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とにかくも、部屋にネットをつなげたい。
知人が横浜最強の居酒屋だと言っていました。
都橋で会えるので是非行ってください! 写真は閉店間近のとき。 野毛知人の店にて。カメラは私のものではありません。 そういえばこの店も伺ったときが閉店でした。 とっても美味しかったのに。麦田の『水蓮』さん 知らなきゃ絶対入店出来そうもないお店。 もう最高の味でした!美味い! 当たり前ですが天ぷらは今まで食べた中でいちばん美味しかったです! ○○○さんごちそうさまでした!帰日するときまでにお金貯めてご馳走します! 中華街のえびす湯に良く言っていたのですが、その時によく寄っていた 『馬さんの店』五目麺。 ここの女の子がよく働く子で見ていて気持ちよかった。 横浜から羽田までタクシーで行ったのですが、 その時、下の荷物を見て、運転手「何人ですか?」 二人です。手提げ鞄以外は全部私の荷物です。 これから新しい生活が始まります。 なんとなく求人情報見ていたら、礼文島の広告が目にとまった。
飲食店で”ヤマ”と言うのは、その商品がなくなったことを指す符丁。
むかしむかし、忙しい時に、私がトイレに行っている間に、商品がヤマになった。 「”豆腐”やまで~す」 「”鴨つくね”やまで~す」 「”竜田揚げ”やまで~す」 まぁ忙しいから無くなるよね。 なんて思っていました。 ある時。 トイレに大きな声で聞こえてきたのは 「”マグロ”やまで~す」 えっ?だれがマグロ出したの?? 確か良いところしかしか残っていなかったはずなのに…… 慌てて厨房戻ったら、白飯片手にマグロをほおばるバイト達…… 「オナカスイタンデ……」 「…………」 もーーーーーオマエラサァ。。。 んじゃもしかして、今までのヤマも……
友人達と群馬にある"ある場所"へ遊びに行った。
何人だっただろう、5人だったか、6人だったか…… 一組カップルがいた。それ以外は友達。 いろいろな乗り物に乗って遊んでいた。 遊んでいるうちに、カーブを曲がるとき友人の後ろに乗っていた"A"が落っこちた。 エンジンがついている乗り物ではなく、言ってみれば自転車らしきものだ。 無論故意落としたわけではない。 最初は皆も気にかけていたのだが、「あのくらいなら大丈夫だろう」ということで、時間が経つにつれ、気にかけなくなった。 するとAは「痛い、痛い」と言い出した。 あまりにも言うので、病院に連れて行った。 そこでレントゲンをとって、何も異常なしとなった。軽い捻挫との診断。 地元に帰った。 連絡がきて、○○○○○○病院に来てくれてとAに言われ、友人は病院に赴いた。 詳しくは覚えていないが”第三者障害”になるから云々と言われたと言っていた。 第三者障害、つまり加害者がいる怪我である。加害者によって引き起こされた事故で、その事故で生じた怪我について、かかる治療費は加害者に支払の義務があるとかなんとかという話だったと思う。 友人は故意にやったわけではないし、まして友達同士で遊んでいてのこと、Aも同意して、後ろに乗っていたわけだ。 当日病院にも診てもらっているわけだし、今更なんなんだと思ったのだろう。 それから友人宅にはAからの電話がひっきりなしにかかってきた。 ノイローゼになるくらい。 無料弁護士に相談にいった。 弁護士は、特に悩む必要はないだろう言っていた。誠意がないと言われたことについては、「あなたがこれだけ調べて動いている、考えている、これが誠意だ」との言葉ももらっていた。 弁護士の助言によって、友人は保険事務所に相談に行く事にした。 第三者障害に認定されるかどうかを判断してもらう為だ。 結果、第三者障害に該当しないとの判断が下された。 友人はほっとし、Aは怒り心頭となった。 公的機関が言ってくれた為に、友人は加害者ではなくなった。当然である。 申し訳ないが、Aも怪我しているようには見えなかった。 Aは納得しない。友人を家に呼びつけた。 友人は「もしかしたら、やばいかも」と、友達を外に待たせておいた。 何かあったら、入ってきてくれと頼んだ。 A、それからAの父母が待っていて、散々攻められたそうである。 一筆書けと言われたらしい。 どうやって話を終わらせたのかは知らないが、ともかく友人は帰ってこられた。 *********************************** その後、友人は一緒に遊びに行っていた友達の結婚式に呼ばれた。 Aはもともと、その結婚する友達の友人である。 受付にAがいた。 友人と目が合った瞬間、Aは当時怪我した部分を摩りながら、 「未だ痛むのよね……」と言って友人を凝視していた。
むかしむかしの話。なんでこれを書いているかというと、最近幼少の時の夢を沢山見る。
自分の年齢が、ちょうど人生半ばに差し掛かっていて、ちょうど昔を懐かしむ時期に来ているのかもしれない。ともかくも良く見るし、思い出す。 別段取るに足らぬ話なのだが、もし自分が年老いて痴呆症になったとき、この頃の話は二度と思い出せなくなったとしたら。(もっとも痴呆症だから記憶があった事も忘れているのかも知れないが)せっかくその時その時を一所懸命生きていたのに、なんだかもったいないような気がしてきたから。 つまりは自分の日記に書き込み、自分だけでしまって置けばいい話なのだが、記録として残しておきたい。となるとやはり電子メディアのほうが今は適合するのではと考え、ならばブログにでも書きためてみようか、と思った次第だ。こんな他人の話、読んでいる人もそうそういるわけではないだろうし。 K.K君とのバイト。 恐らく小学生から中学生へと進学する春休みだったと思う。その当時はバイト募集広告なんて無かった。でも僕たち三人、K.K君、S君、それに私は普通の学生達と遊ぶ為、話題を共有する為には自ら仕事を探し、働かざる得なかった。 地元から少し離れた所に○○組石工という会社があった。今では結構大きな会社だ。 ボンタンジーンズにTシャツという服装で僕ら三人はその会社の事務所に入っていった。 「すみません、アルバイト募集していませんか?」 採用になった経緯は覚えていない。 一日結構な金額を手に入れる事が出来た。また別の項で書くが中学生時代、夕刊のみの新聞配達が1ヶ月一件100円計算、つまり200件配って20,000円しかもらえなかっただが、石工のバイトは1週間もやれば、その月給を楽々越えた。 行った現場で覚えているのは千葉のフラワーセンター、平塚球場、南区の中学校脇の歩道、それから湯島神社。 めちゃめちゃ一所懸命働いた。がんばった分、お世辞にも褒められるとすごく嬉しかった。一緒に働いていたのは、中学校卒業後、出稼ぎで上京してきた"ワルイ"お兄さん達。でもみんなやさしかった。 春休み、10日ぐらい働いたのだろうか。ここのバイトは中学生時代学校が休みになると働いた。最後は会社もでかくなり、アルバイトも一〇〇人ぐらい集まってきていて、そのアルバイト長に任命された。 最初の10日間で働いた給料。 それを握りしめ、僕たち三人はサトームセンに向かった。 今回バイトを申し込んだ目的。それは僕たち三人が自分のテレビを買う為だった。 近所には裕福な家庭が増えていて、皆自分の部屋と自分のテレビを所有していた。 「すくなくともテレビぐらい欲しい」 一番最安値で14インチ、3万ぐらいだったと思う。 白い東芝製だったか。 自転車で買いに行ってどうやって持ち帰ったかは覚えていない。 ただK.K君が僕より断然良い、テレビデオを買ってそれを見に彼の家にいったのは覚えている。 玄関横の小さな納戸に小さなベッドが転がり、その脇に据えられていた。 無表情、無口なK.K君が、心からの笑顔をしていたことを、僕は忘れていない。 写真は当時のテレビ
中学校の時、学校と自宅をむすぶ路に『い○○屋』という店があった。
学校正門から真っ直ぐ林の方へ進み、山道を降りていくと直ぐにたどり着いた。林は不良のたまり場。みんなそこで喫煙したりしていた。三年生の時、ぼや騒ぎがあり、木が見通しの良いように切り倒された。 い○○屋も不良のたまり場だった。左側に御菓子やジュースなどをうるスペース、右隣がテーブルゲームをおいてある部屋だ。当時はギャラクシアンやゼビウス、プロレスのゲームもあった気がする。一回五十円。 お金がないときは、おばちゃんに頼んで掃除をさせてもらった。掃除すると百円か二百円もらえた。おばちゃんが暇なときには、二階に上がってお茶を飲ませてくれた。 当時は近くに沢山駄菓子屋があった。い○屋、み○○屋、隣の駅、、ミカドというパチンコ屋の近くにも駄菓子屋があってよく行った。もっとも隣の駅なので、隣の学校のシマ。幾たびに喧嘩になった。ゲームセンター = 不良の溜まり場 だったと思う。 ゲームをただで遊ぶ方法が常に考え出されていた。 カチンコ(ライターやガス台から外した火花が出る部分。地元ではカチンコと言っていた)を使ってクレジットを増やす方法や、ゲーセンのおっちゃんが、面倒なのでテーブルゲームの両端の鍵を閉めずに片方空いている台を探し出し、二人がかりでクレジットボタンを押しまくる方法など。 友人の話だが、小学6年生の時、友人と二人で、忠○○の○レ○○ン○で台を上げてクレジットボタンを押しまくっているところを、地元じゃない他元の中学生に観られ、追いかけられ金をせびられた。相手は四人。小学生と中学二年生は身体つきが全然違う。道具を使わなければ、勝ち目はほぼ無い。 「金をせびられたから、このままもとのゲーセンに逃げちゃおう!」 二人は隙をついて、またゲーセンにもどった。中学生はしつこく追ってくる。 先に着いた友人は、「脅されてやってしまった。そしたら今度はクレジットボタンを押したことをチクらないかわりに、金をよこせと恐喝されそうになった」とゲーセンのおっちゃんに訴え出た。怒られたのは、中学生達だったようだ。 良くない行為であるし、犯罪だ。美化しようとは思わない。けれども、なんとなく現代の不良達とは違う。いきなり刺さないし、再起不能までぶちのめさない。暗黙のルールがあった。大人達も子供達の嘘を分かっていながら、”知らないふり”をしてくれていた。 その友人は今、立派に働いている。もしかしたらその時に何かを学んだのかも知れない。 『信じてくれる人を裏切ってはならない』と。
以前、私は実家から祖母が持つ店まで毎週自転車で手伝いに通っていた。
距離にして20km弱。最初、乗っていったのはママチャリだっただろうか。 その後、親に一所懸命頼んで、ブリジストンのロードマンを買ってもらった。 フレームがメチャメチャ重く、形だけのロードレーサーだったがそれでもうれしかった。 祖母の息子、親戚の兄が自転車を趣味にしていた。 一所懸命通っている私に自転車をプレゼントしれくれた。 当時は価値がまったく分からなかった。 All Campagnolo サドルはCinelli 、ハンドルステムはcolnagoだった。 で、高校の時、蕎麦屋でバイトをしていたのだが、同じアルバイトの大学生をつれて 行きつけの飲み屋に誘ったとき、飲み代欲しさに2万円で売った。 価値が分からないとは本当にもったいない生き方だと思う。 あ~~返ってこい、私の自転車!! |
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