった。 亭主がどうしても計算が合わないと、隣の家の男に嘆いていった。 隣の男は慰め顔でいった。 「そう気を落とさんでもいいでしょう。もう二度とは起こらないことなんだから」 ☆やぶへび 臨月間近となったコーン夫人が、夫にいった。 「ねえ、当分あなたのお相手はできないわ。ほら50マルクあげますから、遊郭へでもいって遊んでらっしゃい。あたしは割り切っているんですから」 夫はこの思いやりに感激して出かけていった。階段を降りていくと、下に住んでいるウォルムス夫人に出会った。 「あら、うれしそうにどちらへお出かけ?」 そこでコーンは思いやりのある妻の話をした。 「まあ、コーンさん。それならわざわざ悪い女がたくさんいるとへなぞいかなくたって、私の家へいらっしゃいな。 50マルクくださったら、ほかならぬお友達の旦那様なんですから、うんとおもてなししてあげますわ」 30分ばかりたって、コーンが家に帰ってくると、コーン夫人はけげんそうにいった。 「あーら、もうお帰りなの。ずいぶん早かったじゃないの」 そこでコーンはウォルムス夫人の話をした。 「へーえ。あの人に50マルクもあげたの。彼女ちゃっかりしてるわね。あたし、あの人のご主人からは1マルクもすら もらったことないわ」
「家庭や地域で子供の時間を増やし、ゆとりの中で自ら学び考える生きる力を育む」。
文部科学省は学校週五日制の目的について、ゆとり教育のためだとしている。 だが、中曽根首相の諮問機関、臨時教育審議会(臨教審、1984~87年)の委員を 務めた信州大名誉教授の高梨昌さん(82)は「学校五日制というのは、要するに現場への 週休二日制の導入でした」と話す。最初に休みありき、だったというのだ。 70年代以降、「日本人の働き過ぎ」が国際的は批判を浴びる。教育界でも、日本教職員組合が 72年の定期大会で「週休二日制の導入」に言及。80年代に入ると、労働時間を短くするべきだとの 機運が高まり、臨教審も86年、学校五日制の検討を打ち出す。高梨さんは「『週休二日』は、いつの間にか『学校五日』に言い換えられていたが、当時は詰め込み教育や受験地獄が社会問題になっており、ゆとり路線とともに、社会は歓迎ムードだった」と振り返る。 学校五日制は92年9月(平成4年)から月一回、95年4月から月二回と段階的に導入され、2004年4月から「完全実施」となった。 臨教審に続き導入の流れを決めた当時の中央教育審議会で委員を務めた 連合顧問の高木剛さん(66)(当時ゼンセン同盟書記長)は産業界の論理を 教育現場に持ち込むことに違和感を感じていた。「授業日数も教える量も減らすことが 本当にゆとりにつながるのか半信半疑だった。共働き家庭が増える中、週末に親子がきちんと向き合ってくれるという確証もなかった。五日制の流れは強く、とにかく子供を家庭に返してしまえとなった」 文部官僚の一人も、「五日制にせざる得ない空気の中で、学習内容削減も推し進めてしまった」 自嘲気味に語る。結局、必要かどうか議論が不十分のままに「教えるのに手間がかかる内容」が 授業時間減に合わせて削られたという。教育現場は今もそのツケから逃れることができずにいる。 読売新聞朝刊 22.3.26 92年から同制度が開始されたとすると、当時小学校一年生だった 生徒が24,25歳。同じく小学校5年生だった生徒は29,30歳。 95年から月二回の休みになり、その制度にどっぷりとつかりながら 成長した子供は現在21,22歳ということだ。 事実、この"どっぷり世代"は手に負えない。 "勿論全ての人々に当てはまらない"。 このように現代の風潮は決まって前置きをし責任回避をしておく。 しかし"敢えて前置きをしない。文句があるなら言ってみろ"と 言いたい程、確信がある事実だ。 ・自己解決力が決定的にかけている。 ・物事に興味をもって何かをすることが少ない。 ・表情が乏しい ・一見、もっともらしいことを言うが、ただ権利を主張するに終始するのみ 権利というものは、義務を果たしている者のものだということを認識して いない ・自分自身に、相当、自信があるようで、"できます""はい、わかりました" "大丈夫です"等、言うには言うが、軽い返答に結果が比例している。 愚痴を言っても仕方がない。 しかし、当の本人達が少しも 自分たちに違和感を感じていないのは良くない。 寧ろ”どこが悪いんだ”との立場をとることが大半である。 現代、ありとあらゆるものに常識範囲外の 下らぬ注意書きが施されている。 あんな馬鹿な事を書かずとも 言われなくても理解できる人間を 育てることが教育の本質ではないのか。 ゆとり教育で育った子供達の連鎖はまだまだ続く。 注意書きが”本体”より大きくならないことを祈るばかりである。
とにかく落ち着かない。
いっているそばから話がぶれる。 よく言えば臨機応変。 普通に言えば優柔不断。 とにかくこんな人たちが多すぎる。 前言撤回なんて年がら年中。 そもそも話がぶれるというのは よく考えないで話すから。 状況によって対処法がかわるなら仕方がないが 話者自身に主導権があっても状況が変わってしまうというのは 考えの練り込みが甘いから且つ信念がないから。 信念というものはよくよく考えた行動原理なのだから そんな容易くかわるものではない。 一つや二つの状況変化で揺れ動くことなんて 浅はかな考えがそうさせるだけである。 簡単に曲がってしまう薄っぺらいものは信念とはいわない。 何故薄っぺらくなってしまうのだろうか。 それは信念を以て信念を追求していないから。 自分自身に自信、経験、知識がないから信念を作り上げる力がない。 結果、場当たり的な対応に終始するだけで 人間そのものの厚みすら増さなくなる。 |
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