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乾燥剤の効果
昨日買った乾燥剤をカメラバッグの中に入れてみた。するとSDカードを認識しなかったIXY800isが普通に動く。これには驚いた。そういえば買いに行った時、様々な種類の乾燥剤が売られていた。この地では誰しも同じような悩みを抱えているのだろう。
重慶路
食事の為に外出した。中華路から市内へ向かうのは厭きた。先日、失敗した中山路から行って見よう。吉安鄉吉興一街から中山路にでる。そこを左折。右側には199、左手には黃昏市場がある。その次の信号をセブンイレブン側(左側)に向かえば中華路、トヨタのビル側に向かえばそのまま中山路だ。まっすぐ進むと踏切があり、その先が二股に分かれている。交通量が非常に多い、この地点、信号が無い。夕方、帰宅ラッシュの時など、よく事故が起きないなと思うほど混乱を極めている。(前回も話した)どうもこの花蓮では、直進より左折の方が優先のようだ。というより、せっかちだからみんな飛び出して来てしまう、だから、先に行かせざるを得ないといった状況なのかもしれない。
その二股を左へ。仁里五街、仁里三街と続き、中正路にぶつかる。ここを左折しなければいけないのだが、いつも右折してしまうのだ。その中正路を道なりに進むと和平路との交差点がある。そこの右折。そして、重慶路との交差点を左折する。和平路をまっすぐ進めば、南濱公園がある。左折し150メートルぐらい行った左側に『黑椒餡餅』がある。
この路が好きで良く通るのだが(交通量が少ない)本当に毎日、三時間ぐらいしか営業していない。この店は油をあまり敷かないで焼く。あの鍋に秘密がありそうだ。ともかくも美味い。一個十元は安い。
そのまま進めば石藝大街、ここで阿美族の踊りが見られる所(無料)。さらに前進すると、花蓮市の中山路にぶつかる。そこを左折して少し行ったところ右側に『十一街碳烤』がある。
食事後、花蓮市中山路と重慶路との交差点近く、花蓮客運花蓮總站の所にある花蓮鐵道文化館を見学。
本日の食事:白飯10雞酥塊30湯黃麵40A菜小30全部で110元
花蓮鐵道文化館
盗撮をしていると……
笑顔でポーズを決めてくれた少年♪
コンクールが行われていた
展示してあったもの中にマクセルのテープが……
ちなみにここには日本が統治していた時代の写真も数多く展示されています。
やはり、このような資料館はある程度の知識がないと、本当の貴重さがわからない。何枚か写真を写し、花蓮市中山路を先ほどの『十一街碳烤』の方面へ向かう。中正路との交差点を右へ。緩く長い坂を上りきる辺り左手に松園別館へ続く道がある。ついでだが右側も景色が良いところだ。
松園別館とは日本統治時代、高級官僚の休憩所となっていた場所。付近には重要施設が集まっていた。
二階から撮影。赤い橋は菁華橋。つまりここから日本人町が一望できた。
まったく趣がなくなっている二階の一室
この日も観光客がたくさんいた。殆どが香港からの観光客だ。松園別館も去年に比べ綺麗になっていた。去年ここに見学に来た時は、所々、歩道の板が抜け落ちていたり、裏手が整備されていなかったりしていた。その時、『公正包子』に行きたくて、市内へ続く緩い坂を汗だくで歩いていたのを覚えている。途中で我慢できなくなりタクシーを捕まえたら、運転手が「こんな炎天下の中、歩いていたら病気になるよ」と言われた。確か三十七度ぐらいはあったかと思う。
自転車で気分良く来た道を下っていくと美崙溪にかかる橋の手前、左側に日式の家屋がある。三級古蹟に指定されている將軍府(美崙溪畔和風宿舍)という場所だ。一九三〇年(昭和5年)に建てられ、花蓮に配属された中村大佐が住んでいた。
何件かある建物の一つに、ジオラマがあった。「どうぞ中へ入ってください」との声に誘われ、上がり込む。三人いるうちの一人が片言の日本語でいろいろと説明してくれた。このあたり一帯に日本人が住んでいて、街が形成されていたという。説明の最中、大きな寺院を見つけた。
聞けば当時の建物は残っていないが、同じ場所に寺院があるというので、見に行ってみた。この寺院は台湾の紹介文によると、日本人が花蓮に住み始めた頃、塩水港精糖株式会社の社長、荒井泰次が明治四五年(一九一二年)台北にある臨済護国禅寺の梅山玄秀を開山の為、礼聘し長年の努力の結果、大正八年(一九二〇年)三月花岡山に大樹山東台寺が落成した。この当時、近くに浄土宗大観山浄光寺というのがあった(大正五年落成)。
敗戦を迎え日本が台湾から撤退した後、玉蓮寺(現在の進豐街九八號、聖天宮敵軍廟)の張六妹という人が東台寺と浄光寺を接収管理し、一九四七年(昭和二十二年・民國三十六年)、正式に二つの寺を合併し名を東浄寺と改めた。その後一九五一年(昭和二十六年・民國四十年)十月二十二日の花蓮大地震で倒壊。現在の建物は一九六三年(昭和三十八年・明國五十二年)に建立された。
東台寺 ごめんんさい何処で写真を拾ったのか解らなくなってしまいました。反省……
それでこれが浄光寺
くっついて東浄寺
付近の日本式家屋
なるほど見晴らしが良いところに位置している。その寺院の周りには、日本式建築と思われる家屋が今でも多く残っている。
現在の東浄寺
帰り路、石藝大街のお土産に寄った。どうせ高いだろうと思いながら値段を聞いてみるとやはり高い。今年正月澎湖でかった印材が倍の値段で売られていた。和平路を左に曲がり南濱公園へ。まだ早かったせいか数店しか営業していなかった。香蕉牛奶を買う。サイクリングロードを南に進み、吉安站を見て帰宅した。
めっちゃ高い印材。
南濱公園
花売りの少女
吉安站
台湾短期滞在55 『台湾短期滞在目次』
昨日買った乾燥剤をカメラバッグの中に入れてみた。するとSDカードを認識しなかったIXY800isが普通に動く。これには驚いた。そういえば買いに行った時、様々な種類の乾燥剤が売られていた。この地では誰しも同じような悩みを抱えているのだろう。
重慶路
食事の為に外出した。中華路から市内へ向かうのは厭きた。先日、失敗した中山路から行って見よう。吉安鄉吉興一街から中山路にでる。そこを左折。右側には199、左手には黃昏市場がある。その次の信号をセブンイレブン側(左側)に向かえば中華路、トヨタのビル側に向かえばそのまま中山路だ。まっすぐ進むと踏切があり、その先が二股に分かれている。交通量が非常に多い、この地点、信号が無い。夕方、帰宅ラッシュの時など、よく事故が起きないなと思うほど混乱を極めている。(前回も話した)どうもこの花蓮では、直進より左折の方が優先のようだ。というより、せっかちだからみんな飛び出して来てしまう、だから、先に行かせざるを得ないといった状況なのかもしれない。
その二股を左へ。仁里五街、仁里三街と続き、中正路にぶつかる。ここを左折しなければいけないのだが、いつも右折してしまうのだ。その中正路を道なりに進むと和平路との交差点がある。そこの右折。そして、重慶路との交差点を左折する。和平路をまっすぐ進めば、南濱公園がある。左折し150メートルぐらい行った左側に『黑椒餡餅』がある。
この路が好きで良く通るのだが(交通量が少ない)本当に毎日、三時間ぐらいしか営業していない。この店は油をあまり敷かないで焼く。あの鍋に秘密がありそうだ。ともかくも美味い。一個十元は安い。
そのまま進めば石藝大街、ここで阿美族の踊りが見られる所(無料)。さらに前進すると、花蓮市の中山路にぶつかる。そこを左折して少し行ったところ右側に『十一街碳烤』がある。
食事後、花蓮市中山路と重慶路との交差点近く、花蓮客運花蓮總站の所にある花蓮鐵道文化館を見学。
本日の食事:白飯10雞酥塊30湯黃麵40A菜小30全部で110元
花蓮鐵道文化館
盗撮をしていると……
笑顔でポーズを決めてくれた少年♪
コンクールが行われていた
展示してあったもの中にマクセルのテープが……
ちなみにここには日本が統治していた時代の写真も数多く展示されています。
やはり、このような資料館はある程度の知識がないと、本当の貴重さがわからない。何枚か写真を写し、花蓮市中山路を先ほどの『十一街碳烤』の方面へ向かう。中正路との交差点を右へ。緩く長い坂を上りきる辺り左手に松園別館へ続く道がある。ついでだが右側も景色が良いところだ。
松園別館とは日本統治時代、高級官僚の休憩所となっていた場所。付近には重要施設が集まっていた。
二階から撮影。赤い橋は菁華橋。つまりここから日本人町が一望できた。
まったく趣がなくなっている二階の一室
この日も観光客がたくさんいた。殆どが香港からの観光客だ。松園別館も去年に比べ綺麗になっていた。去年ここに見学に来た時は、所々、歩道の板が抜け落ちていたり、裏手が整備されていなかったりしていた。その時、『公正包子』に行きたくて、市内へ続く緩い坂を汗だくで歩いていたのを覚えている。途中で我慢できなくなりタクシーを捕まえたら、運転手が「こんな炎天下の中、歩いていたら病気になるよ」と言われた。確か三十七度ぐらいはあったかと思う。
自転車で気分良く来た道を下っていくと美崙溪にかかる橋の手前、左側に日式の家屋がある。三級古蹟に指定されている將軍府(美崙溪畔和風宿舍)という場所だ。一九三〇年(昭和5年)に建てられ、花蓮に配属された中村大佐が住んでいた。
何件かある建物の一つに、ジオラマがあった。「どうぞ中へ入ってください」との声に誘われ、上がり込む。三人いるうちの一人が片言の日本語でいろいろと説明してくれた。このあたり一帯に日本人が住んでいて、街が形成されていたという。説明の最中、大きな寺院を見つけた。
聞けば当時の建物は残っていないが、同じ場所に寺院があるというので、見に行ってみた。この寺院は台湾の紹介文によると、日本人が花蓮に住み始めた頃、塩水港精糖株式会社の社長、荒井泰次が明治四五年(一九一二年)台北にある臨済護国禅寺の梅山玄秀を開山の為、礼聘し長年の努力の結果、大正八年(一九二〇年)三月花岡山に大樹山東台寺が落成した。この当時、近くに浄土宗大観山浄光寺というのがあった(大正五年落成)。
敗戦を迎え日本が台湾から撤退した後、玉蓮寺(現在の進豐街九八號、聖天宮敵軍廟)の張六妹という人が東台寺と浄光寺を接収管理し、一九四七年(昭和二十二年・民國三十六年)、正式に二つの寺を合併し名を東浄寺と改めた。その後一九五一年(昭和二十六年・民國四十年)十月二十二日の花蓮大地震で倒壊。現在の建物は一九六三年(昭和三十八年・明國五十二年)に建立された。
東台寺 ごめんんさい何処で写真を拾ったのか解らなくなってしまいました。反省……
それでこれが浄光寺
くっついて東浄寺
付近の日本式家屋
なるほど見晴らしが良いところに位置している。その寺院の周りには、日本式建築と思われる家屋が今でも多く残っている。
現在の東浄寺
帰り路、石藝大街のお土産に寄った。どうせ高いだろうと思いながら値段を聞いてみるとやはり高い。今年正月澎湖でかった印材が倍の値段で売られていた。和平路を左に曲がり南濱公園へ。まだ早かったせいか数店しか営業していなかった。香蕉牛奶を買う。サイクリングロードを南に進み、吉安站を見て帰宅した。
めっちゃ高い印材。
南濱公園
花売りの少女
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