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K.Kという友人がいた。
小学校3,4年のとき一緒のクラスになった。
彼と給食の時間食べる速さをいつも競い合っていた。
学校中で校庭に出て行くのはいつも僕らが一番だった。

彼とじゃれ合ってプレハブ校舎のサッシの桟にすねをぶつけ大きくえぐれた後が、未だ残っている。

彼は近くの団地に住んでいた。言葉は悪いが貧民窟のようなところだ。
私の実家もぼろアパート。環境が似ていた。

何故彼と遊ぶようになったかは覚えていない。非常に無口な彼だったが、仲良くなると良く話してくれた。誰とでもそうならないところにすごく惹かれた。

よく一緒に、粗大ゴミが集まる集積場へと“お宝”を盗みに行った。
管理している人々が良さそうなゴミだけ、自分たちの事務所に隠していたものを取りに行くのだ。
最初は鍵などかかっておらず、電池、ラジオ、懐中電灯など箱単位であった物を持ってきていた。

そのうちに二メートルぐらいもある金網が周囲に張られた。上部にはバラ線(有刺鉄線)。
しかし毎日かけずり回っている子供にはそんなものたいしたことではない。
余裕綽々で飛び越えてもう一人のS君を従えて、次から次へと金網の外へと放り出した。

今思えば、たくさんの電池なんて要らなかったし、何個もラジオなんて要らなかった。
きっとスリルだけを楽しんでいたのだと思う。

そのうちに事務所には大きな南京錠が取り付けられたのだが、南京錠なんて台座を外してしまえばなんてことはない。

事務所員は余程頭にきたのだろう。
いつも襲撃は黄昏時を狙っていった。曖昧な明るさというのは目が慣れていない為、よく見えないし、従業員が帰る時間帯でもある。

悠々と有刺鉄線を超え、いつものように事務所に向かった。
するときらりと何かが光ったとおもったその習慣、黒いものがもの凄い勢いでこちらに向かってくる。

「おードーベルマンだ!!!逃げろ!!」

うずたかく積まれたゴミの小山を這いずり回りながら賢明に逃げる。

「これはまじにやばい!」

山に埋もれそうになる足を無我夢中で動かす。

吠える声が真後ろまで迫った瞬間、僕たちは飛んだ。
金網に向かって。

ドーベルマンは尚も飛びつかんと襲いかかってくる。
金網上部にしがみつきながら、なんとか有刺鉄線を握りしめ、血だらけになりながら
”圏外”へと逃げた。

僕たちの目的、スリルは十二分に味わえた。




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以前、上海に行ったときに、頂いた習字セット。







下の二つはそれぞれ別の人からもらった。(と思う。忘れた)

販売サイトに行って値段を調べてみようと試みたが(イヤらしくてすみません)
「電話して尋ねろ」との事。





飾り物。


酒杯と郁金香对杯について知っている方、いませんかね。


昔、『シュガーヒル』というbarがあった。
小学校の時の親友の親戚が営業していたお店だ。

近くに出来てからよく通っていた。

マスターが仕事を終えると、食事に誘ってくれて、大和にあるお店に食事にいったことがある。
そこの『スタミナ丼』が美味しかった、今考えれば、ただの豚肉ニンニク炒めがのっかったご飯である。線路が直ぐ近くにあった。

『シュガーヒル』で呑んでいたとき、隣町の不良に絡まれた。
本当にしつこくされて、なんとか逃げ切った覚えがある。

後日、マスターは私に行った。「きっちり教育しておいたから」
教育がどんな事だったかは私はしらない。

その後、『シュガーヒル』はある理由で閉店に至った。
書けない理由だ。

閉店してから十年ぐらい経った時であったか。

タクシーに乗ったときに、運転手から突然話しかけられた。
「よう、久しぶり!○○○○だろ、すぐ分かったよ!わかるか俺が?」
聞けば、山下町の房barで用心棒をやりながら、運転手をやっていると言っていた。
こんな話だってもう。20年前の話だ。


今、マスターは何をしているのだろうか?

人生、人それぞれ。まるで小説のような過去は、今、走馬燈のように思い出される。
昔、桜木町と横浜駅東口を結ぶ16号線沿い中程に『YAZOO』というお店があった。
よく行っていた。

めちゃめちゃ辛いタバスコの最強版とビールを割ったオリジナル“レッドアイ”で死にそうになったこともある。真面目な話である。呑んだ瞬間、胃の形が分かる。メキシコ人とイッキ対決した。

アーマードコアもここで覚えた。みんなゲームなんてどーでも良かった。呑む理由が欲しいだけ。

店主のくどーさんが英語めちゃめちゃうまく、不良外国人のたまり場だった。
條子達も不良外国人女性のセクシーさにメロメロになって、捕まえるどころではなかった。

どのくらいの期間営業していたかはしらないが、すくなくとも一年間ぐらいはよく行っていたような気がする。検索してこのページにたどり着いた方、くどーさんが何処にいるか知っている方がおられたら、こっそりコメントを残してください。もう10年以上前の話です。







真ん中の写真、当時良く行っていた、浅間町と天王町の間、『雲海』という中華料理屋です。
この時のコックさんはとても上手で、安価で美味しいものが食べられると評判でした。ちなみに現在もこのお店はありますよ。


ずっと昔。

当時つきあっていた彼女が大のトトロ好き。

「なんだか良くわかんないけど、一番大きいの買えば喜ぶんじゃない」ってなノリで高島屋へ。

話をしたら受注生産だと言われた。大きさと値段はこんな感じ。



「ははは、マジカヨ……高すぎ!!」

まぁしょーがない。喜んでくれればそれでいい。

1ヶ月ぐらいたったある日。

「店長、あの高島屋の人が来ているのですが……」

店の外に行くとビシッとスーツで決めた男性が二人、台車におーきな段ボール箱を後ろに携えて立っている。

「トトロをお持ちしました」

ちょーでかい。

本体は100cmぐらい(というかばかでかい印象しかなし。ネットで知った)なのだが、段ボール箱は150cmぐらいの高さはあっただろう。ヨコだってめちゃでかい。
仕事が終わって車で運ぼうとしたら後部座席におさまらず。段ボール箱を解体した。

当時は同棲していた。驚かそうとかったのだから隠さなくてはならない。でもコレダケオオキイトカクレナイ。

仕方なく車の中にほーりこんだままにした。確かクリスマスプレゼントに買ったんだと思う。
冬時期に単車で彼女の仕事場まで迎えに行っていたら彼女が言っていた。

「なーんでこんなさむーいのにクルマじゃないの?????」

人の気も知らずに。。。

渡そうとした当日。

中華街で食事をしようと二人でバスを待っているときに
「ごめん、マフラー忘れた」と言って、急いで部屋に戻った。

帰ってきたときに トトロ がソファーに座っているようにしたかった。

急いでクルマから シュヤク を引きずり出す。が、焦ればアセルホドデテコナイ。このデブ。

やっとの思いで引きずり出し、ソファに座らせようとおもうのだが、こんどはスワラナイ……ワラエナイ……。
試行錯誤している間に玄関の空く音が。

彼女……ミテハイケナイモノヲミテシマッタヨウニぱたりとドアを閉めた。

「なんでかえってくるんだよーーーーー」
「遅いから。心配じゃん」

せっかくのサプライズが台無し。まぁ喜んでいたみたいだけど。別れたときもあれだけは持って行っていたから。

おまけ。どうーでもいい話。
その日、中華街の華正樓に行った。

大げさでなく、7,80人は並んでいたと思う。
静かに並んでいたら、店に良く来ている方と会った。お偉いさん。

「どうぞどうぞ」の声とともに、当時の店舗一階、丸いテーブルが並んでいるところに案内された。

暫くぽかんとしていたら、ホール係の青年二人が丸いテーブルを持ってやって来てホール中央においた。映画のワンシーンのようだった。もしかしたら彼女はこっちのほうが喜んだのかも。
知人の店。

何でも手作りが自慢の店。
しかし、全部なんてあり得ないのもまた事実。

正直に言えばいいのに。もっとも正直は儲からないことも事実ですが。

ある日のこと。
客が料理をべた褒め。あーだ、こうだ、あそこと違う云々。酒も回っているから調子が良い。
褒めることがなくなったのか、豆腐を褒めだした。“線”が入っている豆腐だ。

したら仲居が一言。「でしょ、手作りは違うでしょ」

*********************

客がレモンを食べてべた褒め。
あーだ、こうだ、あそこと違う云々。
仲居が”うちの庭になっていたものだから美味しいでしょ!”
客はくどいくらいうなずく。

さっきレモンからシールを剥がしたわたしも笑顔で賛同。

*********************

「やっぱ新鮮なものは味が違うね」

ここで客に伝えてあげれば良いのだけれど、客はすぐさま
あーだ、こうだ、あそこと違う云々と始まる。

仲居も思わず「日本海の魚はちがうでしょ」なんて。

日焼けした真っ黒の魚をおろした私も目を合わさず「ふふふ」なんて。

*********************

うまいまずいは人の好み。嗜好品ですから。
ただし、危険安全は見抜けた方がいいかも。これからの時代。
自然の物が少なくなる中、比較対象も減っているのが現実ですが、どうか舌と目を甘やかさないでください。
皆様の舌はすでに添加物を美味しいと判断しています。

天然ヒラメ(2.4kgぐらい。ちょうど良い大きさ)

養殖は1キロ 1,700円 天然 1キロ 6,000円
味?当たり前ですが違います。天然は4,5日置いて、身が飴色になってきたら美味しい。
〆たてはごりごりしていて、ポン酢かなんかで食感を楽しむのが良し。
養殖は同じごりごりでも味がしません。まして三日たったらぶよぶよ。

一度天然食べたら、養殖だって直ぐにわかりますよ。





整体師の先生から電話があった。

「いまから6人ぐらいで食事に行きたいのだけれど席はありますか?食べられるものが決まっていてあまり脂っこいものは駄目です」、このほか云々。予約の電話である。

「はい、大丈夫ですよ!」

食事をしている脇を通ると、なにやらボクシングの話をしている。
以前、中学校の時、プロボクサーになりたいといっていた友人のスパーリングにつきあっていたことがある。その時の印象は、パンチそのものより、足が重要だと思ったこと。

その経験を主賓であろう人にちらっと話した。

「ごちそうさま!」

食べ終わって彼らは帰っていった。

アルバイトが私の処に来て
「お客さんがこれ*****(私のこと)に渡してっておいていきました」

みると東洋チャンピオン防衛戦のポスター

さっきのひとである。

ものはよく考えてから言えということを学んだ。
ホテルの朝食。どこのホテルも一度は食べる。何事も経験。



年越イベントの帰りの人が多く歩いてる。



なかなか撮れない写真。



向かったのは台北賓館。なかには写生しているひとが多くいた。









入り口からみて裏側にある庭園にも絵描きがたくさん。


参観終わってそとに出たときに走ってきた縦目ベンツ。色も渋いです。



建物の中で何か行われるのか、続々とあつまる黒塗りの車。






つづく





昔昔もう 30年以上前。

自転車をハンドルを絞って乗り回すのがはやっていた。
テールランプをいっぱいくっつけて、なんだかボンボリ?みたいなのいっぱいくっつけて。

テールランプの電力は車のバッテリー。
ダイナモなんかじゃたりません。

隣の中学校(こちらは小学生)の有名な不良のあんちゃんが(友人の親戚)が
バッテリーをいっぱいくっつけたチョッパーを乗っていました。

ある日のこと。

颯爽と登場したオッタン(あだ名)

いつものように、今風に言えばクールに会話を交わし、「あばよ」と去って行こうとしました。
しかし、地元は坂だらけの土井中、いやド田舎。

オッタンは地元へ続く坂の手前で立ち往生。
バッテリーがくそ重く坂を上がれないようでした。

仕方なく小学生の子分私達はオッタンを押して、誰もギャラリーがいない
100mほどの坂道を押しました。無論、オッタンは有名人。自転車を降りませんでした。(笑えません

田舎はやることがないのです、だからフリョーが多くなる。

一度、昔の中津渓谷の誰もいない山道でボーソーゾクを見たときは悲しくなりました。
切手採集とまったく一緒の趣味思考、自己満足の世界です。



高倉健が亡くなったという報道を聞いた。

思い出したように『鉄道員』を見た。

高倉健について詳しくは知らなかったが、検索かけて調べてみると
実際の健さんはなんとなく主人公乙松の行き方に似ているところがあるように思える。

主人公乙松さんは幸せだったのだろうか。
私が思うに乙松さんは自分の思うようには生きてきた、自分の定めた規律に従いそれを全うするということを。それができたことに対する達成感はあったはずである。

では周囲からみた乙松さんはどうだったのか。
静枝さんは乙松さんが思う”人生観”に共感を覚え、幸せを感じられたのだろうか。

幸福とはなんだろう。

『つまらない人生』『たのしい人生』とは主観がすべてなのか。
それとも自分が”楽しい、幸せ”と感じているから他もそのように思うのか。
他が他自身の判断基準で感じる”楽しそう、幸せそう”が主観に影響を与え、満足感を生むのか。

他に”嫌悪感””失望感”を抱かせながらでも、自分の思う”幸せ”を追い求めるべきなのか、他に”満足感””幸福感”をもたらす為に自を犠牲にするのか……。

いろいろ考えると、他と自、自と他、どちらが先なのか、どちらを優先するべきなのかが、わからなくなる。

人に嫌われても良いから我を押し通す。人に好かれたいが為に我を押し殺すのか。

*********************

旅行に行き、日の出や夕焼け、山海川、圧倒的な自然にふれると、都会が生んだストレスも暫し忘れることができる。自分の意識で心からストレスを追い出そうとするのではなく、その景色を観ただけで、心が感動に占領されてしまうのである。もっともこのような事にも、価値観の違いが人それぞれ、現れるのだろうけれど。

だから旅行が好き。

旅行そのものが”人生”だったらストレスはなくなるのだろうか。
”隣の芝生は青い”だけなのか。




山肌にある集落。いったいどうやって生活しているのだろう……





入院している間に「夏目漱石 坊ちゃん」を読み終えた。
まったく興味が無かったのだが、司馬遼太郎が、ある本の中で絶賛していたのを
思い出し、買ってきてもらった。

文章の調子が良い。生き生きとしている。
これほど面白いとは思わなかった。

”食わず嫌い”は世の中を狭くするし、人生の喜びを広げられない。

様々なことに興味が無いのは、それを知らないから。
知らないという壁を越えた先には、無限の楽しさが待っている。
何もせず、「興味が無い」と言っているのは実は興味が無いのでは無く、
楽しむことが解らないのである。楽しみでは無く、「楽しむ」事をだ。

向き不向きもあるだろう。

体型的、肉体的なら超えられない壁もあるかもしれない。
しかし、楽しむといった観点で言えば、そこが理由とはならないはずだ。
大体にして、やりもせず、嫌いだの、向いていないだのと言って決めつけているのは
当の本人である。

性格だって変えようと思えば変えられる。他の誰かが自分の性格を決めつけている訳では無い。
生まれつきの性格というものもあるが、それを修正できることが大人になるというものだ。

運命が決まっているというのなら、努力なんてしないほうがいい。
行き先が決まっているのなら、それに任せてしまったほうが楽だ。

9日

退院当日。

 
朝早く起こされ、「荷物を持ってロビーに行ってください」と言われる。
要するに次が控えているのであろう。

一泊2万円もするホテルなら、こんなことされないと思うのだが。


祝退院
 
おまけ

病院に置いてあった貸し出し書籍
みんなこんなのばっか読みたいんだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4日

午後にCT検査。

液体を飲まされる。
車いすに乗って12階から3階へ行く途中、自分の病気について看護婦に聞いてみた。

なんでも肝機能値が4桁らしい。普通の人はどのくらい?と聞くと

「2桁です」とのこと。

5日

よく寝た。ひたすら眠い。

酒を飲んでいる夢を見た。京都のお座敷バーのようなところで。

従業員の方々が、いろいろ持ってきてくれた。
サクランボ、桃、チョコ、パイナップル等。
ついでに早く退院してくれと言われた。店長がシンデシマウト。

夜食後。となりの人が看護婦に文句を言っている。
この人いつも文句を言っている。
しかし、看護婦クレーム対応がすごい。隙が無い。勉強になる。

6日

同室の人を紹介する。私の他は4人。

私の前の人。一日中寝ている。歯磨きしながら寝てしまう。病名解らず。

私の隣の人。いつも怒っている。文句ばかり言っている。夜になると煎餅をボリボリ食べている。

斜め前の人。インスリンをいつも打っている。ごろごろばかり。

隣のオヤジ、再び怒り始めた。点滴の時間が気に入らないらしい。舌打ち、机をドンドンたたく。いい加減にしろ!


主治医がみえた。肝臓がすこぶる悪く、酒を止めろと言われた。

これから先、仕事のことも考えなければいけないと思う。
あまり身体を動かさないで稼ぐこと考えなければ。
毎朝、肝臓の働きを促進させる薬を打つ。これが本当に嫌だ。人が作った薬なんて、神が創造した人間には入れてはいけないと想う。今世の経験を活かして来世は活きよう。

作家にもなってみたい。大学にいってしっかりと勉強してみたい。

たくさんの人々が見舞いに来てくれた。これだけ集まってくれた人々の為にも、誠実に生きよう。

ハングル能力検定の結果通知が来た。なんとか3級合格。


今日は金曜日、明日明後日は病院は静かであろう。24時間点滴から解放された。仰向けのままとうつぶせになれるというのは、まるきり違う。

点滴棒が無くなったせいで天井が広く感じられる。
この天井が「一泊3万」の天井なんだ。現在の駐車場、公営のものを借りているので一ヶ月5,000円。この差はなんなんだ。

これから一所懸命勉強して医者にでもなろうか?医者になって貧民のための最高の病院をつくろう。一介の医者ではそんなことは無理だろうか?
ならば市長になるか?いや市長でもむりかもな。ならば首相になるか。首相なら出来るだろう……

考えたところで夢の夢の話。

私に出来ることはせめて病気にならないことぐらいか。

7日

朝寝付いたのが午前1:00。
隣のオヤジの点滴アラームが3:00に鳴った。5:00にも鳴った。寝られるわけが無い。

アラームだけならまだしも、そのほかトイレに行くために四六時中ナースコールをする。
嫌がらせとしか思えない。

しかし、看護婦側も横の連絡が出来ていないため、隣のオヤジが怒りまくるのも理解は出来るようになった。

8日

入院している間、勉強ばかりしいていた。英語少しは身についたのであろうか。
本日日曜日。看護師達も休みが多いらしい。静かである。
「今日は人手がたりないの」と言っていった。


続く









入院時の日記より

某月28日

友人James来日。久々に一緒に飲む。彼が持ってきたテキーラ……いやラムだったか、とにかく
アルコール度数が高い物だ。ガンガン飲んだ。

帰宅時、まっすぐ歩けない。大きな木に激突。けど痛くなかった。
その後の記憶は全くなし。

29日

仕事に行った。つらい、ツライ、とってもつらい。自業自得。
豆腐、釜揚げうどん、すべて吐出。

30日

朝四時。未だつらい。顔面蒼白。堪えられず従業員に迎えにきてもらった。
行き先は病院。本当は別のところに行きたかったのだが、自宅マンションから近いといった理由で
海辺近くの○○○○系病院にいった。
救急は連絡がないかぎり無理だといわれたが、なんとかお願いする。
点滴、検査、即入院と言われた。肝機能値がやたら高いとのこと。
個室を紹介される、当時一泊4万円。余計具合が悪くなるから帰るというと、四人部屋を紹介された。なんだあるじゃん。
一泊三万円、当時韓国旅行2泊3日、一晩の値段でいけます。ふざけるな~

某月1日

高校からの親友が見舞いに来た。その取り巻きも来た。
いっぱい来た。同フロアーのロビーで談笑……いや馬鹿笑い。
その時私は歩行禁止の身分。

2日

同フロアーのナースカウンターを背をかがめて通り抜ける。
何度とやっていたら何度も怒られた。

朝食が来ない。定刻より遅れること40分やっと到着。
噛み終わらないまま、部屋の移動を命じられる。
ここでは絶対服従。
ここから先は当時韓国語を勉強していたせいで全てハングルで書いてある。割愛。

3日

どうしてもコインランドリーに行きたくて、また”関所ナースたまり場“をくぐり抜け
エレベーターへ乗る。確かB1。行ったらB3で洗剤を買ってこいと書いてある。
ここは病院か??

歩いているのが見つかる。めちゃめちゃ怒られる。以後の行動に影響。



続く



山下公園で毎週ナンパを繰り返している友人がいた。

成功率95%。まずはずさない。

ナンパした後は、小田原、箱根、伊豆、修善寺、要するに西にドライブ。
明け方の湘南を帰ってくるのである。

もちろん気分が乗れば、そのまま静岡・日本平だって行った。

しかし毎週ガソリン代を捻出するのは大変である。
たまには近郊で済ましてしまいたい時だってあるわけだ。

ある日、いつも通り山下公園へ行くと、“常連”ではなく“友人”たちと出会った。
それぞれ今日の彼女を探し、さてどこへ行ったら良いだろうかと考える。
だが、カネがない。

一人が「良いところがある!」と叫んだ。




皆、彼の車について行く。
着いた先は緑区の某場所、住宅街。

「どこここ?」

連れてきた彼は全員共通の友人の名を挙げ
「確かあいつ今日バイトって言ってた。あいつのことだから鍵どっかに隠してあるんじゃない?」

皆で探す。


ポストの内側から鍵が見つかった。


勝手に開ける。


総勢10名、冷蔵庫はすっかりカラになり買い足し、また飲んで騒ぐ。
そのうち疲れて、皆眠りについた。


翌朝、友人が帰ってきた。
鍵が開いていることに驚き、玄関に山積みになっている靴に目が丸くなる。

ドアの音に気づき玄関にでできた、乱稚気一味の一人。

「遅かったじゃん、待っていたんだよ、おまえが帰ってくるのを」



台湾留学生の引っ越しを以前頼まれた。

思えばアルバイトの引っ越しを何回手伝ったであろうか。
留学生バイトの引っ越しは何度も経験している。



桜木町から東京杉並へ。

ごちそうしてもらった。


杉並引っ越し先は一方通行ばかり。彼は住所は解らないが、周辺に行けば解ると言っていた。





進んでも進んでも「この辺だと思う」との返答。



全く見つからない引っ越し先。


彼は言った

「部屋がどこだかわからない」

「・・・・・・・・・・・・・・・」





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