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三重県の根付きアジ

大きな鰺。生まれてずっと同じ場所で育ったアジのようだ。脂がすごい。おろしたとき、養殖かと思った。

コロコロの鰺

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身が真っ白で、シマアジと見間違えるほど。
味は好みが分かれるところ。私は焼いた方が美味いと思う。

今更ながらPS2を知人より購入。

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最近、自分の時間が無くストレスがたまり気味。
発散の為に昔やりこんだFPSゲーム『black』をやりたいが為。
が、しかしステージが上がるにつれ、ストレスも最高潮!
手に入れなきゃ良かった。失敗。

そうそう、家にテレビが無かったので中古を購入した。

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13インチのAQUOS。10年以上前のもの。送料入れて4,000円をきりました。
リサイクルショップをまわるより、ネットで探した方がはやい。

部屋の改造は続きます。




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自宅の光ファイバー契約を終えた。

引っ越してから一年、ネット接続無しの生活をしていたのだが、先日
部屋に閉じ込められたとき
stand-aloneの不便さを痛感。
引っ越し当初は「ネットしたかったら、いざとなれば会社も近いし、家に帰ってきた時ぐらい本読むか勉強でもしよう」と考えていたのだけれど。

で、先日仕事が終わってから部屋の机を移動して、”ネットしやすい”配置に模様替えを行った。
モニタケーブル、ACアダプタ等、バシバシ引っこ抜いてサクサク移動。
なにせ部屋が狭いので、パズルのようにものを動かさないと、移動する余裕が無い。

なんとか移動し終えて、ケーブル類をつなぐ。
USB機器なんてどこのコネクタに指しても平気だと思うけれど、偶に干渉しているみたいになるので、記憶していた場所通りに機器を接続していく…トラックボール、キーボード、USBハブ、ヘッドセットなどなど。

マザーに直接指した物については、正常に動作したのだが、ハブに挿している物が認識しない。
デバイスマネージャー覗いても別に異常なし。
「はて???」

ヘッドセット挿したりカードリーダー挿したりしても駄目。
「いよいよおかしいぞ…」

それでUSBメモリを挿してみたら、ハブから煙が…

あーやってしまった。机の裏側にまわり、ACアダプタを確認。
案の定、LANハブのACとUSBハブのACを付け間違えている。
USBメモリ、ヘッドセット、カードリーダー二つ、USBハブ、それからマザーのUSB一つが無くなりました…合掌。
※マザーがいっていなけりゃいんだけど←未だ未確認。

USBヘッドセット

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カードリーダー
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もう一つ台湾でかったICチップカードも読めるカードリーダー
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USBメモリー 64G とほほ…
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それだけいっぺんに駄目になると、さすがに困る。

近くに出来たエディオンへと向かう。開店キャンペーンでものが安く売っていたはず。
壊れたものを全て購入。
いつもならネットで”ポチポチ”やって買うのだが、今は待っていられる状態では無い。
いつもなら、値段を比較しながらかえるのだが、今回は”勘”を頼りに…
して結果は……

新規に購入♪

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惨敗(; ;)
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話は180度以上違う。
”アレな街”に出来たスーパー、『サミット』と『エディオン』の複合ビル。

来ている客もアレ率高し。また従業員も他の店舗と比べて、あまり良くない。
探し物を聞いたときの反応や、レジでの対応など普通のレベル。
サミット他の店舗は本当に対応が良い。(私は一店舗しか知らないが)

誰かが言っていたが、アレの街だから、近所に住んでいるのもアレが多いのではないだろうかと。
たしかに。

街行く人々を見ていると、無駄に痰を吐く輩やたばこの投げ捨て、歩きたばこの人々。
車からゴミは投げるし。歩いていても平気のへいさでゴミをぽい!てな人々ばかり。
そりゃー昔は僕だってやったことはありますよ。そう10代前半ぐらいの時。
でも成人に近づくにつれて、出来ないですよ、普通。たとえやりたくても。
だってそんなことしているのに、子供や従業員に偉そうなこと言えますか?
公共の場、町中ではこれから大人になっていく、子供達がたくさん見ているのですよ。

やはり住む地域というのは、稼ぐお金や生活レベル、民度などで見えない線引きがなされているのだと思う。
自然に似たものが集まるようになっているのだと。

もし地域密着で商売やるのならば、その辺の処を間違ってはいけないのかもしれない。

2004/12/12

はやいものでもう12月。
年末である。(中国、口語では"年底"というらしい)

振り返ってみて、様々な事があった。

受験、入学、台風、失業(休業?)…

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四大卒の資格が欲しくて、大学に入ったのではあるが
なんとも"忙しい"というのが実感である。

あの何の関連もない授業をまじめに受けていたら
とてもじゃないけど学生達はバイトなどやる暇がないはずだというのが感想。

ということは、世にたくさんいる"大学生のバイト"というのは
よっぽど頭がいいか、よっぽど要領がいいか、若しくはあきらめているのか…

もっとも分かり切っていて、受けたのだから
自業自得といえばそれまでだが..

やはり二足のわらじは難しい。

なにせ大好きな本を読むことができない。
これはつらい…非常に。

日本語を忘れる分だけ、新しい言葉を覚えていけばいいのだが
そんな簡単に事が運ぶはずもなく
どちらも中途半端なまま、なんとなく時が過ぎていっているような気がする。

仕事をしているときは、息抜きで"勉強"ができた。
ところが、いざまじめに初めて見ると、当然遊びじゃないから
余裕がない。当たり前の話である。
大して頭も良くないのに、片手間でいっぱしになろうと
思うことがそもそもの間違いだった。

『後悔先に立たず』

とにかくまじめに勉強しよう!


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てな感じで話がまとまればいいのだが
強烈なプラス思考なので、"後悔"という観念がまるでナイ。

今現在"普段できない"事を一所懸命やっているのだが
そのお陰で、みるみるうちに"カネ"がなくなった。

いやぁ人間使おうと思えば使えるもんだ。←すでにこの状態だからイカン!

先日なんて一日で...(ご想像にお任せします)

んでもって朝気がついてから大反省。。

「これはイカン。このままでは廃人になってしまう。
我が道に戻り、勉強せねば...。大体こんな生活していたら
エラソなこと言えないし、あほになってしまう」。

で、このあと自分の考えを改めるべく司馬先生の本を読んでいたら
出てきたのが、太宰治。

「あーそいやぁ、天才と奇人は紙一重だよな」

そう思った瞬間、永井荷風、内田百聞、種田山頭火、古今亭志ん生なんかの話を思い出してしまった。

豪快、快活、無頓着…

「人間生きて魅せてなんぼ!」

できるか!?




今日は休業日。

休業と言っても、完全な休みの日はない。
会社に行き、少し仕事をする。やらなければ翌日間に合わないのだ。

昨晩帰ってきたとき、ドアのアーマープレートががたついていた。
よく見ると上側のネジが無い。でも床を見てもネジは落ちていなかった。
「もともと一本無かったからがたついていたんだな」
翌日ネジを外して買いに行こうと、プレート上側を瞬着で固定した。

で、今朝だ。
会社に行こうと、サムターン(鍵を開けるために室内側にある鍵)を回し外に出ようとした。
が、回らない。
「もしかして瞬間接着剤でくっついてしまった??」
しかし、100均の瞬着でそれほど固定されるはずがない。だいいち、デッドボルト(本締め。サムターンで閉まる部分)を固定したわけではない…がしかし回らない。

午前中、会社に業者が来るはずだったのだが、電話して行けない理由を手短に説明した。
「部屋に閉じ込められた」と。きっとアホだと思われただろう。

そう本当にアホである。このまま出られなかったらどうしよう。

サムターンをぐりぐりやっていたら、今度はサムターンの回す部分がクルクルと回るようになってしまった。
や、やばい。為す術がないではないか。

内側からサムターンを回して外してみた。

何もおこらず。

自分を話の主人公に置き、必死にこの話の結末を考えてみた。
このままでは、どう考えてもカネがかかるか、管理人やら家主やらに連絡しての大騒動に発展しそうだ。

「なんとかならんか」

外側からなんとかならないか。

友人に電話。「ごめんね~、お休みのところ(彼も本日休み)あのね、その…部屋に閉じ込められちゃった」
友人唖然。そりゃそうだ。

「もしかしたら、外側からドア開けられないかな」
「まぁとりあえず行きますよ」

持つべき物は友である。暫くして友人到着。

友人「外側から簡単にドア外れたら、泥棒するのも簡単ですよね」
そー言うこと。外れるわけ無い。蝶番のプレートだってドア開けなければ外せないし、蝶番のピンだって抜けやしない。でも来て欲しかった(ゴメンナサイ)

したら友人、
「鍵を渡してください!外側から回してみましょう」
うんうん、やはり頭が良い!

が、開かず…

やっぱり駄目か…。

「近くに交差点に鍵屋さんがあるから、行って頼んできてくれないかな」
友人「いいですよ♪」

待つこと暫し。携帯が鳴った「鍵屋さん不在です。えーと…12時半に戻りますって書いてあります」
これから1時間先である。何もしないで待っていられる時間ではない。

友人が戻ってきてくれた。

「昨晩何したんですか?」
私はアーマープレートの件を説明した。すると友人、プレートをマイナスドライバでガチャガチャ動かして、鍵を回してみた。

「ガチャ!」

開いた!あ~良かった!!友人と握手!

開かなかった原因。

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上の写真はアーマープレートを外したところ。
アーマープレートが無いとラッチボルトが垂れ下がってしまう。
上の長方形の物がデッドボルト。どうやらアーマープレートが干渉していて
デッドボルトが中に入らなかったらしい。

要はアーマープレートの上側ネジ無く、うまく固定出来ていないため開かなくなってしまった。

下はサムターンを外した写真。

P1090812.JPG

無事一件落着。アーマープレートを取り付け、サムターンをつけようとしたところ、今度はサムターンが
取り付けられない。友人スマフォで調べてくれるが型番によって取り付け方法が違うらしい。

「ともかくもホームセンターに行ってネジを買い、会社にいって工具を取ってくる」

用事があるのに駆け付けてくれた友人に礼を言いホームセンターへ。

ところがアーマープレートを留めていたネジがかなり特殊らしく置いていない。M4の4mmの長さの皿ネジ。
困った。一番短い物でも8mm。仕方なく8mmを購入。切ればなんとか使えるだろう。


P1090821.JPG
右がついていたもの。左は切断したもの。

再び、アーマープレートを取り付け、サムターンの取付を試みる。でもつかない。
「ネジが切れているんだから回してつけるはずだし、取るときも回してとったよな…ん…なんでだろう」

サムターンを取り外したところを見ると右側に爪のようなある、あれが邪魔をしているようだ。

そういえば友人アーマープレートを外したとき、なんだか解らないネジがあるけれどなんだこれ?って言っていたような。


P1090824.JPG
上の写真、デッドボルト上部にあるもの。目が悪く、最初はリベットのようなもんかと思ったのだが、よく見るとイモネジだった。
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右側にあるのが爪。
これが下の写真のようにネジを回すと

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無くなる
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無事取付完了。
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あ~あ、こんなことやっている時間があったなら、写真撮りに行きたかった。
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2003/08/06

昨日、こんな記事が載っていた。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::

ムツゴロウこと畑正憲さんさんの旧著に、こんなエッセーがある。

歩き始めた小さな甥が悪戯をして父親に叱られた。
泣きじゃくる甥を慰めて点数を稼いでやろうと
「よしよし、こっちへおいで」と猫なで声で手招きしたのも虚しく
甥がすがりついたのは、やさしい叔父さんではなく
厳しい父親の方だった。

これと同様の反応は、動物の子どもにも見られる。
自分を叱ってくれる存在を頼らねばこの世を来を生き抜いてはいけないことを
幼い命は本能的に知っているのだ-と畑さんは説く。

三十年近く前に呼んだ文章だから、若干の記憶違いがあるかもしれない。
が、この文章の書かれた当時、子どもは「叱られて」育つのが常識だったことは確かだ。

その後、子どもの個性を伸ばすためには「しかるべきでない」派、友達親子を志向する「叱りたくない」派の
登場を経て、子どもを「叱る」総量は、ひたすら減少する。

今や電車の中で、街中で、大声で騒ぎ暴れる子どもを叱る親は、一割にも満たない。
もはや親は子どもを「叱らないのが当たり前」で、このことに理由をつけようとさえしなくなった。

さて、叱られずに育った子どもは、必然的に「叱られることに慣れていない子ども」になる。
不慣れだから、ちょっと注意されただけで全人格を否定されたかのように感じる。

過剰反応が攻撃性につながれば「キレる子ども」の一丁あがり。かくして少年犯罪は増加する。

もちろん少年犯罪の原因は、実際にはもっと複合的だ。
しかし今回、あえて話を単純化したいのだ。
時代が悪いとか、社会が悪いとかじゃなく、身近でリアルな問題として捉えたいのだ。

畑さんが指摘するように、子どもの本能が自分を叱ってくれる大人を求めるならば
それに応えるのは、大人として最低の義務だ。
親が子に与えるべき愛情の基本だ。

まず「叱る」事を取り戻す。そこから始めればいい。。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

こんな記事だ。

全くその通りだと思う。

文中もっとも共感を得たのは
「ちょっと注意されただけで全人格を否定されたかのように感じる」というくだり。

たとえばお客様との対応の場面で問題が起こったとしよう。

会話中、不適切な言葉や態度でお客様を不快な思いにさせてしまったとする。

しかし、当の本人、そんなことわかるはずもなく(わかっていてやっていたら相当な者だ)
先方の態度にとまどう。

その時、明らかに不適切な言動があったことがわからない。
事後それを上司が咎める。

「なんでそんな考え方や行動なんだ。云々」。。

しかし、元々の思考経路の違い、各状況による話の落とし処の違い等、
考えている事が違うわけであるから叱られている方は理解できない。

結果、叱られている方は「キレる」
「うるせーな、このぐらいやってやるよ、次見てろ!!」というキレ方だったら
「おう悔しかったらやってみろ!」と応酬することも可能だが
これがただただ「キレる」のみなので、次につながるわけもない。
叱られた者は納得がいかず、釈然としないまま、また同じ事を繰り返す。

そして「また」叱られる。。。

とうとう叱られている当人、叱られたことなく育ったせいか
叱られるという行為そのものが受け入れられなく
人格そのものが崩壊していく。。

本来なら「あー物事はそのように、考えることが大切なのか」などと頷く場面なのだが
「なんだよ、じゃぁ、自分はいったい何なんだよ!すべて自分のしていることは間違いなのか!」
と相成るわけだ。

なぜ、そのような事になってきたかと言うと、やはり「責任放棄」があげられると思う。
親の「責任放棄」、先生の「責任放棄」、近所の大人、周りの大人の「責任放棄」。
そんな親が育てた「責任放棄」の産物がやがて大人になった。

そう責任放棄のエリートの誕生である。

そんなエリートたちが、その産物である「どうしようもない子ども」を叱ることなど出来ようはずもなく
その無責任な行動の御陰で理解に苦しむ犯罪が増えているといっても過言ではないはずだ。

本来、物事の道理や常識が備われば、もし犯罪を犯そうとしても
常識、罪、償い、人としての倫理を天秤にかければ
そんな馬鹿な行動はしないはずである。

俗に言う「割に合わない」のである。

それをいとも簡単にやってしまうところを見ると
そんな状況下で育った、「あわれな子ども」はもはや人ではなく
鬼畜と見なした方がいいのではないか。

だいたいにおいて、そんな凶悪犯罪を犯した「鬼畜」に対して
人間の権利、そう人権など適用させるほうが間違っていることは明白である。
でも、そんなこと口が裂けても言えないだろう。
「鬼畜」も見た目は「人間」と変わらないのだから。

今は学校の教室には「教壇」が無いらしい。
理由は「子どもにも人権があり、対等な立場だから」なんだそうだ。

あほか!なら「子ども」と「大人」には違いがないのか・
まして「先生」も「子ども」と対等な関係なのか?
なら「偉そうな顔して教えるな!」ぐらいな事は小学生でもわかる理屈だ。
だから叱ったって聞くわけ無い。

そこに線引きが存在しないのなら、いっそ、子どもを教える側に据えて
「先生」様なる者たちを、教えてもらったらどうだ?

屁理屈だとおっしゃる方は、教壇の話そのものが「屁理屈」なのがわかっていらっしゃらない。

人間の質なるものは、長く生きていれば向上するという代物では無いが
いくら何でも10年前後しか経験していない者と、その上の者とを並列させるのは
おかしいだろう?

子どもの人権。そりゃある。
「大人」と「子ども」の命は比べることは出来ない。
しかし現実の世界において交通事故を起こした人ならばわかると思うが
交通裁判によって、人の命の重さが「存在」するのもまた事実だ。

要は「人権」とか「自由主義」とかきれい事ばかり並べて無責任に振る舞っている
「ご都合主義」の人たちに「責任感」を持ってほしいと言うこと。

すべては自分に起因している....そうすべては自分が責任を負わなければいけない...

そう考えれば、叱り方も変わるし、育て方、接し方も変わるだろう。

そうやって育った「責任感」のある立派な「大人」が
この責任放棄の連鎖を唯一断ち切る手段なのである。

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2003/6/12

産経新聞朝刊から

長崎市内の小中学校の勤務ダイヤを巡り昨年一月、同市教委が教職員組合との間で
「遅出早帰り」を容認する確認書などを取り交わしていたことが、産経新聞の調べでわかった。

同市内では30年以上にわたり、労働基準法に抵触する勤務実態が続いていたが
正常化への過程で今回の違法性の強い、"取引"が交わされていた。事態を重く見た
文部科学省は実態調査に乗り出す方針だ。

確認書は昨年1月17日付けで交わされており、市教委と県教組長崎総支部の幹部同士による確認書と
これを補充する合意メモからなる。この中で長崎市内の小中学校の勤務時間のうち
開始時刻後と終了時刻前の各15分間を休息時間と定め、通勤に使用することが可能としていた。

確認書に基づくと、教職員は勤務時間から15分後の午前8時に出勤すれば良いことになり
また、夕方も給与支給の対象となる休息時間が始まれば退勤が可能。給与は8時間分が確保されているのに対し
教職員の実際の勤務時間は7時間半で済む。

文部科学省も、休息時間のあり方を定めた県条例はもちろん、地方公務員法に抵触する恐れがあるとしている 。

同市では以前は、休息時間を勤務時間外にとる「変形八時間制」呼ばれる勤務ダイヤが横行していた。
同様の敢行は北海道や東京都など全国各地の学校で次々と表面化し、正常かが進められていたが
教育現場ではいあまだ「さぼり」を既得権ととらえる空気が根強く、長崎市では教祖による
反対運動が展開された結果、今回の法に抵触する恐れが強い取引が交わされた。
事態を重視した文部科学省では、長崎県教委をを通じて実態の確認を急ぐ方針だ。

長崎市内の小学校では正常化に対する組織的な反対闘争が繰り広げられた。
確認書の締結前に実際に市内の小学校の職員室で行われたいじめ同然のやりとりを、関係資料から再現した。

教頭 「休憩時間に校外に出る場合は、私か校長に一言何処へ行くか告げてください」

教員「休憩に何処へ行くかは自由。行き先を言うのはおかしい」

教頭「別に何処へ行ってはいけないと言う意味ではない。何かあった時のために居所を明らかにしてという意味だ」

教員 「では僕が休憩時間に行く場合も、あなたに『パチンコ屋に行ってきます』と言わないといけないのか」

教頭 「パチンコはそぐわないのではないか」

教員 「ほら自由だと言いながら、もう口を挟んだではないか。パチンコは例えだ。
他にも人に言いたくない理由で外出する場合がある」

非常識な例を出し、自分から絡んでおきながら、口を開けば「自由」を盾に教頭に詰め寄る。
しかし、糾弾はこれからが本番だ。

教頭 「では行き先は結構です。外出することだけは伝えてください」

教員 「(校長と教頭の)二人が職員室にいない時はどうするのか」

教頭 「どちらかがいるようにします」

教員 「それでは答えになっていない。どちらもいないことが現にあるではないか」

教頭 「その場合は教務(主任)に」

教員 「なぜ教務か。誰でも良いではないか」

教頭 「それで結構です」

口を開くたびに揚げ足を取られ、回答を迫られる。
非協力的な空気が漂い、終始、管理職は言いなりだ。
話題は児童、生徒にも及ぶ。

教員 「休憩と言っても何処で取るのか」

教頭 「職員室で」

教員 「子供達が入ってくるので休憩どころでありません」

教頭 「子供に入ってくるなとも言えない・・・」

教員 「緊急時を除いて入って来るなと指導しましょう。この際『働く人達にとっての休憩時間』を説明しよう」

別の教員が即座に「(休憩中)子供が怪我したときは」畳みかけると、教頭はこう答える。
「管理職で対応します。先生方は休んでもらって結構です」

この学校では実際に、休憩中に職員室に入る子供を締め出し、怪我をした場合も
「管理職に頑張らせる」慣行を確立したという。

それでも教職員組合の教師は不満で
「怪我をした場合に養護教諭も担任も、自分の所に訴えてきた子供に『校長先生に言いなさい』とは言えないのが実情」
と漏らしているという。

みなさん、どうですか、これ読んで。。。

最近、他にも先生と呼ばれる人達の不祥事が相次いでいます。
やはり、先生も人の子、と言わざる得ないですが、そもそも先生って人に教えるのが
仕事のはず。まぁこんな先生が"教えて"いるのだから、今の世の中で起こっている
家庭内暴力、子供の学力の低下、活きる事への絶望が引き起こす自殺、凶悪犯罪などなど。。。。

わかる気がします。教えている人が教えている人ですから。。。。

この関係を断ち切るためにも
先生は一度なると、なかなか免職にならないという不文律を変えていかないと。
そして、良い先生を造るためにも、良い生徒を育てなくては、いけないのでは?

もはや、論議している場合ではなく、実行しながら修正していかなければならない
状況といえる。



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2003/02/02

「今週は忙しいな。」
月曜日から土曜日まで予定があって
なかなか息を抜く日がない....。

「久しぶりにスカイスパでも行こうか」
ふと思いつき支度をして家を出た。

確か、一時過ぎだったような...。

「看板が消えている」
まさか。。

本当に真っ暗。

「あー最悪!!」

スカイスパに電話をかけたが、誰も出ず。

すると、ひとりの青年、そう傘を持った青年
(ちなみに朝から雨なんて、そう昨日だって降っていません。)

青年「あの、戸塚って遠いですか?」

私「えっ・・・・・・・・・・」

青年「あの、戸塚って歩いたら、どのくらいかかりますか?」

私「なんだって?・・・・・」

青年「いや、だからその、戸塚って歩いていけますよね?」

私「そりゃ行けるけど・・・・」

しばらく、考え
私「何をしに戸塚に行くの?」
青年「えーと受験するためにこっちに出てきて・・・」
私「どこから」
青年「山口!」
私「行けなくはないけど、遠いよ」
青年「やっぱり」
私「友達の家でも、泊まるの?」
青年「そうです。高校の時の同級生です」
私「その友達に迎えに来てもらえば?」
青年「そいつ、今免停でして・・・」




青年「ヒッチハイクって出来ないですかね?」

私「あのねー大変申し訳ないけど、ここは横浜 ・・・・・多分無理!!」
青年「そうですか......」




私「いいよ、ここで待っていろよ!」
青年「えっ!?」

私「今から車持ってくるから」

青年「ほ、本当ですか?」

あーあ、しょうがねーよな、本当に....。
本当は家に帰って、店のシフトでも決めよーかなーなんて
思っていたのに....。まぁでもこれも何かの縁。

車を取りに駐車場へ向かいすぐさま、元の所に戻った。

青年「本当にすみません」

私「よし、行こう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

虎龍¥¥私「それで、何処の大学受けるの?」

車は一路戸塚へと向かう。

青年「慶応湘南キャンパス」たしかこんな事言っていたような。

私「ふーん」

青年「僕、高校の時、初恋の人がいまして...。」
私「は、はい。。」
青年「その人に初めて告白したんですよ!」
私「そうだね...........。初恋だから。。。」
青年「その人は確か、何とか芸大とかって言うところに受かりまして...。」
私「そんで、こっちに上京しているのね」
青年「そ、そうです、それで僕は、学校の成績があまり.........というか下から数えて何番目と言う感じで」
私「そう、それで・・・」

青年「僕もこっちに出てこようと思ったのが、昨年です」
私「あー彼女のために...。」

青年「それで、『僕もこっちに出てくるよ』って彼女に言ったんです!!」
私「………」
青年「そしたら彼女が『そりゃあんた受からないよ!だってあんたの偏差値知っているの?』って.....。」

私「あーそれで悔しくって勉強したのね」

青年「そ、そ、そ、そ、そうでーーーす。。何で解りました?」

私「・・・・・・・・・・・」

私「あ、あのさ、こっちの友達っていつ、こっちに来たの?」
青年「昨年です。高校の時、バンドをやっていてそのうちのひとりです」
私「ふーーん」











青年「いま、バンドやっていたって言ったじゃないですか!僕、その彼女に詩を書いたんですよ!!」

わぁーも、もどったよ!!なんとか他の話にしなきゃ!

私「大学言行って何勉強するの?」

青年「いやぁーその子にこうやって・・・・・えっ、勉強ですか??」

私「そう。勉強。。勉強の話。。」
青年「経営です」
私「ふーん、実家は何やっているの?」
青年「学習塾を経営しています」
私「あらら・・・それで・・・・あなたは・・・留年?」
青年「ハイ!!」

そりゃ、経営学ばんといけませんな!!
息子が留年しているようでは....。

私「経営って言うのは思いやりだよ。たとえ弁護士事務所だろうが、会計事務所だろうが、銀行、株屋さんに至るまですべてにおいて、共通しているのは、そこに、人が介在すること。人が介在する以上相手に対して、お客様に対して、思いやりがあれば、必ず成功する。儲かるかどうかは別にして...。

青年「いやぁいいこと言いますね」
私「いやぁ、べつにそんなつもりでは....(コイバナが終わってくれれば)」

青年「何を今やっているのか知らないけれど商売やったら、必ず成功しますよ!!」

慰められてしまった。

そうこうしているうちに、車は戸塚へ到着。

青年「ありがとうございました!!」

唐突な出会いというのも楽しいものである。

**************************

この彼、今何をやっているんでしょうね。
2003/11/25
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日経春秋より

****************

駅頭で、町中で、若者達がそろいもそろって
必死で携帯電話をにらんでボタンを押し続けている様は、いささか気味が悪い。
比較行動学の正高信男・京大霊長類研究所教授は
この現象を「コミュニケーションのサル化」だとみる。

3分前まで一緒にいた友達に送る携帯メールに
何か具体的なメッセージが込められているわけはない。
ただひたすらいつも誰かとつながっていたい。
そんな不安が、飛び交うメールの背後にはある。
十代の若者が番号を登録しているメル友の数は40代のそれの10倍以上という。

サルの仲間では最大級の大きな群れをつくるニホンザル
彼らには「クー」と鳴きあうクーコール」という
コミュニケーションがある。
これは意志の伝達でも、警報などの情報通信でもない。
森の中で姿が見えない同士が存在を確認し合い、情緒的につながって
安心を得るシステムだ。

正高さんは近著「ケータイを持ったサル」の中で
若者の携帯メールに、このクーコールを重ねている。
最も原始的で最も私的な言語であるクーコールの方向へと若者が回帰している以上
意味を伝える社会的な言葉、公の日本語が乱れるのは防ぎようがないと....。

来年の干支はサル、年賀状の図柄に、携帯電話をもつサルが登場するのはまず間違いない。

****************

私も数年前から、同じような事を感じていた。

現代は「無責任」の時代だと感じる。

世の中にいる年配者たちは、怒る事をしない。
別に怒る事を奨励するわけではないが
昔は近所のおじさんやおばさん、学校の先生や親戚達。

みんな年上の人達は口うるさかった。

たしかに個人を尊重し、良いところを伸ばすためには
なんでも好きにやらせる事も大事だと思う。

しかし、それは基本的な倫理観や道徳観がそなわって初めて功を奏すわけであって
幼い頃から自由奔放という言葉をかりた『ほったらかし状態』で育った子供達に
目標を乗り越える力や仲間達と協調する気持ちが宿るのであろうか?

けじめ無く才能を開花させたとしても
人間性を問われてしまえば、無用の長物では無いのだろうか?

核家族化がすすみ、一人っ子が増え、近所付き合いは減り、一人で過ごす時間が
多くなった子供達がコミュニケーションの取り方を覚える事はない。
いつでも電源を入れれば付き合ってくれ、やめたいとき、やり直したいときはリセットボタンを押す。
子供達はゲームをやるときと同じように、人に対して、社会にたいして、わがままになる。

自分自身を制御できない子供達は、自らを高める努力はしなくなり
自らの限界を定め、「私は私、僕は僕」の立場をとる。
本来、人間形成された人間が、その個性、感性を強調するときに使う代名詞が
向上心をなくしている人間の逃げ口上になる。

自分を肯定してくれる人物を常に捜し、群れを成したがる。
集まって切磋琢磨するような仲間ではなく、傷をなめ合う子犬のように群れる。

「私は一人ではない、僕は一人ではない」。

自分をひとりぼっちにしないため、大勢の味方をつけて虚勢を張りたいため
今日も若者達ははメールを打ち続ける。

無言で俯いたまま。

こんな更新しないblogでも読んでいる方がいるみたいなので
昔のhomepageから抜粋しています。
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2002/9/26

この間久々に実家に電話した。
当年にて33になる。
以前、祖母が死ぬ間際、「33歳になったら開けなさい」といった
包丁セットがあるのだが、それを開けたいと言うことだ。

ここで、祖母について少しばかり説明をさせていただこう。

母側の祖母であるこの人、生涯店をやっていた。最初の方は詳しく知らないが
何でも、そば屋もやっていたらしい。

自分が最後に知っているのは、仕出しの弁当屋さんを営んでいたことだ。

この弁当屋さん、「まことや食堂」と言って、小さい頃の記憶ながら
けっこう繁盛していたと思う。よくこの店を手伝っていた。

朝、早くに起き市場へ向かい、仕入れの手伝いを...。
帰ってくればベークライトの弁当箱を店いっぱいに広げ
祖母が作るおかずを待ち、一斉にそこに入れていくのである。
(祖母は毎晩一升酒であったような記憶があるが朝は3時には起きていたと思う)
その数、通常の契約だけで百以上。(一個700円~3000円位まで)
競輪(平塚と小田原)の従業員の方の弁当が入れば300は下らないと言う数である。

おかず、ご飯を入れ終わると、次は配達である。
親戚の伯父さんと一緒に車に乗り込み、契約先へ...。
子供ながらに「おまちどおさまでした」」とか何とか言っていたような気がする。

昼すぎて一時近く。店に戻り遅めの昼食。
弁当のおかずをつまみながら、時計とにらみ合い。

食べ終わると直ぐに、今度は容器の回収にと向かう。
伯父さん二人が回収してくる、容器を今度はすべて洗う。
洗うと言ったて、出した数がすべて帰ってくるのだから、その数、察して知るべし。

そのあと、ゴミ捨てだの掃除だので一日が一息つくのは5時か6時。
あっという間に夕食である。

そんな、過酷な手伝いであったが唯一楽しかったのが(と言うかこれがあったから何年にも夏休み、冬休みといっては手伝えた。)
手伝うと、100円をくれるのである。100円。もらうたびに使い道を考えていた。
半分は貯金、30円はお菓子、20円はガチャガチャ。
駄菓子屋に行き、その百円を一所懸命使った。
駄菓子屋の方も(今その店は無い)「おっ、鈴木さんの所のお孫さんだね」なんて言って
よくかわいがってくれた。

働くと言うことを、よくよく教えてくれた祖母であったと思う。
単純な事。一所懸命働いて、一所懸命使う。(この後者の方の癖がいまだにぬけず大変なのであるが...。)

そんな元気な祖母であったのだが、やはり病には勝てなかったらしい。
財産をすべて放棄し、市民病院の床へと病身を移した。

手足、口耳が不自由になる前に書いたらしい、手紙が先の包丁セットと一緒に入っていた。
おそらく手がもう動かなかったのだろう。子供と同じような字体である。言わんとする事は解るのだが
其れを理解する前に、目頭のほうがが熱くなる。こうなると文面など二の次だ。

そして、包丁セット。この場を借りて正直言わしていただければ、栄華を誇った祖母のこと
きっと立派なものがでてくると、思っていた。

しかし、でてきたものは、もう錆が出ていて、普通では使わないウナギなどをさばく「さき包丁」と「何の変哲もない柳包丁」である。
私はそんなに詳しくはないが、一見したところ、大したことのない包丁に見えた。(今後調べてみます)

心底、期待をはぐらかされた思いだった。

が、しかし...。

その直後、慢心している自分に気がついた。おごっている自分に気がついた。
あの百円をもらって喜んでいた、自分を思い出さずにはいられなかった。
きっと祖母としては、最上の贈り物だったに違いない。きっと大切にしていたものだったと思う。
それをあろう事か、瞬時といえども、粗末だと思ったことは、誠に情けない思いがする。

33歳。祖母が店を起こした年齢だと聞いた。
今、祖母がまた幼少の頃のように、冥界に逝ってまでも、私に物の大切さを教えてくれた。
感謝すべし。

また振り出しに戻り、日々を重ねて精進することにしよう。

久々の更新。

なぜかって?前の記事と一緒。そろそろ広告出る頃だから。
あ~本当に休みたい。

金戎。香川のお酒。美味。

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ひめいちえと雁木。どちらも◎
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いいかげんな更新の仕方ですみません。

ボラ子→唐墨まで

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友人が開店祝いと誕生日祝いをかねてアメリカから来店!
それもサプライズ!!本当にびっくりした!!
プレゼントの一部。本当にうれしかった。。

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10年以上前のメンバーとの再会。
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バイクメーターケーブルの交換
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休日の写真が一枚もない…もっとニンゲンラシクイキタイ…

雲がかわいくてとった写真

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んでもって夕焼け
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バイク調子悪し。プラグの交換
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嫌になる…
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再びバイク部品交換。。。
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こんな写真アップしているだけでも20分ぐらいかかるんだもんな。
ということは20分も時間がない生活しているんだ…

はやく仕事やめよー




はやいもので、明日から11月。

今年、何ができたのかと考えてしまう。

旅行も今年は一度しか行けなかった…
宝くじでも買ってみようか。

当たれば、人生”ハネル!”んだけどな。
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現在、部屋ではネットが出来ない。
テレビも無い。もっとも15年ほど前から見なくなっているので、どうでも良いことだが。
ラジオは偶に聞くのだが、安いラジオのためかAMの入りが悪い。
このラジオもパーソナリティーが”以前”の人が多く活躍していて代わりばえしないのと、一方の”最近の人”の話がつまらないので、それほど聞かなくなった。
聞いていて面白いのは放送大学ぐらいだろう。

自然、部屋ではやることが限られる。出来ることと言えば
”寝る”か”読書、映画鑑賞、勉強”ぐらいのものだ。

映画鑑賞は仕事中見っぱなしなので、あまりすることはない。
時間がかかるというのも選択肢から外れる理由だ。
せっかくの映画、途切れ途切れでは見たくない。

となると簡単なのは”読書”。読みたい分だけ読み進み、眠くなったら閉じればいいので手軽である。部屋が静かな分、捗が行く。

最近刊行された本の多くは内容が軽い気がする。
中にはハードカバーの本なのに、半日もかからず…いや三時間も読めば読了するようなものもある。なんなんだ。
別に小難しいことが書いてあるから良い本ではないとは想う。でもね…
内容が薄く、読み終わっても「な~~~んも」頭の中に残らない本が多すぎる。そしてこの類いの本が売れているという。

私が本を読み始めたときは、一冊の本を読み終えるのには相当苦労した。
知らない単語、読めない漢字が多すぎて速度があがらない。辞書を読んでいるのか、”本”を読んでいるのかわからなくなるほど。

何冊も読み進むうちに次第に漢字を覚え、意味を理解でき、文章を把握出来るようになり、読書の楽しさが味わえるようになった。

この”わからない漢字、言葉”が本の中にあるために、読書嫌いと言われる人がたくさんうまれる。わからないものに金を出し、苦労して、時間をかけて読むなんて事はしないわけだ。テレビをつけ、「わー」だの「ぎゃー」だの言っているのを見ているほうが余程楽なのだろう。

勉強の楽しさとはわからないものをわかることにあると想う。わからない単語を調べて、意味を理解できることが重なり、その本だけに留まらず、様々なことが身についてくる。と、同時に自分が不得手な事、自分が”わからないこと”もわかるようになる。自分が”わからないこと”もわからない人が今の世の中たくさんいるわけである。”わからないこと”がわからないわけであるのだから、勉強する事柄もわからないだろうし、進歩はほぼないだろうと想う。あるのは時間の経過に任せただけの”慣れ”だけである。

そんな人達と話したりしたとしても、現代のテレビ番組を見るのと同様、つまらないし何も刺激を受けない。「あほちゃうか」てな感じ。

たとえ良い服を纏っていなくても、お金が無くても、貧していても、日々一所懸命考えながら自分を成長させることに対し、労力を惜しまない人に魅力を感じる。

さぁ50までに次のステップをあがらなきゃ。


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寒い日が続く。

暑いのと寒いの、どちらが好きかと言われれば、寒いほう。
暑いときは脱ぐのに限界があるが、寒いのは着ればすむ話だ。
(といってもマイナス20度以上だと、そんなこと言っていられない気がする)

酒は寒いときに飲んだ方が美味しいと思うのは私だけだろうか。
飲んだ後、冷たい風に当たるのがとても気持ちが良い。
ガラスが曇ったり、食べ物の湯気が美味しさを引き立てたり…

でも、南国の方が長生きなのだから、身体にとってはきっと温かいほうがいいのだろう。

先日引っ越しをした。

荷物は殆ど整理して減らしたつもりだったのだが…このような結果になってしまった。

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友人曰く「持ってくる物を完全に間違っている」とのこと。同感…

徐々に減らさないといけない。

その一環として、誰か買ってくれる人いないだろうか?

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物も減るし、旅行用の貯金も出来る…ご協力よろしく。



大晦日、三が日と仕事した。つまり12月中旬から休まず働いていたわけだ。

かなりの間、働いていなかったので”休んでどこかにいきたい!”などということはないのだが、店の準備、開店、営業と立て続けに忙しかったので、すっかい”世間”からおいていかれていることに気がついた。

やはりネットだけに頼り、うわべだけの情報収集では、役に立たないようだ。新聞を購入し読むことにした。

新聞を読んでみると、やはり文章、内容が違う。なぜなのだろう…

感覚的な話ではあるが、webサイトの多くの文章は”軽く”感じる。

幾ら勉強したとしても、途中止まってしまうと、時代の流れが速いだけに取り残される。また情報量の多さから、過去に記憶したものも、すぐに脳から追い出されてしまう。
維持し続けるためには、相応の努力が必要なのだと改めて感じた。

商売をがんばることは勿論こと、今年何か試験でも受けようかと考えてる。”二兎を追う者は一兎をも得ず”…それでも何か方法はあるはずだ。そこに面白さを感じ続けることができれば、人生は楽しくなるだろう。


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最近は飲んで食べてばかりいる。
こんな事で良いのだろうか…

下の画像は偶に寄させてもらっている『はる』さんの料理。
野毛(宮川町)にあります。

美味しいですし、落ち着きます!

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他にも載せてみましょうか。
焼き鳥屋の『千屋』さん。

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話は飛びます。
実は11月の半ば頃に中国へ働きに行く予定でした。
その為に購入したのが下の防水カメラ”DMC-FT3”

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やはりDMC-LX5と比べるとレンズも暗いし、画角も狭いです。
屋内で撮影している時、フラッシュをオートにしていると、ほとんどの場合光ってしまいます。私の使い方としては、完全に記録用。

ただし電池の持ちはすばらしいです!普通に使っていれば予備のバッテリー要らないと思います。

”渡中”用に買った他の物。一番右にあるのはDMC-LX5の為に買ったリコーのレンズキャップ。加工して取り付けます。

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DMC-LX5
レンズキャップを手で取る形式なのですが、これがわりと面倒。外すときも面倒ですが、つけるときはもっと面倒~
散歩しながら撮影していると、この作業に思いの外時間をとられます。

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まずはネジ部分を外して…
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下の画像のキャップをつけます。出っ張っているところがあるので、それをレンズのネジが切っている部分に押し当てながら様子を見て少しずつ削っていきます。
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できあがり♪これで電源を入れるとレンズが飛びだしてくるようになりました。
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下の画像のバッグも中国へ行くために買いました。
”TIMBUK2”
これサイコーです!
購入前は防水タイプを買おうと思っていましたが、色が気に入らずこちらを購入。しかし、普通の雨ぐらいでは中身は濡れません。ポケットもたくさんついていますし、書類も折れにくくなるような仕切りがついています。バッグ自体の容量もかなりありますね。そして何よりも丈夫!
メッセンジャーバッグを買おうと思っているなら、一押しです!

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おまけ
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